【元JO1・大平祥生】実家は舞鶴!?家族構成と夢を掴んだ道

大平祥生 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、大平祥生殿:オーディションで4位!?舞鶴から夢を掴んだ道について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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  • 2000年4月13日:京都府舞鶴市にて生誕。
  • 2019年:EXPG京都オリジナルユニット「EXPG SWORD」参加、EXILE、三代目J SOUL BROTHERSメンバー小林直己とコラボレーション映像作品投稿。
  • 2019年:『PRODUCE 101 JAPAN』出演、川尻蓮、山田聡と共に3人組ユニット「UN backers」を組み、最終投票で4位にランクインし、JO1としてデビューが決定。
  • 2020年:JO1メンバーシングル『PROTOSTAR』デビュー。
  • 2023年:京都府文化観光大使就任。
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【EXPG京都校から始まった】

大平祥生のEXPG京都校から始まった

大平祥生殿は平成12年4月13日の生まれ、京都府舞鶴市の出にござる。海と山に囲まれた、静かな港町である。

踊りを始められた切っ掛けは、三代目J SOUL BROTHERSへの憧れであった。画面の向こうの姿に心を掴まれ、自らも踊る側へ回ろうと決められたわけじゃ。

通われたのがEXPG京都校。舞鶴から京都の街まで通うだけでも、相当の手間であったろう。

学びの方も工夫をされておる。全日制の高校から通信制の高校へ編入し、卒業までこぎ着けられた。踊りの時間を確保するための身の振り方である。

さらに高校生の時分、単身でアメリカへ一ヶ月のダンス留学に出ておられる。十代半ばで、言葉も通じぬ土地へ一人で飛び込まれたわけじゃ。

平成31年には、EXPG京都のユニット「EXPG SWORD」に参加。EXILE・三代目J SOUL BROTHERSの小林直己殿との共演の映像も世に出ておる。憧れた相手と並んで踊る日が、ここで一度目に訪れた。

得意技はブレイクダンスなどで用いる「シフト」「ダブルシフト」。趣味はカメラ、散歩、映画鑑賞、動画編集、そしてビート作りとのこと。作る側への関心が、あちこちに顔を出しておる。

舞鶴という土地は、京都府の北の端、日本海に面した港町である。京都の街まで出るには、山を越えて二時間ほどかかる。その道を通い続けた十代であった。

踊りの稽古というのは、通う手間が最も重い。近くに教室のない土地に生まれた者は、それだけで不利を背負う。その不利を、時間と体力で埋めてこられたわけじゃ。

なお、ご家族の事情について世間ではあれこれ語られておるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。ご本人が明かしておらぬご家族の身の上を書き並べるは、断じてやらぬ。

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【10代最後の挑戦で掴んだ4位】

大平祥生の10代最後の挑戦で掴んだ4位

この御仁の歩みで最も心を打つのが、「20歳には夢を諦める」と心に決めておられたことじゃ。

いつまでも追い続けるのではなく、期限を切る。厳しいようだが、これは覚悟の裏返しである。

そして十代最後の挑戦として、オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』に応募された。背水の陣であった。

番組では川尻蓮殿、山田聡殿とともに三人組のユニット「UN backers」を組まれた。そして最終の投票にて、4位にランクイン。デビューが決まった瞬間である。

期限を切った最後の年に、掴んだのじゃ。諦めるつもりで挑んだ者が頂の近くまで駆け上がる。まことに見事な話よ。

令和2年3月4日、JO1の一員としてシングル『PROTOSTAR』で世に出られた。担当の色は黄色であった。

掲げられた惹句は「見た目と中身のギャップ、知りたくない?」、そして「はんなり天使」。京の出らしい言葉遣いである。

験担ぎのような自分の決まりごととして、良い言葉を使うようにしておられるという。

夢を掴むために大事にしていることとして、「口に出していたら叶う」を挙げておられる。「夢を口に出していれば体が勝手に夢を叶えるための方向へと動く」との由じゃ。

この「口に出す」という考え方は、験担ぎのようでいて理に適っておる。口にすれば人が覚え、機会が回ってくる。何より、自分自身が引き返しにくくなる。

「20歳には夢を諦める」と決めたことも同じじゃ。期限を切れば、迷っておる暇がなくなる。この御仁は、自分を追い込む術を心得ておられた。

令和5年4月13日、ご自身の誕生日に京都府文化観光大使に就任された。生まれ育った土地から役目を託されるとは、何よりの誉れであろう。

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【未来予想図-ここからの歩み】

大平祥生の未来予想図-ここからの歩み

令和2年12月25日に公開された劇場アニメ『映画 えんとつ町のプペル』にて、デニス役で初めて声の仕事に挑まれた。デビュー後、初めて個人で受けた仕事でもある。

この現場での評判が良い。製作総指揮・原作・脚本を手掛けた西野亮廣殿は「凄く練習をしてきてくださって、その跡が見えたのでチームが締まった」と述べておられる。

「ヘソを曲げないというか、こっちがどんなリクエストをしても全部誠実に向き合ってくださって最高でした」とも。監督の廣田裕介殿も「すごく根性のある方」と評しておられる。

作り手の双方から努力を称えられる。これは技よりも、仕事への向き合い方を認められたということじゃ。

美への意識の高さでも知られる御仁であった。川尻蓮殿、川西拓実殿、木全翔也殿、鶴房汐恩殿ら複数の面々から、ビューティーアイコンとして名を挙げられておる。

楽曲「YOLO-konde」では、披露の際の化粧の演出を大平殿が担当された。見せ方まで自ら手掛けられたわけじゃ。

平成12年生まれで名の頭文字がSの四人は「S4」と呼ばれ、ファンに親しまれておった。同い年の縁というのは強いものよ。

さて、ここからは事務所が公にしておることを、そのまま記す。令和8年4月27日、同年5月31日をもって事務所との専属マネジメント契約を終了し、JO1としての活動を終えることが発表されておる。

発表されておらぬことについては、辿る手立てそのものが無い。憶測を並べたものなら数多あるが、いずれも出所に行き着かなんだ。

この記事も、当初はご家族の話を中心に据えておった。だが調べ直したところ、その多くに確かな出所が無かった。ゆえに、ご本人の歩みだけで書き直した次第じゃ。

デビューから六年余り。京都府の大使も務め、声の仕事にも踊りの演出にも手を伸ばしてこられた。この六年で積み上げたものは、決して小さくない。

人の家の内側は、外から覗くものではない。書いてよいのは、その人が自ら語ったことだけである。これは吾輩が自らに課しておる決まりごとにござる。

書けるのは、舞鶴の少年が期限を切って夢に挑み、四位を掴み、京都府の大使まで務めたという歩みじゃ。期限を切って挑み、掴んだ者の記録である。その事実は、これから先も消えるものではない。嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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【オーディションで4位!?舞鶴から夢を掴んだ道についてのまとめ】

今回は大平祥生殿について調査してみた!

吾輩は大平祥生殿に対して、素敵な家族に囲まれて美的センスを高めてきた若侍、と思ったんだがお主は大平祥生殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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