巷に騒がれる、風間俊介殿:本当の性格と、夢の国へ毎年通われる訳について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1983年6月17日、東京都墨田区のお生まれ
- 1997年、中学二年の折に事務所へ入られる
- 同じ年、先輩の舞台にて世に出られ、研究生として活動を始められる
- 1999年、学び舎を題にした芝居にて広く名を知られ、新人賞を受けられる
- 2000年、アニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』にて主役の声を務められる
- 2011年、ドラマ『それでも、生きてゆく』にて助演男優賞を二つ受けられる
- 2012年、朝の連続の芝居に主たる役として出演される
- 2015年、事務所の頁に単独の頁が設けられ研究生を事実上卒業される
- 2023年、事務所を離れ自ら会社を興される
- 2024年、五年間の芝居の出演数にて全体の六位に入られる
- 同年、四十一の誕生日に自らの会を開設される
- 2025年、テレビ東京『40までにしたい10のこと』にて主演男優賞を三つ受けられる
【性格は、賞を受けた折の言葉に出ておる】
「風間俊介殿はどういう性格か」と、よう検索されておる。
――これには、本人の言葉で答えるのが一番でござろう。
この御方は『40までにしたい10のこと』にて主演男優賞を受けられた。その折の言葉が、これでござる。
「僕は、見てくださる人が喜んでくれれば数字や形はこだわらないのですが、こうしてやっぱり賞を頂けたことで、みんなにとっていい作品だったんだと実感が湧きます」
――お読みになったか。
「数字や形はこだわらない」と先に言うておられる。
そのうえで、賞を貰えば嬉しいとも認めておられるのじゃ。
お主、ここが誠実でござってな。「賞などどうでもよい」と突っぱねるのでもなく、「賞が欲しかった」と言うのでもない。
――こだわらぬと言いながら、嬉しいものは嬉しいと認めておられる。
次に、仕事の選び方でござる。この作は世で話題を呼んだ題材であったが、この御方は特別視しておられぬ。
出演を決めた訳を、こう述べておられる。
――以前ご一緒した組と、また仕事ができるなら、と。
「僕の中では、BL作品だから云々という特別な視点はなく、単に作品の題材としてすてきだなというだけでしたから、大きな挑戦という気持ちもまるでなくて」
――「挑戦という気持ちもまるでなくて」でござる。
周りが騒いでも、本人は淡々としておられる。むしろ「意外だと言われることの方が意外」とまで言うておられるのじゃ。
そして、どういう現場を好まれるか。
「それぞれの立場から自分の意見を言い合い、話し合える現場」
――皆が黙って己の役目だけを果たす現場も良いと認めたうえで、それでも話し合える方を選ぶ、と。
ここまで並べると、性格の輪郭が見えてまいろう。
数字で測らず、人で選び、周りが騒いでも動じぬ。
――小学六年で「夢の国で働きたい」と願い、いまも毎年その場へ通うておられる御方でござる。
好きなものが変わらぬのも、同じ性分から来ておるのでござろう。
【中学二年で門を叩かれる】
巷で風間俊介殿と申せば、芝居の名手として名高き御仁でござる。
だがお主、この御仁が小学六年の折に行く末の夢を何と答えておられたか存じておるか。
――夢の国で働きます、でござる。
1983年6月17日、東京都墨田区のお生まれ。
芝居を見るのが好きな子であられ、自分も画面に出てみたいという思いを抱いておられた。
そして家族の勧めで書付を送り、選考を受けられる。
――家族が背中を押されたのじゃ。
1997年、中学二年の折に事務所へ入られた。
同じ年、先達の舞台にて世に出られ、研究生として活動を始められる。
ここからしばらくは、先輩たちの後ろで踊る日々が続いた。
1998年には新しい組の一員にも選ばれ、中央で踊る立場にもなっておられる。
――順調に見えるであろう。
だがここで、この御仁は高校の受験のために半年、芸の道を休まれた。
