巷に騒がれる、山本耕史殿:十歳で立った舞台に十六年後に別の役で戻られた話と、当たり役の話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1976年10月31日、東京都新宿区のお生まれ
- 零歳の頃より、乳児の模特として活動を始められる
- 1987年、十の齢で名高き歌の舞台にて舞台に立たれる
- 1993年、十六の齢で芝居に出演し、広く名を知られる
- 1995年、連続の芝居にて初主演を務められる
- 1996年、動く絵の物語にて声の仕事も務められる
- 1997年、自ら詞と曲を手がけた一枚にて歌い手として世に出られる
- 1998年、異国の歌の舞台の日本初演に出演される
- 2003年、十六年前に立った舞台へ、念願の役で戻られる
- 2004年、大河の芝居にて名高き武人を演じられる
- 2010年、自ら演出も手がけ、主演も務められる
- 2021年、古戦場のある町の観光の大使に就かれる
【零歳から人前に立たれる】

巷で山本耕史殿と申せば、舞台の名手として名高き御仁でござる。
1976年10月31日、東京都新宿区のお生まれ。
だがお主、この御仁がいつから人前に立っておられるか存じておるか。
――零歳からでござる。
乳児の模特として、活動を始めておられたのじゃ。
お主、零歳でござるぞ。
――本人の意思など、あろうはずもない。
そして1987年、十の齢のときでござる。
この国で初めて上演された、ある歌の舞台に立たれた。
――革命を描いた、あの名高き演目じゃ。
そこで演じられたのは、
――少年の革命家の役どころでござった。
この役は、その演目における名物の一つでござる。
そして1993年、十六の齢で芝居に出演され、
――ここで広く名を知られることとなる。
車椅子に乗った役どころであった。
1995年には連続の芝居で初主演も務められ、
1996年には動く絵の物語で声の仕事にも挑まれた。
――十代のうちに、既に幅広く動いておられる。
零歳から人前に立つというのは、考えてみれば奇妙な話でござる。
本人に、選んだ覚えなどあるまい。
――気づいたら、この世界におったのじゃ。
そういう者は、二つに分かれる。
――嫌になって離れるか、
――そのまま極めるか、でござる。
この御仁は、後者であられた。
十で舞台を踏み、
十六で芝居に出て、
十八で連続の芝居の主演。
――一度も、離れておられぬ。
そして五十を前にしたいまも、
舞台を軸に立ち続けておられる。
――生涯、この道におられるのじゃ。
そしてデビューからずっと個人の事務所に所属しておられるという。
――自分の足で立っておられるのでござるな。
【十歳の舞台へ、十六年後に戻られる】

そして1997年、この御仁は歌い手としても世に出られた。
しかもこの一枚、
――詞も、曲も、弦の演奏も自ら手がけておられる。
そしてこの曲、実は――
――高校二年の頃に作られたものであった。
お主、これは驚かぬか。
中学一年の頃に友と組を作って弦を弾き、
翌年からは曲作りを始めておられたという。
――音楽の下地も、しっかり積んでこられたのじゃ。
1998年、二十一の齢のときでござる。
異国の歌の舞台の日本初演に出演された。
そしてこれが、
――役者としての見方が変わるほどの転機となる。
そこから海の外へも目を向けられるようになり、
――ある芸の道の御方に異国の言葉を習い、
二十三の齢のときには三月ほど、
――彼の地で暮らしておられたという。
そして2003年でござる。
吾輩が最も語りたいのは、この話じゃ。
十の齢で立ったあの舞台に、
――十六年後、別の役で戻ってこられた。
しかもその役は、
――初演の時からずっと念願であった役どころでござった。
お主、これがどれほどのことか分かるか。
十の齢で少年の役を演じた者が、
二十六で、その物語の若き主役級を演じるのじゃ。
――同じ舞台に、形を変えて戻ってこられた。
吾輩、この話を知って胸が熱くなったわ。
歌い手としての顔も、忘れてはならぬ。
詞を書き、曲を作り、弦を弾く。
――全て、自分でやっておられる。
しかも世に出した一枚は、
高校二年の頃に作った曲であったという。
――お主、これは驚かぬか。
十七か十八の頃に作った曲が、
二十を過ぎて世に出るのじゃ。
そして中学一年で組を作り、
翌年から曲作りを始めておられた。
――早い、実に早い。
その後も自らの名を冠した組で盤を出し、
催しまで開いておられたとか。
役者であり、
歌い手であり、
そして演出まで手がけられる。
――一人で、幾つもの顔をお持ちなのじゃ。
【未来予想図-土方を六度演じられて】

