巷に騒がれる、明日海りお殿:劇団史上初の準トップ!?大劇場主演は12作について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1985年6月26日、静岡県静岡市にて生誕。一人っ子。
- 1歳から水練、3歳から舞踊、4歳から琴と習字を習う。
- 中学3年の夏、友の借してくれた月組公演の映像を観て宝塚に心を奪われる。
- 2001年、宝塚音楽学校に入学。
- 2003年、音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に89期生として入団。入団時の成績は8番。
- 2003年4月から5月、月組公演『花の宝塚風土記』『シニョール ドン・ファン』にて初舞台。
- 2008年1月、バウ・ワークショップ『ホフマン物語』にてバウホール公演初主演。
- 2008年3月から7月、『ME AND MY GIRL』にて新人公演初主演。以後4作続けて新人公演の主演を務める。
- 2011年11月、『アリスの恋人』にてバウホール・東上公演の単独初主演。
- 2012年、劇団史上初となる月組準トップスターに就任。
- 2013年3月25日付で花組へ組替え。
- 2014年5月12日付で花組トップスターに就任。
- 2019年、『恋スルARENA』にてタカラジェンヌとして初の横浜アリーナ公演を開催。
- 2019年11月24日、『A Fairy Tale/シャルム!』東京公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団。
- 2020年元日付で研音に所属し、活動を再開。
- 2020年11月から、NHK連続テレビ小説『おちょやん』に出演。
- 2021年、『ポーの一族』にて退団後初の舞台に立つ。
【劇団史上初の準トップスター】

明日海りお殿は1985年6月26日の生まれ、静岡県静岡市の出にござる。一人っ子であられる。
習い事の多い幼き日であった。1歳から水練、3歳から舞踊、4歳からは琴と習字。体を使うことと、手を使うことの両方を積んでこられたわけじゃ。
宝塚と出会うたのは、中学三年の夏でござる。舞踊の教室の友から借りた月組公演の映像を観て、心を奪われたという。
そこからが凄まじい。ご両親は、一人娘が親元を離れて厳しい芸の道へ入ることに大反対された。だが明日海りお殿は三日三晩部屋にこもって泣き続け、しまいには熱を出して寝込まれたのじゃ。
その姿を見たご両親が「そんなに言うのなら受けてみなさい」と折れた。十五の齢で、己の一生を賭けて親を説き伏せたということでござる。
宝塚を初めて劇場で観たのは、受験の直前でござった。ラジオ番組『ビバ!タカラジェンヌ』の聴き手への贈り物に応募したところ札が当たり、母上と共に月組公演『ゼンダ城の虜/ジャズマニア』を観ておられる。
2001年、宝塚音楽学校に入学。2003年に卒業し、宝塚歌劇団に89期生として入団された。入団時の成績は8番でござった。
初舞台は2003年4月から5月の月組公演『花の宝塚風土記』『シニョール ドン・ファン』。そのまま月組に配属となる。
そこからの積み上げが、また見事でのう。2008年1月のバウ・ワークショップ『ホフマン物語』でバウホール公演初主演。同年3月からの『ME AND MY GIRL』で新人公演初主演を務め、以後4作続けて新人公演の主演を任されておる。
入団の成績が8番というのも、あとから見れば面白い。首席ではないのじゃ。だがそこから十一年をかけて、組の頂に立たれたのでござる。
そして2012年、劇団史上初となる月組準トップスターに就任。それまで無かった役どころが、この御仁のために設けられたということじゃ。
ここで、宝塚に取り憑かれた娘の話をもう少しいたそう。これが実に良い話でのう。
映像を観た翌日、明日海りお殿はご家族と香港へ旅立たれた。ところが、である。宝塚のことが頭から離れず、食事が喉を通らなんだというのじゃ。
せっかくの海の外の旅で、目の前の料理も入らぬ。そして痩せて帰国された。齢は十四か十五でござるよ。
十四の子どもが、一本の映像を観ただけで飯も食えぬほどになる。これはもう、憧れというより取り憑かれたと申すべきじゃ。その後に三日三晩泣き続けたと聞いても、もはや驚くまい。
【花組トップとして残した記録】

