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巷に騒がれる、舘ひろし殿:私事は書かぬ。ならば学び舎との縁を語ろうぞについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1950年3月31日、愛知県名古屋市のお生まれ
- 本名は、舘廣と申される
- 名古屋市立新栄小学校から、白山中学校を出られた
- 愛知県立千種高等学校にて、ラグビー部の主将を務められる
- 医者を志すも、試しに及ばなんだ
- 絵が好きゆえ、建築家を志されるようになる
- 二浪の末、千葉工業大学に入られた
- 寮の厳しさに耐えかね、夜逃げされたという
- 原宿にて、二輪の組を立ち上げられる
- 1975年、楽団の歌い手として世に出られた
- 1976年、映しの作にて銀幕に立たれる
- 2021年3月22日、入学から51年を経て卒業証書を授かられる
【私事は、書かぬことにいたす】

吾輩が今宵語るは、舘ひろし殿と学び舎の話でござる。
――だがその前に、断っておかねばならぬことがある。
旧い読み物には、私事が細かく書かれておってな。
――馴れ初めがどうの、暮らしの極意がどうのという話でござる。
だが、その出どころが辿れなんだ。
――そして、この稿では私事そのものを扱わぬことにした。
お相手は、世に出ておられぬ御方でござるからな。
――書かれても、何も言えぬのでござる。
しかも、家の中のことは移ろうものでござる。
――外から書き立てるのは、筋が通らぬ。
ゆえに、この稿では一切書かぬ。
――その代わり、実に良い話を並べよう。
この御方と、学び舎との縁でござる。
――これが、まことに面白いのでござる。
まず、始まりから申そう。
――お生まれは、愛知県名古屋市でござる。
そして、小学生の頃はどうであられたか。
――鈍臭かったそうな。
しかも、あだ名が付いておってな。
――「どんくさ舘」と呼ばれておられたという。
あの姿からは、想像もつかぬのう。
――ところが、高校で変わられるのでござる。
愛知県立千種高等学校へ進まれてな。
――そこで、ラグビー部の主将を務められたのじゃ。
どんくさ、と呼ばれた子が主将でござるよ。
――人は、変わるものでござるな。
どんくさ舘、というあだ名についても申しておこう。
――小学生の頃のことでござる。
鈍臭かったゆえに、そう呼ばれておられたという。
――いまの姿からは、まるで想像がつかぬ。
そして、高校ではラグビー部の主将でござる。
――数年で、まるで違う者になっておられるのじゃ。
人は、変わるものでござるな。
――吾輩も、そう思うのでござるよ。
医者を志された、という話も味わっておこう。
――ところが、学びをろくにされなんだそうな。
そして、試しに落ちられたのじゃ。
――実に、正直な話でござろう。
そこで、絵が好きだからと建築家を志される。
――道の選び方が、実に軽やかでござるな。
そして、二浪の末に入られたのでござる。
――二浪でござるよ。
この御方の学び舎を、もう一度並べておこう。
――名古屋市立新栄小学校でござる。
そして、名古屋市立白山中学校を出られた。
――高校は、愛知県立千種高等学校でござる。
そして、千葉工業大学でござった。
――いずれも、名がしかと残っておるのじゃ。
辿る側としては、実にありがたいことでござる。
――憶測を挟む余地が、どこにも無いのでござるからな。
私事を書かぬ理由を、もう一度申しておこう。
――お相手が、世に出ておられぬ御方でござるからな。
書かれても、何も言えぬのでござる。
――そして、その話の出どころも辿れなんだ。
ならば、書かぬのが筋でござろう。
――これが、この場の作法でござる。
【夜逃げの四棟と呼ばれた男】

