巷に騒がれる、平野紫耀殿:十九で最年少座長!?記録を三歳更新について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1997年1月29日、愛知県名古屋市にて生誕。
- 小学2年の折より踊りを習い始める。
- 中学2年の折よりアクロバットにも取り組む。
- かつては名古屋の事務所に所属し、地元の組の初期の一員であった。
- 踊りの合宿で上京した折、名高い振付師の稽古を受ける。
- その場で事務所の長を紹介され、審査を受けることなく2012年2月に入所。
- 自ら望んで関西の側に所属し、踊りの腕を磨く。
- 2014年、『SHARK』にてテレビドラマ初出演にして初主演を務める。
- 2016年、19歳で博多座の最年少座長を務める。
- 2018年、『花のち晴れ』に出演。同年5月23日にCDデビュー。
- 2019年、ある雑誌の顔の順位にて上半期・下半期ともに一位となり殿堂入り。
- 2022年、『クロサギ』にて主演を務め、数多の主演男優賞を受ける。
- 2023年10月、新しい組Number_iの結成が発表される。
- 2024年1月10日、海外の名高い品の顔役に就任。
【審査を受けずに入所した】

平野紫耀殿は1997年1月29日の生まれ、愛知県名古屋市の出にござる。
この御仁がこの道に入られた経緯が、なかなか珍しい。
まず、踊りの下地から申しておこう。
小学2年の折より踊りを習い始められた。
そして中学2年からはアクロバットにも取り組まれておる。
宙返りや側転の類いでござるな。
さらに、かつては名古屋の事務所に所属し、
地元の組の初期の一員でもあられた。
つまり既に舞台に立った経験をお持ちであったのじゃ。
そして、その転機は思わぬところで訪れる。
踊りの稽古の合宿で上京された折のことでござる。
そこで、ある名高い振付師の稽古を受けることになった。
かつて数多の名だたる組の振り付けを手掛けてきた御仁でござる。
そして、その場で——
事務所の長を紹介されたのじゃ。
そして2012年2月、入所される。
ここで大事なことを申しておこう。
この御仁は——
審査を受けておられぬ。
何万という者が紙を送り、
そのうち一握りしか呼ばれぬ場でござる。
その手続きを丸ごと飛び越えて入られたのでござる。
踊りを見た者が、その場で決めたということでござろう。
そして、ここからの選択がまた面白い。
この御仁は、東京と関西のどちらに所属するかを
自分で選ばせてもらえたという。
東京ならば、すぐに表に出られる見込みが高い。
対して関西は、表での活動が限られる。
そう説明を受けたうえで、この御仁が選んだのは——
関西でござった。
その理由が良い。
人前に多く出るようになる前に、踊りの腕をもっと上げたかったからじゃ。
十五の若者が、目先の露出より稽古を取ったのでござる。
審査を受けずに入るということについて、
少し語らせてくれ。
この世界に入るには、普通は審査がござる。
紙を送り、呼ばれ、踊りや歌を見せ、そして選ばれる。
何万という者が送り、
そのうち一握りしか呼ばれぬのでござる。
その手続きを飛び越えるというのは、
よほど見込まれたということじゃ。
そして、この御仁の場合は
踊りの稽古の場で見つかっておられる。
つまり、踊っておるところを見られたのでござる。
紙の上の顔ではない。動いておる姿でござる。
小学2年から踊り、
中学2年からアクロバットも積んでおられた。
その積み重ねが、その場で伝わったのでござろう。
そして、もう一つ大事な話がござる。
この御仁は、既に地元で舞台に立った経験をお持ちであった。
名古屋の事務所に所属し、
地元の組の初期の一員でもあられたのじゃ。
つまり、まったくの素人ではござらぬ。
人前に立つということを、既に知っておられた。
その落ち着きも、見た者に伝わったのやもしれぬ。
ちなみに、この御仁が入所した折の話も残っておる。
入って初めての出演が、
ある組の公演であったという。