2013年3月25日付で花組へ組替え。そして2014年5月12日付で、花組トップスターに就任された。
お披露目は同年6月の中日劇場『ベルサイユのばら-フェルゼンとマリー・アントワネット編-』、大劇場でのお披露目は8月からの『エリザベート-愛と死の輪舞-』でトートを演じておられる。
ここから五年半。明日海りお殿は、いくつもの記録を残された。
一つ目。大劇場での主演は12作。これは平成以降に退団したトップとしては最も多い数でござる。
二つ目。トップの在任は五年半に及び、これは平成以降のトップでは三番目の長さじゃ。
三つ目。少し変わった記録もある。相手役が四人替わったのじゃ。蘭乃はな殿、花乃まりあ殿、仙名彩世殿、華優希殿。トップ制度が固まって以後では最も多い。
相手役が替わるたび、芝居の呼吸を一から作り直さねばならぬ。それを四度やって、なお十二作の大劇場主演を務め上げたということでござる。
海の外にも出ておられる。2015年には自身初となる台湾公演『ベルサイユのばら/宝塚幻想曲』に出演。
そして2019年には『恋スルARENA』にて、タカラジェンヌとしては初となる横浜アリーナでの公演を開いた。ここでもまた、初めての場に立っておられる。
トップスターというのは、組の顔でござる。芝居の主役を張るだけでなく、組全体をまとめる役でもある。それを五年半にわたって務め上げたということじゃ。
芸名の由来も語られておる。明るく未来へ向かっていく感じの名を、とご家族で考えられたのだそうな。「りお」は響きが好きであったからだという。
十二という数を、もう少し噛み砕いてみよう。
宝塚の大劇場公演は、一作おおよそ一月半から二月ほど。つまり五年半のあいだ、ほとんど途切れなく主演の座に立ち続けたということでござる。
その間に演じた役も幅が広い。『エリザベート』のトート、『ベルサイユのばら』のフェルゼン、『THE SCARLET PIMPERNEL』。死そのものを演じたかと思えば、次は貴族、その次は二重の顔を持つ男。
しかも相手役が四度替わっておるのじゃ。呼吸の合う相手と長く組めば、芝居は楽になる。だがそれが叶わなんだ。毎回、一から作り直しながら十二作を積んだということよ。
台湾での公演、横浜アリーナでの公演。劇場の外にも出ていかれた。宝塚という枠の中で、できることを片端からやり尽くした五年半でござる。
【未来予想図-退団してからの道】

さて、明日海りお殿の現在(いま)である。
2019年11月24日、四人目の相手役・華優希殿の大劇場お披露目となった『A Fairy Tale/シャルム!』東京公演の千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団された。
そして2020年元日付で研音に所属し、活動を再開しておられる。元トップ出身者が同じ事務所に入るのは、元月組トップの天海祐希殿に次いで二人目のことじゃ。
同じ年の11月から始まったNHK連続テレビ小説『おちょやん』に出演。これが退団してから初めてのドラマ出演でござった。
2021年には『ポーの一族』の舞台に立たれた。この作は、宝塚の頃に自身が主演した代表作である。
つまり男役の頃の当たり役に、今度は女優として挑まれたということじゃ。同じ物語を、まったく違う立ち位置から見直す。並の度胸ではできぬことよ。
変わった特技もお持ちでのう。「利き柔軟剤」と申されてな。柔軟剤が好きで様々な種類を集めておられるゆえ、すれ違うた人から香る柔軟剤の種類が分かるのだという。
十五の齢で親を説き伏せ、劇団史上初の役どころに就き、十二作の大劇場主演を積み、そして退団してからは女優として一から歩み直しておられる。
この先どのような役でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
退団してからの選び方も、なかなかに面白い。
普通に考えれば、男役の頃の当たり役には触れぬのが無難でござろう。比べられるだけじゃからのう。
ところがこの御仁は、退団後の初舞台にわざわざ『ポーの一族』を選ばれた。最も比べられる作を、あえて最初に持ってきたのじゃ。
十五の齢で親を説き伏せた娘は、四十を前にしても同じことをしておる。難しい方を選ぶ。そういう御仁なのでござろうな。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。
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【劇団史上初の準トップ!?大劇場主演は12作についてのまとめ】
今回は明日海りお殿について調査してみた!
吾輩は明日海りお殿に対して、劇団史上初の役どころに就き、大劇場主演を12作重ねた麗人、と思ったんだがお主は明日海りお殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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