巷に騒がれる、佐藤アツヒロ殿:審査を受けずに入所!?ムエタイの試合までについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1973年8月30日、神奈川県にて生誕。愛称は「アッくん」。
- 1986年、事務所に入所。審査を受けず、特待生としての入所であった。
- 1987年8月19日、光GENJIとして「STAR LIGHT」でレコードデビュー。
- 1993年4月22日、「SAY’S」として「曇りのち晴れ」でCDデビュー。
- 1995年9月3日、光GENJI SUPER 5が解散。
- 1995年12月21日、一人としてのCDデビューを果たす。
- 1996年、自らの詩を載せた写真集を発表。同年、写真詩集も発売。
- 1997年、番組の企画にてタイへ渡り、ムエタイの試合に挑む。
- 同年、昼の連続ドラマにて初主演を務める。
- 1998年、初めて自らの曲の詞を手掛ける。
- 2000年、舞台に初出演。二作目にて初主演を務める。
- 2018年、舞台の演出家としてもデビュー。
- 2022年8月19日、内海光司殿とユニット「U&S」を結成。
- 2025年、光GENJIの元の面々を訪ねる番組を企画。
【審査を受けずに特待生で入所】

佐藤アツヒロ殿は1973年8月30日の生まれ、神奈川県の出にござる。愛称は「アッくん」でござる。
この御仁の入所の話が、いきなり凄まじい。
普通、この世界に入るには審査を受けるものでござる。
紙を送り、呼ばれ、踊りや歌を見せ、そして選ばれる。
ところが佐藤アツヒロ殿は——
審査を受けることなく入所されたのじゃ。
特待生としての入所であったという。
お主ら、これがどれほどのことか分かるであろうか。
何万という者が紙を送り、そのうち一握りしか呼ばれぬ場でござる。
その手続きを丸ごと飛び越えて入られたのでござる。
よほど見込まれておったということでござろうな。
そして1986年に入所し、翌1987年8月19日にはもうデビューしておられる。
入所から一年でCDでござる。
しかも光GENJIの中では最年少であられた。
十三、四の齢でござる。
そこから始まった八年は、それはもう凄まじいものであった。
デビューしてすぐに人気が跳ね上がり、経済の雑誌にまで社会現象として取り上げられたという。
だが、この御仁の面白いところはその只中にあっても別のことを始めておられた点でござる。
高校二年の夏から、作詞を始められたのじゃ。
歌わされる言葉ではなく、自分で言葉を書く。
そして後の一人での活動では、持ち歌のほとんどが自作となる。
十代の半ばで、既に作る側へ足を踏み入れておられたということでござる。
この御仁の名の話も、しておかねばなるまい。
デビューの折の名は、本名の「佐藤敦啓」でござった。
そして解散後、一人での活動を始める際に
「アツヒロサトウ」と改められる。
その後また「佐藤敦啓」に戻され、
1998年に「佐藤アツヒロ」となられた。
三度も名を変えておられるのじゃ。
名を変えるというのは、この世界では区切りを付ける行いでござる。
その都度、何かを断ち切り、何かを始めておられたのでござろう。
そして組の中でも、この御仁は別の顔を持っておられた。
1993年4月22日、組の中の一部の面々で作った別の組としてもCDを出しておられる。
本体の組と、その中の小さな組。
二つを掛け持ちしておられたということじゃ。
だが1994年8月、二人が組を離れ、
本体は五人組へと名を変える。
同時に、その小さな組も解散となった。
華やかに見える時期にも、こうした終わりが重なっておったのでござる。
【タイへ一か月ムエタイの試合まで】

1995年9月3日、組は解散した。
そして同年12月21日、一人としてのCDデビューを果たされる。
その時の売り文句が良い。
「歌うしか愛せない」でござる。
なかなか思い切った言葉でござるな。
そこからのこの御仁は、とにかく何でもやってみる御方であった。
1996年には、自らの詩を載せた写真集を発表。
さらに同じ年、自ら撮影した写真と詩で構成される写真詩集も出しておられる。
撮る側でござる。撮られる側ではない。
ロンドンまで撮影に赴かれ、後には銀座で写真展まで開かれておる。
そして1997年、この御仁の逸話の中でも屈指のものが生まれる。
海の外で暮らす様子を映す番組の特別回でござる。
行き先はタイ。
そこで挑まれたのが——
ムエタイでござった。
しかも見学ではござらぬ。
実際にタイへ一か月弱滞在し、
現地で暮らし、そして最後には試合にまで挑まれたのじゃ。
お主ら、これを想像してみよ。
十年近く車輪の靴で歌って踊っておった御仁が、拳と脛で殴り合う競技の試合に出るのでござる。
しかも本場のタイで、である。
並の芸能人がやる企画ではござらぬ。
この回は大いに話題となったという。
そして同じ年、昼の連続ドラマにて初主演も務められた。
人気漫画を原作とした作でござる。
写真を撮り、詞を書き、拳を交え、そして主演を張る。
この守備の広さこそが、この御仁の面白さでござろう。
この御仁は、後輩からも大層慕われておられる。
いまや名の知れた御仁が二人、
「佐藤敦啓に憧れて」この事務所に入っておられるのじゃ。
憧れられて入られた側でござる。
しかも、そのうちの一人からはかなり深く慕われ、
2004年には作詞の依頼まで受けておられる。
その御仁の作品に、佐藤アツヒロ殿の書いた詞が収められておるのじゃ。
高校二年の夏から書き始めた言葉が、
後輩の歌になったということでござる。
そして、この御仁にはもう一つ面白い顔がござる。
自ら中心となって、事務所の後輩たちと私的な集まりを作っておられたのじゃ。
そこに集った顔ぶれが、また凄い。
いまや誰もが名を知る御仁ばかりでござる。
共に食事をしたりして過ごしておられたという。
縦の繋がりが厳しいと言われる世界において、
自ら場を作って後輩を集める。
これはなかなかできぬことでござろう。
一人での公演で使われる楽器は、
弦の楽器と、小さな笛のような楽器が中心であったという。
自ら詞を書き、自ら楽器を弾き、自ら写真を撮る。
そして拳を交え、芝居をする。
この御仁の場合、「他に何かやっておらぬのか」と聞く方が早いのう。
【未来予想図-ローラースケートを継ぐ者へ】

