巷に騒がれる、アグネス・チャン殿:夫君のことと、三人の子を育てながら歩まれた道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1955年8月20日、香港のお生まれ
- 1971年、香港にて歌が広まり、その年の歌い手の賞を受けられる
- 1972年、日本にて歌い手として世に出られる
- 1973年、大きな歌の賞にて新人賞を受けられる
- 同年より三年続けて、年の瀬の大きな歌の場に出られる
- 1974年、上智の大学へ入られる
- その後、カナダの大学を卒業される
- 1992年、米国の大学院の教育学の博士の課程を修められる
- 1994年、博士の位を授けられる
- 1998年、日本の児童のための会の初代の大使に就かれる
- 2016年、国際の児童のための機関の地域の親善大使に任命される
- 2018年、春の叙勲にて勲章を受けられる
【旦那は元のマネージャー。名は公にされておらぬ】
「アグネス・チャン殿の旦那はどういう御方か」と、よう検索されておる。
――先に、書かぬことから申しておこう。
夫君の氏名は書かぬ。巷では名が出回っておるが、確かな媒体で裏を取ることができなんだ。
――そして、表に出ておられぬ方の氏名を書くのは筋が通らぬ。
その代わり、辿れたことがござる。
1986年、当時マネージャーであった男性と結婚された。
――仕事を支える側におった御方が、伴侶になられたわけでござる。
お主、ここが肝要でござってな。この御方は香港から来て、歌いながら学問も修められた。
――日本語で歌い、異国で学び、そして母にもなられた。
その全部を回すには、傍で支える者が要る。
その支え手が、そのまま伴侶になったということでござる。
そして、三人の子を授かっておられる。
この御方の子育てが、また世を騒がせたのでござってな。――赤子を仕事の場へ連れて行かれたことが、大きな議論を呼んだ。
働きながら子を育てるということが、まだ当たり前でなかった頃でござる。
その御方が、いま老いをどう見ておられるか。
六十七の折、老人ホームへ入ることを真剣に考えておられると明かされた。――理由は「介護は簡単じゃない」でござる。
ところが、これに息子たちが反対されたという。
――育てられた側が、今度は引き止める側に回っておるのじゃ。
マネージャーと所帯を持ち、三人を育て、その三人に止められておる。
――名は分からずとも、この家の形は十分に見えてまいろう。
【香港から来た歌姫】
巷でアグネス・チャン殿と申せば、昭和の世を彩った歌姫として覚えておる者も多かろう。
だがお主、この御仁の本当の凄まじさを存じておるか。
――歌姫であるだけの方ではないのじゃ。
1955年8月20日、香港のお生まれ。
初めは姉上と共に歌っておられた。
そして1971年、香港にて出された一曲が広まり、
その年の歌い手の賞を受けられる。
――十六の齢でござった。
1972年11月25日、日本にて「ひなげしの花」を出され、世に出られる。
――ここから、この国での日々が始まる。
澄んだ高い声と、たどたどしくも一生懸命な日本の言葉。
――これが、この国の人々の心を掴んだのじゃ。
1973年7月に出された「草原の輝き」が大いに広まり、
同じ年の暮れには大きな歌の賞にて新人賞を受けられた。
同じ年の10月に出された一曲は、この御仁の最も売れた歌となり、初めて頂を取っておられる。
そして年の瀬の大きな歌の場にも、三年続けて出ておられる。
――押しも押されもせぬ人気でござった。
1974年には「草原の輝き」が春の学び舎の球技の大会の行進の曲にも選ばれ、
同じ年には人気の写真の売れ行きでも一位を取っておられる。
――時代の顔でござったのじゃ。
この御仁がこの国へ来られた頃のことを、少し語らせてもらおうかのう。
当初は香港での姿そのままに、長い裳を纏ってギターを弾きながら歌っておられた。
――物静かな歌い手という装いでござった。
ところが翌年、短い裳に変えられる。
そして一気に人気が上がったのじゃ。
――装いを変えて、道が開けた。
そしてこの御仁の大成功のあと、この国の芸の世界には大きな流れが生まれた。
香港、台湾、そして越南から、
――次々と娘御が招かれるようになったのじゃ。
つまりこの御仁は、その道を最初に切り開いた者ということでござる。
後に続く者の道を作る。
――これは、並の功績ではないぞ。
【歌いながら、学問を修められた】
さて、ここからがこの御仁の凄まじいところじゃ。
人気の絶頂にあった1974年、この御仁は上智の大学へ入られた。
――お主、驚かぬか。
毎日のように舞台に立ち、画面にも出ておられる身でござるぞ。
その合間に、学び舎へ通われたのじゃ。
そしてこの御仁の学びは、そこで終わらなかった。
その後、カナダの大学を卒業され、
――そして1992年6月でござる。
米国の名門の大学院にて、教育学の博士の課程を修められた。
そして1994年、博士の位を授けられておる。
――お主、これがどれほどのことか分かるか。
十六で歌の賞を取り、
十七で異国へ渡って歌姫となり、
そして三十代の終わりに博士の位じゃ。
――歌いながら、学問を修められたのでござる。
普通、どちらか一つでも大変でござろう。
それを両方やり遂げられた。
そしてこの学問が、後の活動を支えることになる。
1998年、この御仁はこの国の児童のための会の初代の大使に就かれた。
そして2016年には、国際の機関における地域の親善大使にも任命されておる。
――学問と、名と、その両方を使っておられる。