つまり、入ってすぐに舞台に立たれたのじゃ。
そして入所して間もなく、
事務所の長の指名により
関西の若手による組にも加わっておられる。
見つけられ、すぐに使われる。
それだけの腕を持っておられたということでござろう。
その頃はまだ名古屋にお住まいで、
仕事や稽古のために関西へ通っておられたという。
名古屋から関西へ、通いでござるぞ。
その後、東京へ移られたのじゃ。
【十九で最年少の座長に】

そして2014年、大きな仕事が回ってくる。
『SHARK』というドラマでござる。
この作にて、平野紫耀殿は——
テレビドラマ初出演にして初主演を務められた。
初出演が、いきなり主演でござる。
十七の頃でござるな。
この時の起用の理由も語られておる。
作り手の御仁が挙げたのが——
声でござった。
この御仁は、掠れた独特の声をお持ちじゃ。
その声が魅力的であったことが、
起用の理由の一つであったという。
面白いことに、この御仁ご自身は
その声を元々引け目に感じておられたそうな。
だが、それが仕事を呼んだのでござる。
人が気にしておるところほど、
外から見れば武器であったりするものでござるな。
そして2016年、この御仁は大きな記録を作られる。
帝国劇場から博多座へと続く舞台にて、
博多座の最年少座長を務められたのじゃ。
座長とは、その公演を率いる立場でござる。
出演者の頭であり、看板でもある。
そして、この時の齢が19歳。
それまでの記録は22歳であられた。
つまり——
記録を三歳も更新されたのでござる。
三歳でござるぞ。
この手の記録は、一歳縮めるだけでも大事でござる。
それを三つ縮められたのじゃ。
小学2年から踊り、中学2年からアクロバット。
そして関西で腕を磨くことを自ら選ばれた。
その積み重ねが、十九で座長という形になったのでござる。
座長という役目について、少し語らせてくれ。
舞台の座長とは、その公演の頭でござる。
出演者をまとめ、稽古を回し、
そして客席に対しては看板となる。
芝居が上手いだけでは務まらぬ。
人をまとめる力も要るのでござる。
それを十九で務められた。
しかも、それまでの記録は二十二歳でござった。
三歳も縮められたのじゃ。
この手の記録は、一歳でも大きい。
三歳となれば、なかなか破られまい。
そして、この御仁の声の話に戻ろう。
掠れた独特の声じゃ。
この声について、名高い笑いの御仁が
番組で真似をされたことがあるという。
その折、この御仁はこう述べておられる。
自分はこんなに声が掠れておったのだと再確認しました、と。
……なんとも正直な感想でござるな。
引け目に感じておったものを、
人に真似されて改めて気づく。
だが、その声が仕事を呼んだのでござる。
そして、この御仁には広く知られた一面がござる。
イケメンなのに天然ボケ、と言われることじゃ。
共に演じる者からも指摘され、
世の話題にもなったことがあるという。
整った見た目と、抜けた中身。
この落差こそが、この御仁が愛される理由でござろう。
ちなみに、この御仁が憧れておられた先達も
記録に残っておる。
同じ事務所の、名の知れた先達でござる。
そして、この道に興味を持った思い出の曲まで
挙げておられるのじゃ。
つまり、この御仁は憧れから入ったのでござる。
そして十九で座長を務め、
二十一でCDデビューを果たされた。
憧れた場所に、十年足らずで立たれたということじゃ。
【未来予想図-殿堂入りを二度】

さて、平野紫耀殿の現在(いま)である。
2018年、『花のち晴れ』に出演される。
この作の作り手は、放送の約一年前に
この御仁が出ておった舞台を観に行っておられた。
そして潜在的に華がある人だと
その素質に目を付けておられたという。
さらに初めて会った折、
想像以上の天然ぶりに確信を持ち、配役を決められたそうな。
そして実際に演じる姿を見て、こう評されておる。
原作を書いた御仁が、
この御仁を想定してその人物を生み出したのではないか、
その役をやるためにこの御仁がおるのではないか、
