【玉木宏】実家は金持ち!?1日500円と3つのバイト

玉木宏の実家 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、玉木宏殿:辿れたのは上京した後の暮らしでござる。

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1980年1月14日、愛知県名古屋市のお生まれ
  • 身の丈は180センチであられる
  • 16歳の折、名古屋にて見出される
  • 高校を出ると同時に上京される
  • 1998年、ドラマ『せつない』で俳優として世に出られる
  • 2001年、映画『ウォーターボーイズ』に出られる
  • 23歳、働き口を辞めて演じることだけで暮らせるようになられた
  • 2003年、連続テレビ小説『こころ』で広く知られるようになる
  • 2018年6月26日、木南晴夏と婚姻届を出される
  • 2021年4月15日、ドラマ『桜の塔』の取材に答えられる
  • 2025年8月8日、『ニノさんとあそぼ』にて下積みの日々を語られる
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【玉木宏は、1日500円で暮らしておられた】

巷では「玉木宏殿の実家は金持ちではないか」と申す声がござる。

――あの背丈と、あの声と、あの佇まいゆえであろうな。

吾輩も、その出どころを探してみた。

だが、それを裏づける話は、どこにも辿れなんだ。

――ゆえに、実家の内情については書かぬ。

その代わりに、辿れたものがござる。

上京した後の、暮らしぶりでござる。

2025年8月8日、日本テレビ系『ニノさんとあそぼ』にてな。

玉木宏殿が、下積みの日々を語っておられる。

まず、その始まりから申そう。

16歳の折、地元の名古屋にて見出され、この道に入られた。

――そして高校を出ると同時に、都へ出られたのじゃ。

18歳でござる。

では、その18歳がどのように暮らしておったか。

1日500円でござった。

――一日に使える銭が、五百でござるぞ。

住まいはと申せば、家賃は6万円台。

築55年の木造の建物であったという。

そして風呂はと問えば、こう答えておられる。

「シャワーはなかったですね。いわゆる浴槽で水をためてガスでガチャって」

――湯を沸かして入るのでござる。

飯はどうしておったか。

店じまい間際の割引を狙うて、こうしておられた。

「炊飯ジャーがあって、ご飯をパックに入った分だけ200円。詰め放題」

――詰め放題の飯でござる。

五百のうち二百を米に充て、残りで菜を買う。

そういう組み立てでござろう。

屋敷から仕送りが届いておる者の暮らしではござらぬ。

ここで一つ、吾輩が唸ったことがある。

――この御方は、これを苦労話として語っておられぬのじゃ。

浴槽に水をためてガスで沸かす手つきを、あっさりと述べられる。

詰め放題の飯についても、同じ調子でござる。

――恨み言も、自慢も無い。

二十年以上を経ても言い回しが崩れておらぬのは、

その日々を己の一部として収めておられるからでござろう。

【働き口を辞められたのは23歳の折】

では、その暮らしはいつまで続いたのか。

――ここが、この御方の話で最も重いところでござる。

働き口は、三つを掛け持ちしておられた。

「メインでやってたのが、ゴルフ練習場の中にあるレストラン」

「あとは深夜のコンビニと引っ越し屋。3つ掛け持ち」

――昼に飯屋、夜に店番、そして荷運び。

お主、これで芝居の稽古もしておられたのじゃ。

さて、ここで一つ問いたい。

映画『ウォーターボーイズ』は2001年でござる。

――世に広く知られた作でござろう。

その作に出た後、この御方はどうしておられたか。

「それが終わっても、まだずっとバイトしてましたから、2年間は」

――大きな作に出た後も、二年でござる。

これは覚えておきたい。

顔が世に出ることと、それで食えることは別なのじゃ。

そして2021年4月15日、ドラマ『桜の塔』の取材にて、区切りをこう語っておられる。

「ずっとアルバイト生活をしていたので、バイトを辞めてこの仕事一本で生活ができるようになったとき。それが23歳でした」

18で都へ出て、23で働き口を辞める。

――五年でござる。

同じ取材で、上京した頃の心持ちについてはこう述べられた。

「やっぱり上京した当時の18歳の頃は、すごく強かったと思います。その当時は有名になりたい、名前を知ってもらいたい、テレビにいっぱい出たいといったことがまず1つの大きな目標でした」

――「すごく強かった」。

1日500円の暮らしを、その気持ちで五年支えられたわけでござる。

実家の話は辿れなんだ。辿れたのは、この五年でござる。

【未来予想図-底を知っておる者の強み】

吾輩がこの話で唸ったのは、二年のほうでござる。

――『ウォーターボーイズ』の後も、二年働かれた。

世に知られた顔で、深夜の店番に立つ。

――これは、なかなかできることではござらぬ。

見栄を張れば、辞めておっても不思議はなかった。

だが辞めなんだ。

食えるようになるまでは辞めぬ、と決めておられたのでござろう。

そしてもう一つ、見落とせぬことがござる。

――三つの働き口は、いずれも人と向き合う場でござった。

飯屋も、夜の店番も、荷運びもでござる。

客の顔を見て、声を掛け、手を動かす。

演じる者にとって、これほどの修行はござるまい。

――机の上では学べぬものが、そこには幾らでもあった。

どういう時に人が声を荒らげ、どういう時に黙るか。

疲れた者の歩き方、急いでおる者の目つき。

そうしたものを、五年のあいだ間近で見続けられたのじゃ。

ここからは吾輩の見立てでござる。

この御方が長く場を保っておられるのは、この五年が効いておるとみる。

――底を知っておる者は、崩れにくいのじゃ。

40を過ぎて柔術に挑み、写真の展まで開かれた。

新しいことに手を出せるのは、失うことを恐れておらぬからでござろう。

1日500円で五年を過ごした者にとって、恐ろしいものはそう多くない。

そして今、伴侶である木南晴夏殿と二人の子を持つ家をお持ちでござる。

――守るべきものができた。

それでもなお挑まれるのは、あの五年で身に付いた足腰があるゆえじゃ。

底を知っておる者は、上がった後も崩れぬ。恐れる下限を、既に見ておるゆえ

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

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【実家は金持ち!?1日500円と3つのバイトについてのまとめ】

今回は玉木宏殿について調査してみた!

一つ。玉木宏殿は16歳の折、地元の名古屋にて見出され、高校を出ると同時に上京された。

二つ。当時の暮らしは1日500円、家賃6万円台の築55年の木造であったという。

三つ。「シャワーはなかったですね。いわゆる浴槽で水をためてガスでガチャって」

四つ。働き口は「ゴルフ練習場の中にあるレストラン」「深夜のコンビニと引っ越し屋。3つ掛け持ち」

五つ。「バイトを辞めてこの仕事一本で生活ができるようになったとき。それが23歳でした」

吾輩は玉木宏殿に対して、底を知っておる御方、と思ったんだがお主は玉木宏殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

ENCOUNT(16歳で芸能界入りの玉木宏、23歳までアルバイト3つかけもち『ウォーターボーイズ』後も続いたバイト生活・2025年8月9日/日本テレビ系『ニノさんとあそぼ』2025年8月8日放送)

モデルプレス(玉木宏、下積み時代を経て今抱く野望「上り詰めたいという気持ちがある」岡田健史の成長に期待も<「桜の塔」インタビュー>・2021年4月15日)

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