――学びを取られたのじゃ。
そして半年後に戻ってこられたとき、元の場所はもう空いてはおらなんだ。
――中央から、後ろへ回ることとなった。
お主、これがどれほど堪えることか分かるか。
十五の齢で、一度掴んだ場所を失うのじゃ。
この御仁の学びの道も、少し触れておこうかのう。
小学校は江東の地、
高校は都立の学び舎を出ておられる。
そして大学は経済を学ぶ道へ進まれたが、こちらは中途で退かれておる。
――芝居を取られたのじゃな。
だが吾輩が良いと思うのは、高校の受験のために半年休まれたという話じゃ。
あのまま続けておれば、中央の座は守れたやもしれぬ。
――それを捨てて、学びを取られた。
十五の齢でその判断ができるというのは、なかなかのものでござるぞ。
そして戻ったときに場所が無い。
――世の中は、そういうものじゃ。
だがこの御仁は、それを恨み言にしておられぬ。
後に自ら振り返って語っておられるだけで、誰かを責める言葉はない。
――ここに、この御仁の人となりが出ておる。
【三十二まで研究生であった】
だがこの御仁、そこで腐られなかった。
1999年、学び舎を題にした芝居に出演される。
――そしてここで、一気に名を知られることとなった。
この役どころは、いまなお語り継がれておる。
この演じぶりで、この御仁は新人賞を受けられた。
翌2000年にはアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』にて主役の声も務められておる。
――これも、いまだに愛されておる役どころじゃ。
2002年には新しい組も結成されたのじゃが、
この組については当初から「この顔ぶれで世に出ることはない」と言い渡されておったという。
――なんとも切ない話でござるな。
そして実際、その組は自然と消えていった。
ここから先が、この御仁の長い長い道のりじゃ。
2011年、この御仁は十年ぶりに夜の良い刻の芝居に常連として出演される。
そしてこの作品にて、助演の男優の賞を二つ受けられた。
――この年を、この御仁は後に分かれ道の年であったと振り返っておられる。
翌2012年には朝の連続の芝居に主たる役として出演され、一気に広く名を知られることとなった。
――だがお主、ここで一つ気づかぬか。
この時点で、この御仁は二十九の齢でござる。
そして事務所の頁に単独の頁が設けられ、研究生を事実上卒業されたのが2015年10月。
――三十二の齢でござる。
中学二年で入られて、三十二まで研究生じゃ。
――十八年でござるぞ。
この間、この御仁は踊ることをやめられ、歌う場からも遠ざかっておられた。
二十一の齢の頃には、もう踊っておられなかったという。
――芝居一本に絞られたのじゃ。
三十二まで研究生であったという話を、もう少し噛みしめてみようではないか。
中学二年で入られて、三十二で卒業。
――十八年でござる。
その間に、学び舎を題にした芝居で名を知られ、
アニメで主役の声を務め、
助演の賞を二つ受け、
朝の連続の芝居にも出ておられる。
――普通ならば、とうに一人前でござろう。
それでも肩書きは研究生のままであった。
お主、これに耐えられるか。
同じ頃に入った者が次々と表に出ていく中で、
自分だけが同じ肩書きのまま年を重ねる。
――腐らぬほうが難しかろう。
だがこの御仁は、腐られなかった。
踊る場から離れ、歌う場からも離れ、
芝居の一本に絞って進んでこられた。
――肩書きではなく、中身で勝負されたのじゃ。
そして結局、その道が正しかった。
いまや芝居の出演数で全体の六位でござる。
――数で語れるところまで来られた。
【未来予想図-夢の国と芝居と】
さて、ここからが今のこの御仁でござる。
そして吾輩が今宵、最も語りたかったのが夢の国の話じゃ。
この御仁は十一の齢で夢の国に魅せられて以来、毎年欠かさず年間の通行手形を買っておられる。
――毎年でござるぞ。
そして小学六年の折、行く末の夢を問われて「夢の国で働きます」と答えておられた。
――子どもの言葉と笑うなかれ。
この御仁は、その好きを仕事にまで持っていかれたのじゃ。