2005年には広島の大学が贈る教育の賞も受けられ、
2007年には音楽の団体からの文化の賞、
2008年には歌の賞にて特別の賞も受けておられる。
――歌でも、学問でも、認められておるのじゃ。
歌いながら学問を修めるということについて、もう少し噛みしめてみようではないか。
人気の絶頂というのは、最も忙しい時でござる。
舞台があり、画面があり、そして稽古がある。
――寝る間もあるまい。
その中で大学へ通われたのじゃ。
そして異国の大学へも移り、
最後には博士の位まで取っておられる。
――生半可な覚悟ではできぬ。
そして修められたのが「教育学」であったところが、また良いのじゃ。
歌の道でも、銭の道でもない。
――人を育てる学問でござる。
後にこの御仁が児童のための活動に身を投じられたことを思えば、
この選びは実に筋が通っておる。
つまりこの御仁は、
学ぶ前から何をしたいかが決まっておられたのじゃ。
――ここに、この御仁の芯がある。
【未来予想図-遺書を記して赴かれる】
さて、ここからが吾輩の最も語りたい話でござる。
この御仁は、ただ名を貸しておるだけの大使ではない。
――自ら、危うき地へ赴いておられるのじゃ。
2003年には戦の後の中東の地へ。
2005年には内戦の続く阿弗利加の地へ。
そして2010年2月でござる。
この御仁は、この国の外つ国を司る役所が最も高い危うさを示しておる国へ向かわれた。
――東阿弗利加の、あの地でござる。
しかもこのとき、
この御仁は遺書を記してから出発されたという。
――しかも、それが三度目であったと。
お主、三度目という言葉の重みが分かるか。
つまりこの御仁は、それまでにも二度、命を落とすやもしれぬ地へ赴いておられるということじゃ。
歌姫として一世を風靡した御仁でござるぞ。
画面の前で笑っておればよい身でござる。
――それを、わざわざ危うき地へ向かわれるのじゃ。
吾輩、この話を知ったとき言葉を失うたわ。
そして自らの病の体験からも、
この御仁は世のための活動を始めておられる。
――己の苦しみを、人のために使われたのじゃ。
2018年の春には、その長年の働きが認められて勲章も受けておられる。
2017年に出された教育についての著書も大いに広まり、
書き手としての名もアジアに広がっておる。
香港の大学では客員の教授も務めておられるとか。
――歌手、学者、書き手、そして活動家。
――一人の人が、これだけの顔を持てるものかのう。
お主、この御仁の歌を聴く折には、
――遺書を三度記した御仁の声だと思うて聴いてみよ。
きっと、違って聞こえるはずでござる。
最後に、吾輩がこの御仁を敬う理由をはっきり述べておこう。
名のある者が世のための活動をするというのは、――決して珍しい話ではない。
だがその多くは、名を貸すに留まるものじゃ。
催しに顔を出し、言葉を述べ、そして帰る。
――それでも、十分に立派なことではある。
だがこの御仁は、そこで止まっておられぬ。
――自ら、危うき地の土を踏まれるのじゃ。
戦の後の地へ。
内戦の続く地へ。
そして最も危ういと示された地へ。
しかも遺書を記したうえでじゃ。
――そこまでする者が、どれほどおるか。
この御仁が歌で得た名は、
そのために使われておるのでござる。
――名の使い方を、心得ておられる。
吾輩は、この御仁を心から敬うておる。
歌姫としてではない。
――一人の武士として、でござるよ。
考えてみればじゃ。
十六で香港の歌の賞を取り、
十七で異国へ渡って歌姫となり、
その絶頂で大学へ入り、
三十代で博士の位を取り、
四十代で児童のための大使となり、
五十代で遺書を記して危うき地へ赴き、
六十代で著書を大いに広め、
そして勲章まで受けられた。
――一つの人生に、詰め込みすぎではないか。
香港の大学では教える側にも立ち、
いまなお歌い、いまなお語っておられる。
――生き方そのものが、一つの作品でござる。
お主も、この御仁の名を聞いたときには
「昔の歌手」と思うてはならぬぞ。
――いまも第一線で戦うておられる御仁なのじゃ。
そしてもう一つ、忘れてはならぬことがある。
この御仁は、自らの病の体験をも人のために使っておられる。
同じ苦しみを抱える者のための活動に加わり、
――そして笑顔を届ける役目にも就いておられる。
己の苦しみを隠すのではなく、人を励ますために使う。
――これができる者は、そう多くはない。
吾輩、この御仁の歩みを知って
しばし言葉を失うたわ。
歌姫という言葉は、この御仁には狭すぎるのでござる。
お主も、この御仁の歌を聴く折には
その裏にある歩みを思い出されよ。
――ただの懐かしい歌ではなくなるはずじゃ。
十七で異国へ渡った娘御の声じゃ。
そして遺書を三度記した御仁の声でござる。
――重みが、まるで違うのじゃからな。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【旦那は元マネージャー!?3人の息子についてのまとめ】
今回はアグネス・チャン殿について調査してみた!
吾輩はアグネス・チャン殿に対して、遺書を記して危うき地へ赴き、歌いながら学問も修められた歩みと思ったんだがお主はアグネス・チャン殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(67歳アグネス・チャン、老人ホーム入居を真剣に検討「介護は簡単じゃない」 息子たちは反対「本音を聞きたい」)
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