そして2004年、大河の芝居に出演される。
演じられたのは、
――新選組の副長を務めた、あの武人でござった。
この役で、この御仁は一気に人気を博される。
ちなみにこの抜擢には、経緯がある。
2000年のある歌の舞台に出ておられた折、
――その脚本を書かれた御方に見初められたのじゃ。
そして2006年、視聴する者たちの声に応え、
――大河として初の続編が作られた。
そこでもこの御仁が主演を務めておられる。
さらに2015年には、朝の連続の芝居にて
――九年ぶりに同じ武人を演じられた。
お主、これは異例中の異例でござるぞ。
大河と朝の芝居で、同じ者が同じ役を演じる。
――そのようなことは、まず起こらぬ。
そして局からの熱烈な求めがあってのことだという。
この武人を、この御仁はこれまでに
――六度も演じておられる。
まさに当たり役でござろう。
ご本人もこう語っておられる。
何度この人物になり、力を借りたことだろう。
――いつか自分が恩返しを、と思うておったと。
――良い言葉ではないか。
2005年には年の瀬の大きな歌の場の司会も務められ、
2010年には自ら演出まで手がけて主演もされた。
――作る側にも回っておられるのじゃ。
そして2021年には、古戦場のある町の観光の大使にも就かれた。
――こちらも、大河で演じた縁からだという。
この御仁の人となりも少し添えておこう。
趣味は体を鍛えること。
――しかも「譲れぬ決まり」を課すほどの拘りようだとか。
そしてある名高き絵物語の大の好み手であられ、
――役作りの参考にすることもあるという。
あの武人を演じる折には、
その物語のある人物を参考にされたとか。
――なんとも面白い役作りでござるな。
零歳から人前に立ち、
十で舞台を踏み、
十六年後に念願の役で戻り、
そして当たり役を六度演じられた。
――これぞ、生涯の役者でござる。
最後に、吾輩がこの御仁を敬う理由を述べておこう。
この御仁は、役を大事にしておられる。
六度演じた武人について、こう語っておられた。
何度その人物になり、力を借りたことだろう、と。
そして、いつか自分が恩返しをと思うておった、と。
――役を、生きた者として扱っておられるのじゃ。
普通、役は道具でござる。
演じ終われば、脱ぎ捨てるもの。
――だがこの御仁は、そうされぬ。
感謝し、恩を返そうとされる。
――こういう役者が、名演を残すのでござろう。
そして古戦場のある町の観光の大使にも就かれた。
――演じた縁が、そのまま繋がっておるのじゃ。
この先この御仁がどこへ進まれるか、吾輩には分からぬ。
だが零歳から続く道でござる。
――この先も、続いていくのでござろう。
考えてみればじゃ。
零歳で人前に立ち、
十で舞台を踏み、
十六で世に名を知られ、
十八で連続の芝居の主演、
二十で自作の曲にて歌い手となり、
二十一で異国の演目に出て、
二十六で念願の役に戻り、
二十七で大河にて当たり役を得て、
そして三十三で自ら演出まで手がけられた。
――止まった年が、一つもござらぬ。
そして五十を前にしたいまも、
舞台に立ち続けておられる。
――これぞ、生涯の役者でござる。
お主も、この御仁の舞台を一度観てみられよ。
――四十年以上の積み重ねが、そこにあるのじゃ。
そして体を鍛えることを趣味とされ、
「譲れぬ決まり」まで課しておられる。
――己に厳しい御仁なのでござる。
だからこそ、四十年以上も第一線におられる。
そしてある絵物語の大の好み手であられ、
役作りの参考にすることもあるとか。
――好きなものを、仕事に活かしておられるのじゃ。
吾輩、この御仁を大いに敬っておるぞ。
そして舞台を活動の軸としておられる。
画面の場で名を成した者が、
――あえて舞台に立ち続けられるのじゃ。
舞台は、その日限りのもの。
そして客の目の前で演じる場でござる。
――ごまかしが、一切効かぬ。
そこへ立ち続けられるというのは、
腕に自信がなければできぬことでござるよ。
そして零歳から人前に立ってこられた御仁じゃ。
――人前に立つことが、体に染みておられる。
だからこそ、あの落ち着きがあるのでござろう。
お主も、この御仁を画面で見かけたならば
――四十年以上の年月を思い出されよ。
あの佇まいは、一日で作れるものではないのじゃ。
吾輩、この御仁を心から敬っておるぞ。
【十歳の舞台に十六年後!?土方は六度についてのまとめ】
今回は山本耕史殿について調査してみた!
吾輩は山本耕史殿に対して、十歳の舞台へ十六年後に戻り、当たり役を六度演じられた歩みと思ったんだがお主は山本耕史殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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