と思うほど嵌まっておる、とな。
そして同じ2018年5月23日、CDデビューも果たされた。
そこからの評価が、また凄まじい。
まず、ある雑誌の顔の順位でござる。
2018年上半期に次の世代の部門で一位。
そして2019年の上半期・下半期には、
現役の部門で二期続けて一位となり——
殿堂入りを果たされた。
さらに別の賞でも、2020年から2022年まで
メンズの部門で三連覇し、
こちらでも殿堂入りしておられる。
二つの殿堂入りでござるぞ。
見た目で選ばれる場を、二つとも極められたのじゃ。
だが、この御仁は見た目だけの御仁ではござらぬ。
2022年の『クロサギ』では主演を務められ、
その演技により数多の主演男優賞を受けておられる。
日刊スポーツのドラマグランプリ、
TV stationのドラマ大賞、
そしてザテレビジョンのドラマアカデミー賞。
いずれも主演男優賞でござる。
そして2023年、大きな転機が訪れる。
長く所属した組と事務所を離れられたのじゃ。
同じ年の7月には新しい会社へ合流され、
10月15日には新しい組の結成が発表された。
そして2024年1月10日には、
海の外の名高い品との縁も結ばれておる。
さらに別の化粧の品では、
初のアジアの顔役にも就任された。
審査を受けずに入った御仁が、
十九で座長となり、
二つの殿堂入りを果たし、
そしていま海の外の品の顔にまでなっておられる。
この先どのような姿でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
殿堂入りということについて、少し語らせてくれ。
顔の順位というのは、毎年入れ替わるものでござる。
その年に世に出た者が、上に来る。
つまり二年続けて一位を取るのが難しいのじゃ。
だが、この御仁は二期続けて一位を取られた。
そして殿堂入りとなり、順位の対象から外れる。
強すぎるゆえ、外されたということでござるな。
さらに別の賞でも三年続けて大賞を取り、
こちらでも殿堂入りしておられる。
二つの殿堂入りでござる。
だが、吾輩が思うにこの御仁の凄さは
そこではござらぬ。
見た目で殿堂入りしながら、
芝居でも賞を取っておられる点でござる。
2022年の『クロサギ』では、
三つの主演男優賞を受けておられるのじゃ。
見た目で選ばれる者は数多おる。
だが、そこから芝居で認められる者は少ない。
顔だけと言われぬために、
この御仁がどれだけ努めてこられたか。
そして2023年、長く所属した組と事務所を離れられた。
新しい場へ移り、新しい組を結成される。
二十六の折でござる。
築いてきたものを置いて、また一から始める。
十五の折に、目先の露出より稽古を取った御仁でござる。
その性分は、いまも変わっておらぬのでござろうな。
最後に、この御仁の歩みを並べておこう。
小学2年で踊りを始める。
中学2年でアクロバットも始める。
地元の組の初期の一員となる。
合宿で上京し、その場で見つかる。
審査を受けずに入所する。
露出より稽古を選び、関西を選ぶ。
十七でドラマ初出演にして初主演。
十九で最年少座長。
二十一でCDデビュー。
二十二で顔の順位を殿堂入り。
二十五で主演男優賞を三つ。
二十六で組を離れ、新しい組を作る。
……こう並べると、
この御仁の歩みには止まっておる時が一つも無い。
そして、そのすべての土台にあるのが
小学2年から続けてきた踊りでござる。
十五の折に「もっと踊りを磨きたい」と
関西を選ばれた御仁じゃ。
その選択が、いまの姿を作っておるのでござろう。
【十九で最年少座長!?記録を三歳更新についてのまとめ】
今回は平野紫耀殿について調査してみた!
吾輩は平野紫耀殿に対して、審査も受けずに入り、十九で座長となった若侍、と思ったんだがお主は平野紫耀殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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