さて、佐藤アツヒロ殿の現在(いま)である。
2000年、この御仁は舞台に初めて立たれた。
そして——
二作目でもう主演でござる。
そこから名の知れた劇団の作に出続け、数多の演出家と出会っていかれた。
2004年頃には、活動の場を本格的に演劇の世界へ移されておる。
そして2018年、ついに演出家としてもデビューされた。
しかも初演出の作では主演も兼ねておられる。
そこからも演出を重ね、これまでに五作を手掛けておられるという。
演じる側から、作る側へ。
高校二年の夏に詞を書き始めた御仁が、行き着くところまで行かれたということでござろう。
そして、忘れてはならぬのが車輪の靴でござる。
2012年、舞台にてローラースケートを披露された。
2015年には久方ぶりに地上波の番組に出られ、変わらぬ滑りを見せておられる。
そして2012年以降、この御仁はローラースケートの稽古を続けておられるのじゃ。
解散から二十年近く経ってなお、である。
その理由が、近年になってはっきりした。
後輩の組に、滑りを受け継がせるためでござる。
音楽番組では、ローラースケートを得意とする後輩の組と共に滑り、
光GENJI時代の曲を披露しておられる。
自分たちが始めたものを、次の世代へ渡す。
これは、続けておらねばできぬことでござる。
2022年8月19日、光GENJIのデビュー日に合わせて、組の長であった内海光司殿とユニットを正式に結成された。
そして2025年、大きな企画を立ち上げられる。
光GENJIの元の面々を、一人ずつ実際に訪ねていく番組でござる。
全七回。企画したのは、この御仁ご自身じゃ。
当時、自分以外の面々が何を思い、どういう時間を過ごしておったのか聞いてみたかった。
この齢になったいまだからこそ、話したいことや話せることがたくさんある気がする。
そう語っておられるという。
審査を受けずに入り、
写真を撮り、詞を書き、タイで試合に出て、
舞台に移り、演出まで手掛け、
そしていま、かつての仲間を訪ね歩いておられる。
この先どのような姿でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
近年の動きも、いくつか並べておこう。
2024年には一人での公演を横浜と大阪で開かれた。
一人での活動の頃の曲や、
組の名曲を生の演奏に合わせて披露されたという。
そして2025年2月には、まったく新しい形にも挑まれた。
絵本を読み聞かせる公演でござる。
しかも第一弾、第二弾と続けて上演され、
いずれも自ら演出し、自ら出演しておられる。
この企画には、前向きな気持ちと大切な感情を、という想いが込められておるという。
五十を過ぎて、まだ新しい形を作ろうとしておられるのじゃ。
そして写真の趣味も続いておる。
2022年には自らの発信の場を開かれ、
独自の見え方で写真を上げ続けておられるという。
1996年に写真詩集を出された御仁でござるからな。
三十年近く、撮ることをやめておられぬということじゃ。
審査も受けずに特待生として入り、
最年少で世に出て、
詞を書き、写真を撮り、タイで拳を交え、
舞台へ移って演出まで手掛け、
そして車輪の靴を次の世代へ渡しておられる。
こう並べてみると、
この御仁は一度も止まっておられぬ。
アイドルとして始まった御仁が、
いつの間にか作る側の真ん中に立っておられるのでござる。
そして、この御仁が近ごろ語っておられる言葉が良いのじゃ。
当時、自分以外の面々が一体何を思い、
どういう時間を過ごしておったのか聞いてみたい。
この齢になったいまだからこそ、
話したいことや話せることがたくさんある気がする、と。
三十年でござる。
同じ舞台に立ち、同じ熱を浴びた七人が、
当時は互いに何も話せておらなんだということでござろう。
十代の若者に、あの熱を語り合う余裕などあるまい。
だからこそ、いま訪ねて回っておられるのじゃ。
これは番組の企画である以前に、この御仁自身の答え合わせでござろう。
そして、その答えを探す旅を自ら企画として立ち上げてしまうところが、
いかにもこの御仁らしいのう。
この先どのような姿でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
【審査を受けずに入所!?ムエタイの試合までについてのまとめ】
今回は元光GENJI佐藤アツヒロ殿について調査してみた!
吾輩は佐藤アツヒロ殿に対して、審査も受けずに入り、いまは車輪の靴を次の世代へ渡しておる御仁と思ったんだがお主は佐藤アツヒロ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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