巷に騒がれる、北川景子殿:実家の親御が、この道へ出る折に掛けてくださった言葉について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1986年8月22日、兵庫県のお生まれ
- 幼き頃、テレビや映画は「都会の人がするお仕事」だと思うておられた
- 17歳の折、この道へ進むか否かを悩まれる
- モデルを経て、2003年に女優として歩み始められた
- 2006年、映画『間宮兄弟』で映画デビュー
- 2016年、『家売るオンナ』の三軒家万智役で広く知られる
- 2016年11月24日、父君の言葉について語られる
- 2023年、NHK大河ドラマ『どうする家康』にお市役で出演
- 2026年、映画『ナイトフラワー』で第49回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
- 2026年4月23日、17歳の折の親御の言葉を明かされる
【北川景子の実家は兵庫。都会の話だと思うておられた】
「北川景子殿の実家は金持ちではないか」と、よう検索されておる。
――先に申しておく。身代については、本人も何一つ述べておられぬ。家業についても、住まいの町についても書かぬ。
だが、この実家が何を言うたかは、はっきりしておる。そして、そちらの方が余程この御方を作っておる。
この御方は1986年8月22日、兵庫県のお生まれでござる。
そして幼き頃、この道についてこう思うておられたという。
「東京だったり都会の人がするお仕事だと思った」
――お主、ここが出発点でござる。
画面の中の仕事は、遠い都の話であった。……自分に関わりのあるものだとは、思うておられなんだのじゃ。
ところが十代で、事務所に入る話が来た。
そこで父君が掛けられた言葉が、これでござる。
「10代で自分の進みたい道や、やりたいことを見つけられたのは、すごく素晴らしいことだから頑張りなさい」
――お主、この言い回しをよう読んでほしい。
「頑張りなさい」だけではないのでござる。
その前に「見つけられたのは、すごく素晴らしいこと」が付いておる。
……やることではなく、見つけたことを褒めておられるのじゃ。
十代の子に「頑張れ」と言うのは易い。……だが「見つけたこと自体が立派だ」と言える親は、そう多くはあるまい。
そして、この御方はこう述べておられる。
「壁にぶつかった時は、父が言ってくれた言葉を思い出しますし、今でも大切にしています」
――今でも。三十を越え、賞を重ねてなお、でござる。
お主、考えてみられよ。十代で掛けられた一言を、二十年経っても持ち歩いておられるのじゃ。
……よほど効いたのでござろう。あるいは、言い方がよほど的を射ておったのでござろう。
この御方は兵庫で生まれ、十代までそこで育っておられる。都の仕事は、遠い誰かの話であった。
――その距離を縮めたのが、父君の一言であったわけじゃ。
【「まあダメなら帰ってきたらいい」と言われた17歳】
さて、話には続きがある。
2026年4月23日、映画の催しでのことじゃ。
「苦しい時期に救われた言葉」を問われて、この御方はこう答えられた。
「この仕事をするか、しないか悩んだ時に、親が『まあダメなら帰ってきたらいい』って言ってくれて。私は17歳だったんですけれども」
――まあダメなら帰ってきたらいい。
お主、この一言でござる。
頑張れ、でもない。負けるな、でもない。……ダメでもよい、と先に言うておられるのじゃ。
吾輩は、ここで唸った。
十七の娘が、生まれ育った土地を離れて都へ出ようとしておる。……親としては、案じもしよう。止めたくもなろう。
ところがこの親御は、止めるでもなく、煽るでもなく、帰る場所があると告げられた。
そして、もう一言。
「『こういう年齢で、若くしてやりたいかもしれない、やりたいと思うことを、見つけたということに自信を持つといい』と言われたことがすごく印象的です」
――ここでも「見つけたことに自信を持て」でござる。
父君が事務所に入る折に言われたことと、同じ筋じゃ。
……この家では、成し遂げたかどうかではなく、見つけたかどうかを見ておられるのでござる。
この御方は、こう結んでおられる。
「何になりたいか、どうなっていけばいいのか、わからない人もたくさんいると思いますが、『若くして夢を見つけたのであれば、そのことに対して自信を持つといい』というふうに両親に言われたことはすごく心に残ってるなと思います」
【未来予想図-帰る場所があったゆえ、出られた御方】
さて、ここからは吾輩の見立てを申し上げようぞ。
この二つの言葉を並べてみられよ。
――「見つけたことが素晴らしい」と「ダメなら帰ってきたらいい」でござる。
前者は、送り出す言葉じゃ。後者は、迎え入れる言葉でござる。
……この親御は、その両方を先に渡しておられる。
お主、ここが肝要でござるぞ。
「帰ってきたらいい」と言われた子は、逃げるのではない。――思い切り行けるのでござる。
帰る場所が無ければ、失敗が怖くて縮こまる。……あると分かっておれば、思い切って踏み込める。
この御方は十七で兵庫を出て、女優として歩み始められた。そして三十を越えて、大河にも出られ、賞も重ねておられる。
――結局、帰らずに済んだ。
だが吾輩は、こう思うのでござる。……帰らずに済んだのは、帰ってよいと言われておったからではないか。
もっとも、これは吾輩の勝手な図でござる。……ご本人がそう述べられたわけではない。
ただ、この御方は壁に当たる度に父君の言葉を思い出すと言うておられる。そして四十を前にした催しの場で、いまだに十七の折の話をしておられる。
――十七で受け取ったものを、まだ使うておられるのでござる。
身代の話は分からぬ。家業も分からぬ。
だが「ダメなら帰ってきたらいい」と言える実家であったことは、確かでござる。
……それが、この御方の実家でござろう。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家の親が言うた!?ダメなら帰ってきたらいいについてのまとめ】
今回は北川景子殿について調査してみた!
一つ。北川景子殿の実家は兵庫県にある。幼き頃、この道は「東京だったり都会の人がするお仕事だと思った」という。
二つ。事務所に入る折、父君は「10代で自分の進みたい道や、やりたいことを見つけられたのは、すごく素晴らしいことだから頑張りなさい」と言われた。
三つ。この御方は「壁にぶつかった時は、父が言ってくれた言葉を思い出しますし、今でも大切にしています」と述べておられる。
四つ。17歳で悩んでおられた折、親御は「まあダメなら帰ってきたらいい」と言われた。
五つ。そして「若くして夢を見つけたのであれば、そのことに対して自信を持つといい」とも。
六つ。……成し遂げたかどうかではのうて、見つけたかどうかを見ておられる家でござる。
★身代についても家業についても、本人は述べておられぬ。住まいの町も書かぬ。
吾輩は北川景子殿に対して、帰る場所があったゆえ、思い切り出られた御方、と思ったんだがお主は北川景子殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
マイナビニュース(北川景子、父親の言葉で芸能界入りを決意「今でも大切にしています」・2016年11月24日)
モデルプレス(北川景子、17歳で直面した葛藤と両親からの言葉明かす・2026年4月23日/映画『未来』公開直前プレミアムトークイベント)
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