巷に騒がれる、高良健吾殿:人生の半分を役者で過ごしたと気づき、自分を認められた。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1987年11月12日、熊本県のお生まれ
- 2005年、日本テレビ系『ごくせん』に出演され、この道へ入られる
- 2006年、映画『ハリヨの夏』にて初主演を務められる
- 2007年、映画『M』が公開される
- 2008年、映画『蛇にピアス』が公開される
- 2011年、映画『軽蔑』が公開される
- 2012年、映画『苦役列車』が公開される
- 2013年、映画『横道世之介』が公開される
- 2016年、フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に出演される
- 2016年、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』に出演される
- 2019年7月17日、映画『アンダー・ユア・ベッド』の取材にて20代を振り返られる
- 2019年10月17日、フジテレビ系『モトカレマニア』の折に恋愛観を語られる
- 2020年、映画『夏、至るころ』が公開される
- 2021年、映画『あのこは貴族』が公開される
- 2021年、映画『くれなずめ』が公開される
- 2024年2月9日、俳優として20年の節目について語られる
【高良健吾が振り返った、キツかった20代】
2019年7月17日でござる。
映画『アンダー・ユア・ベッド』の取材にてな。
高良健吾殿が、自身の二十代を振り返っておられる。
この折、齢は三十一でござった。
そして、その言葉が重い。
「20代はキツかったけれど、たくさんの作品に出演させていただいて、本当は幸せの塊だったはずなんです」
……お主、聞かれたか。
「本当は」でござる。
吾輩は、ここで足を止めた。
考えてみられよ。
この御方は、2005年にこの道へ入られた。
……十七の歳でござる。
そして2006年、映画『ハリヨの夏』にて初主演を務められた。
2008年には映画『蛇にピアス』。
2012年には『苦役列車』、2013年には『横道世之介』。
……二十代のうちに、名の残る作をいくつも並べておられる。
外から見れば、これほど恵まれた二十代もあるまい。
それを、この御方は「キツかった」と言うておられる。
……そして、本当は幸せの塊だったはず、と。
つまり、その最中は幸せと感じておられなんだのでござる。
吾輩は、ここが切ないと思うた。
たくさんの作に出るというのは、たくさん働くということじゃ。
……そして、そのたびに評される。
十代から二十代を、その中で過ごされた。
【本当は幸せの塊だったはず、と述べられる】
では、何が変わったか。
この御方は、こう述べておられる。
「人生の半分を俳優として過ごしたんだと思うと、少し自分を認められるようになって」
……お主、聞かれたか。
「人生の半分」でござる。
吾輩は、ここで数えてみた。
十七で入って、三十一。
……十四年でござる。
そして、生きてきたのは三十一年。
……半分に近い。
この御方は、そこで自分を認められたと言うておられる。
……なぜ、半分が節目になるのか。
吾輩の見るところ、こうでござろう。
半分を超えれば、それはもう「やっておること」ではない。
……「そういう者である」になるのじゃ。
自分は役者である、と言えるようになる。
そして「少し」と付いておるのが良い。
……全部認められたのではない。
少しでござる。
そして、この御方は今の心持ちをこう述べておられる。
「30代になってすごく楽しいし、改めて俳優という仕事を簡単に手放したくないなと思っています」
……「簡単に手放したくない」でござる。
吾輩は、この言い方に唸った。
続けたい、ではないのじゃ。
……手放したくない、でござる。
つまり、手放す道もあると分かっておられる。
……二十代がキツかったゆえでござろう。
辞めることを、考えた日もあったのやもしれぬ。
そして、越えて三十になった。
……そこで、楽しいと言えるようになったのじゃ。
【未来予想図-後から気づいた御方】
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
高良健吾殿という御方は、どう歩んでこられたか。
吾輩は、この御方は後から気づく型でござると見る。
二十代の最中は、キツかった。
……そして三十を過ぎて、あれは幸せだったと気づかれた。
考えてみられよ。
これは、悪いことばかりではござらぬ。
……そして、伸びが止まる。
足りぬと思うておる者だけが、次を取りにゆくのじゃ。
この御方が二十代で多くの作に出られたのは、そのゆえでござろう。
歩みを並べてみよう。
1987年11月12日、熊本県のお生まれ。
2005年、日本テレビ系『ごくせん』に出演され、この道へ入られた。
2006年、映画『ハリヨの夏』にて初主演を務められる。
2007年、映画『M』が公開される。
2008年、映画『蛇にピアス』が公開される。
2011年、映画『軽蔑』が公開される。
2012年、映画『苦役列車』が公開される。
2013年、映画『横道世之介』が公開される。
2016年、フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』とNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』。
2020年、映画『夏、至るころ』が公開される。
2021年、映画『あのこは貴族』と『くれなずめ』が公開される。
……途切れておらぬ。
では、これから何が起きるか。
吾輩の見立てでは、この御方は四十代で一番良くなる。
訳を申そう。
二十代は、キツかったと述べておられる。
三十代は、楽しいと言うておられる。
……上がっておるのでござる。
そして、四十を過ぎれば役の中身が変わる。
……背負うものが増える役が来る。
キツい二十代を通った者は、それを演じられよう。
そしてもう一つ。
吾輩は、この言葉が若い衆に効くと見る。
今がキツいと感じておっても、後から幸せだったと分かることがある。
……そして、それは今は分からぬのでござる。
分からぬまま、続けるしかない。
その最中に幸せだと分かっておる者は、そこで満たされて止まるのでござる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【20代はキツかった!?幸せの塊だったについてのまとめ】
今回は高良健吾殿について調査してみた!
一つ。2019年7月17日、映画『アンダー・ユア・ベッド』の取材にて高良健吾殿が二十代を振り返られた。
二つ。「20代はキツかったけれど、たくさんの作品に出演させていただいて、本当は幸せの塊だったはずなんです」
三つ。「人生の半分を俳優として過ごしたんだと思うと、少し自分を認められるようになって」
四つ。「30代になってすごく楽しいし、改めて俳優という仕事を簡単に手放したくないなと思っています」
五つ。続けたい、ではなく手放したくない。手放す道もあると分かっておられるのでござる。
吾輩は高良健吾殿に対して、後から気づく御方、と思ったんだがお主は高良健吾殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
クランクイン!(高良健吾、キツかった20代を乗り越え「俳優という仕事を手放したくない」<映画『アンダー・ユア・ベッド』>・2019年7月17日)
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