さて、ここからが学び舎の話でござる。
――この御方は、初め医者を志しておられた。
ところが、学びをろくにされなんだそうな。
――そして、医の大学の試しに落ちられたのじゃ。
そこで、道を変えられる。
――絵を描くのが好きであられたゆえな。
建築家になろう、と決められたのでござる。
――そして、二浪の末に千葉工業大学へ入られた。
二浪でござるよ。
――ところが、ここからが面白いのでござる。
その大学の寮に入られてな。
――その寮が、たいそう厳しかったそうな。
そして、この御方はどうされたか。
――夜逃げされたのでござる。
夜逃げでござるよ。
――しかも、その話が伝説になっておってな。
学生の間で「夜逃げの四棟」と呼ばれておるという。
――五十年経っても、語り継がれておるのでござる。
そして、この頃に別の道と出会われる。
――ある映しの作を観て、二輪に憧れられたのじゃ。
革の上着に色眼鏡、そして大きな二輪でござる。
――やがて原宿で、二輪の組を立ち上げられた。
そして、それが芸能の者の目に留まるのでござる。
――1975年、楽団の歌い手として世に出られた。
翌1976年には、映しの作にも出られておる。
――つまり、学び舎から遠ざかってゆかれたのでござる。
そして長らく籍を置いたまま、中退されたのじゃ。
――ここまでなら、よくある話でござろう。
夜逃げの伝説についても、もう少し語らせてくれ。
――寮の厳しさに耐えかね、逃げられたのでござる。
そして、その話が学生の間で語り継がれておる。
――「夜逃げの四棟」という名でござるな。
五十年経っても、残っておるのでござるよ。
――それだけ、鮮やかな逃げ方であられたのでござろう。
そして、その逃げた先で二輪と出会われた。
――逃げた先に、道があったのでござる。
二輪との出会いについても、少し申しておこう。
――ある海の外の映しの作を観られたのがきっかけでござった。
二輪に乗る若者を描いた作でござるな。
――そして、憧れられたのじゃ。
革の上着に色眼鏡、そして大きな二輪。
――その姿が、後の看板となってゆくのでござる。
映しの作に憧れた者が、映しの作に出る側になる。
――良い巡り合わせでござるな。
ラグビー部の主将、という話も味わっておこう。
――これは、体だけでは務まらぬ役目でござる。
皆をまとめ、引っ張らねばならぬのでござるからな。
――鈍臭いと呼ばれた子が、でござるよ。
高校の三年で、そこまで変わられたのじゃ。
――後に人を率いる役を数多く演じられる訳も、分かろう。
その芯は、この頃に作られたのでござろう。
――吾輩は、そう思うのでござるよ。
二輪の組を立ち上げられた話も、少し添えておこう。
――原宿と表参道を拠点にされたという。
そして、その組が芸能の者の目に留まった。
――1975年、楽団の歌い手として世に出られたのじゃ。
つまり、遊びが仕事になったのでござる。
――学び舎から、遠ざかる訳でござるな。
【未来予想図-51年目の卒業証書】

さて、ここからが吾輩の一番申したいところでござる。
――この御方が学びを休んでおられた間のことでござる。
母君が、名古屋から毎年出てこられておったという。
――何のためか。
学費を、納めるためでござる。
――しかも、ご本人には内緒でござった。
そして、それが十年続いたのじゃ。
――十年でござるよ。
息子は、二輪に乗り、楽団を組み、映しの作に出ておられた。
――学び舎へは、戻る気配も無かったであろう。
それでも、母君は納め続けられたのでござる。
――いつか戻るかもしれぬ、と思われたのでござろうか。
この話を聞いて、胸に来ぬ者はおるまい。
――そして、話には続きがあるのでござる。
2021年3月22日のことでござった。
――千葉工業大学に、ある制度がござってな。
特別に卒業を認める制度でござる。
――それに基づき、卒業証書が授けられたのじゃ。
入学から、五十一年でござる。
――工学部の建築学科の、卒業でござった。
つまり、建築家を志して入られた学科でござる。
――その卒業を、七十を過ぎてから受け取られたのでござる。
母君が納め続けられた十年分の学費。
――それが、五十一年目にして形になったのでござる。
夜逃げの伝説を残した男が、卒業証書を受け取る。
――これほど良い話も、そうそうござらぬ。
私事を書かずとも、語ることは山ほどあるのでござるよ。
――吾輩は、そう思うのでござる。
母君の十年についても、もう一度申しておこう。
――名古屋から、毎年出てこられた。
そして、学費を納められたのでござる。
――しかも、息子には内緒でござった。
つまり、恩に着せるつもりも無かったということでござる。
――ただ、道を残しておきたかったのでござろう。
そして五十一年後、その道が形になった。
――これほど良い話も、そうそうござらぬ。
五十一年目の卒業について、もう一度申しておこう。
――入られたのは、建築を学ぶ学科でござった。
そして、卒えられたのも同じ学科でござる。
――つまり、志した通りに終えられたのでござる。
五十一年かかって、でござるよ。
――そして、その間ずっと母君の思いが残っておった。
十年分の学費が、そこにあるのでござる。
――これほど重い卒業証書も、そうそうござらぬ。
最後に、この御方の道を一言で申そう。
――医者を志し、建築家を志し、そして役者になられた。
三度、道が変わっておるのでござる。
――しかも、その途中で夜逃げまでされた。
だが、母君はその道を残しておかれた。
――そして五十一年後、その道に戻られたのでござる。
捨てたはずの道が、最後に戻ってくる。
――これほど良い話も、そうそうござらぬ。
最後に、五十一年という数を噛みしめておこう。
――入られたのが、二十歳前後でござろう。
そして、卒えられたのが七十を過ぎてからでござる。
――その間に、幾つもの作に出てこられた。
それでも、学び舎は待っておったのでござる。
――そして、母君の思いも残っておった。
こういう話こそ、書くべきでござろう。
――吾輩は、そう思うのでござるよ。
【51年かけて卒業!?母が納めた学費についてのまとめ】
今回は舘ひろし殿について調査してみた!
吾輩は舘ひろし殿に対して、51年を経て、母の思いに応えられた勇者でござると思ったんだがお主は舘ひろし殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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