巷に騒がれる、諸星和己殿:実入りのうわさと、30で海を渡られた話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1970年8月12日、静岡県富士市のお生まれ
- 1984年5月に上京し、後に大きな事務所へ入られる
- 1987年、ローラースケートで歌い踊る光GENJIの一人として世に出られた
- グループの中でも、人気と知名度は最も高かったという
- 1991年、ミュージカルにて初めて主役を務められる
- 1994年、ソロのシングルを出しオリコン9位を記録された
- 1995年のグループの解散の後、事務所から独り立ちされた
- 解散の後、ニューヨークへ拠点を移される(三十の頃と伝わる)
- 移られた当初は、言葉も分からず糧も乏しかったという
- 2000年、自らの音楽レーベルを立ち上げられた
- 2007年、シングル『なぁ』がオリコンのインディーズ部門で1位を得る
- 2009年、独立してより初めてミュージカルの主役を務められた
【グループの顔として、頂を極められた】
吾輩が今宵語るは、諸星和己殿の歩みでござる。
この御方の収入について、巷にはうわさが流れておる。
だが、本人も事務所も額を公にしてはおられ申さぬ。
生まれは1970年8月12日、静岡の富士でござってな。
――1984年5月に上京され、後に大きな事務所へ入られた。
そして1987年、ローラースケートで歌い踊る光GENJIの一人として世に出られたのでござる。
――あの型は、当時まことに衝撃でござったな。
そしてこの御方は、グループの中でも人気が最も高かったと言われておってな。
――盤の絵や貼り紙でも、中心に立っておられることが多かったのじゃ。
装いも、一工夫された物を身に着けておられてな。
――まさに、グループの顔と言うてよい立ち位置でござった。
1991年には、ミュージカルにて初めて主役も務められておる。
――そして1994年には、ソロのCDも出しておられるのじゃ。
その盤は、ランキングの九位を記録されてな。
――グループの一員としてだけでなく、独りでも上位に食い込む力があったのでござる。
お主、ここが大事な所でござるぞ。
――グループの人気に乗っておっただけでは、ないのでござるよ。
そして1995年、グループは解散となり申した。
――さらに、事務所からも独り立ちされたのでござる。
頂を極めたグループの、その顔であった御方がでござる。
頂に立った後の歩み方は、人それぞれでござる。
布袋寅泰殿が五十でロンドンへ渡った話では、日ノ本での名を置き、無名からやり直された。座右の銘は「最新のHOTEIが最高のHOTEI」じゃ。
一方、秋元真夏殿のグループ卒業後の歩みでは、昼の番組の席を「芸能界に入ってからずっと夢に抱いてた」と語っておられる。
海を渡って一から始める者もおれば、国の内で席を増やす者もおり、頂の後にこそその人の選び方が出るのう。
二十五で解散を迎えた折を、この御方は「いろんな人が去った。昨日と明日が違う」と振り返っておられてな、諸星和己殿が己の口で語った言葉に残っておる。
――ここからが、今宵の本題でござってな。
【30で海を渡り、一から始める】
グループの解散の後、この御方は紐育へ拠点を移されたのでござる。
――三十の頃のことと伝わる。
お主、これがどれほどの決断か分かるかな。
――日ノ本では、知らぬ者のない御方でござったのじゃ。
だが海の外では、誰も知らぬのでござるよ。
――名も、これまでの働きも、通じ申さぬのでござるからな。
そして移られた当初は、言葉も分からず糧も乏しかったという。
頂を極めた者が、一から始めるのでござる。
――これが、どれほど堪えることか。
常であれば、日ノ本におれば食うには困らなんだでござろう。
――過去の名で、幾らでも働きはあったはずでござるからな。
だがこの御方は、それを捨てられたのじゃ。
――そして誰も知らぬ土地で、一から積み直されたのでござる。
お主、ここに何を見るかな。
――吾輩は、これを勇気と呼ぶのでござる。
海を渡られた訳を、ご本人は「考え方の違う人と接していきたい」という思いであったと語っておられる。
――過去の名に甘んじず、誰も己を知らぬ場を選ばれたのじゃ。
後年には、こうも振り返っておられる。「ジャニーズという、デカイ事務所を辞めて、誰も自分のことを知らない場所へ行くのは相当の勇気が必要だったはず」
――吾輩が勇気と呼んだものを、ご本人も勇気と申しておられるのでござる。
人は、積み上げた物を捨てられぬのでござってな。
――捨てれば、また一からでござるからな。
そして齢を重ねるほど、捨てるのは難しくなるのでござるよ。
――三十で捨てられた。ここが、この御方の芯でござろう。
そして苦難を越え、言葉を身につけてゆかれた。
――その学びの話は別の稿にて詳しく語っておるゆえ、今宵は先へ進もうぞ。
【未来予想図-独り立ちしてからの積み重ね】
さて、独り立ちしてからの積み重ねを見ておこうぞ。
――2000年には、己の音曲の版元を立ち上げておられる。
以降は、毎年のようにCDを出してこられてな。
――2007年のシングル『なぁ』は、オリコンのインディーズ部門で1位を得ておるのじゃ。
グループを離れた後も、きちんと形にしておられるのでござる。
――そして舞台でも、実績を重ねておられてな。
2009年には、『EVIL DEAD THE MUSICAL~死霊のはらわた~』にて、独り立ちしてより初めてミュージカルの主役を務められた。
――さらに『キャバレー』の舞台にも立っておられる。
お主、ここまでの歩みを振り返ってみられよ。
――十七で世に出て、グループの顔となられた。
二十五でグループが解散し、事務所からも独り立ちされた。
――三十で海を渡り、一から始められたのでござる。
そして版元を立ち上げ、CDを出し、舞台の主役も務められた。
この御方の歩みには、ある一貫したものがござってな。
――常に、一から始めておられるのでござる。
グループが解散すれば、独りで始める。
――日ノ本で行き詰まれば、海を渡って始める。
版元が無ければ、己で作る。
お主、これができるでござろうか。
――一度でも頂を知った者は、下から始めるのが辛いのでござるよ。
かつての己と、いまの己を比べてしまうのでござるからな。
――だがこの御方は、比べておられぬのじゃ。
いま何ができるか、だけを見ておられるのでござる。
――さて、この御方から汲めるものを並べておこうぞ。
一つ、積み上げた物を捨てられることでござる。
――齢を重ねるほど、捨てるのは難しくなるのでござるからな。
二つ、誰も知らぬ場に身を置くことでござるな。
――過去の名が通じぬ場でこそ、真の力が試されるのでござるよ。
三つ、考えの違う人と交わることでござる。
――「考え方の違う人と接していきたい」と海を渡られた、あの志でござるからな。
そして今ひとつ、かつての己と比べぬことじゃ。
――いま何ができるか、だけを見ることでござるよ。
千里の道も一歩から、でござる。
――何度でも、一から始めればよいのでござるからな。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【年収の噂!?30で海を渡り一から始めたについてのまとめ】
今回は諸星和己殿について調査してみた!
収入のうわさは流れておるが、本人も事務所も額を公にしてはおられぬ。
1987年にグループの一人として世に出て、その顔と呼ばれる立ち位置にあられた。
三十の齢で海を渡り、誰も知らぬ土地で一から積み直されたのでござる。
吾輩は諸星和己殿に対して、頂を捨てて、一から積み直された御方でござる、と思ったんだがお主は諸星和己殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
諸星和己、光GENJI解散後のニューヨーク生活が“ビッグマウス”を変えた(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE 2014年3月28日)
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