夢の国に詳しいがゆえ、案内役を務めることもしばしば。
共に芝居をした者やその家族を案内してまわることもあるという。
2018年には、テレビ番組に自ら企てを持ち込まれた。
しかも自分で書付をこしらえ、自分で取材までして語られたという。
――役者が、自分で企てを書いて持ち込むのじゃ。
同じ年には夢の国にまつわる催しにも参加され、
中学生の頃に劇場で買った下敷きをその催しに寄贈しておられる。
――二十年以上、取っておられたのじゃ。
2022年には案内の書物の編みにも加わられた。
――好きを、ここまで形にされる方は稀でござる。
そして2023年12月、この御仁は長く在籍された事務所を離れられた。
自ら会社を興し、その頭に就かれておる。
――四十を過ぎての独り立ちでござる。
その翌年、五年間の芝居の出演数を数えた調べにおいて、
この御仁は二百本を記録し、役者全体の中で六位に入っておられる。
――二百本でござるぞ。
そして2025年には、ある芝居での主演にて三つの賞を受けられた。
――四十を過ぎて、まだ伸びておられるのじゃ。
趣味は書を読むこと、そして一人で何かに没頭すること。
アニメを好み、休みの日は家にこもって遊びに興じられるという。
――派手さのない、実に地に足のついた御仁でござる。
中央から後ろへ回された十五の齢。
三十二まで続いた研究生の日々。
そして四十を過ぎての独り立ち。
――この御仁の歩みは、遅咲きの見本でござる。
お主も、いま芽が出ぬと嘆いておるならば、この御仁の年表を眺めてみよ。
――十八年かけて卒業された方がおられるのじゃ。
最後に、吾輩がこの御仁を好ましく思う理由を述べさせてもらおう。
この御仁は、好きなものを隠されぬ。
夢の国が好きだと公言し、
通行手形を毎年買い、
案内役まで買って出て、
番組に企てを持ち込んで書付まで自分で書かれる。
――好きに、全力なのじゃ。
そして飛ぶ船の位を上げるための点集めにも凝っておられるという。
沖縄や南の島まで、点を貯めるためだけに出かけられるとか。
――これも相当なものでござるな。
――派手さは、まるでない。
だが好きなものには、とことん向かわれる。
この構えが、そのまま芝居にも出ておるのではないか。
――主役でも脇でも、同じ濃さで演じられる。
だからこそ、二百本という数になったのでござろう。
四十を過ぎて独り立ちされ、そこからまた主演の賞を三つ。
――まだ伸びておられるのじゃ。
お主、覚えておかれよ。
遅く咲いた花は、長く咲くものでござる。
十五で中央から後ろへ回された。
三十二まで研究生であった。
四十を過ぎて独り立ちされた。
――どれも、遅い話ばかりでござる。
だがその全てを、この御仁は乗り越えてこられた。
そして小学六年の頃の夢を、
四十を過ぎたいまも大事に抱えておられる。
――これが一番、吾輩の胸に響いた。
好きなものを持ち続けるというのは、案外に難しいことでござる。
大人になると、好きだったものを忘れていくものじゃからのう。
この御仁は、忘れておられぬ。
十一の齢に魅せられたものを、三十年経ってもまだ好いておられる。
――お主にも、そういうものはあるか。
あるならば、大事にされよ。
――それが、いつか仕事になるやもしれぬぞ。
吾輩は、この御仁の歩みを見てそう思うたのでござるよ。
――好きを抱え続けた者は、強いのじゃ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【本当の性格!?数字や形にこだわらぬ人についてのまとめ】
今回は風間俊介殿について調査してみた!
吾輩は風間俊介殿に対して、小六の夢を持ち続け、三十二まで研究生であった歩みと思ったんだがお主は風間俊介殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
WEBザテレビジョン(主演男優賞 受賞インタビュー 風間俊介/第125回ザテレビジョンドラマアカデミー賞)
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