巷に騒がれる、塩﨑太智殿:携帯を割った反抗期と、車の中で交わされておった言葉について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 2000年9月11日、和歌山県和歌山市のお生まれ
- 「塩崎」と書かれることがあるが、正しくは「塩﨑」である
- 母君の勧めにより、事務所の審査を受けられる
- 2014年、M!LKのメンバーとなられる
- 2015年3月25日、M!LKとして『コーヒーが飲めません』でCDデビュー
- 2017年6月28日、「和歌山市観光発信人」に当時最年少で委嘱される
- 活動が軌道に乗る前は和歌山の実家から関西空港へ通うておられた
- 2021年11月24日、M!LKとして『Ribbon』でメジャーデビュー
- 2026年4月、『ラヴィット!』水曜の定期出演者となられる
- 2026年8月25日、『夫が寝たあとに』にて反抗期の頃を語られる
【塩﨑太智は実家で反抗期の只中におられた】
2026年8月25日、テレビ朝日系『夫が寝たあとに』でのことでござる。
M!LKの塩﨑太智殿が、この番組で初めての“子ども代表”として招かれた。
――親の側ではなく、子の側の言い分を語る役でござる。
明るく素直で、皆に愛されておるこの御方でござるが、
中学3年から高校2年の頃までは、反抗期の只中であられた。
その頃の心持ちを、こう語られた。
「何事もモヤモヤしてくる時期で、反抗したくてしていたわけじゃない。自分でもなんで反抗しているのか分からず、イライラしていました」
――反抗したくてしていたわけじゃない、でござる。
お主、ここが誠実なところでござるぞ。
後になって振り返れば、若気の至りと片付けてもよい。
だがこの御方は、当時の分からなさをそのまま語られた。
己でも訳が分からぬまま苛立っておった、と。
――これが、あの齢の本当でござろう。
そして、その具合がなかなか激しい。
母君に取り上げられそうになった携帯を、
自ら床に投げつけ、こわごわに割ってしまわれたという。
――取られる前に、己で壊されたのじゃ。
お主、これは可笑しいが、分からぬ話ではござらぬ。
取り上げられるのは、負けでござる。
ならば己で壊してしまえ、と。
――理には合わぬ。だが、あの齢の理でござる。
そして楯突く相手は、もっぱら母君であられた。
――いちばん近い者に向かうのじゃ。
遠い者には、そこまで本気になれぬゆえな。
【和歌山の実家から空港へ向かう車の中で】
さて、ここからが本題でござる。
M!LKの活動が軌道に乗り始める前のことじゃ。
この御方は和歌山県の実家で暮らしておられた。
そして仕事があるたび、関西空港から飛行機で動いておられた。
――和歌山から空港まで、そして空港から東京へ。
お主、この道のりを思い浮かべてみられよ。
仕事の一つ一つに、まず実家から空港までの道がある。
しかも、まだ軌道に乗る前でござる。
報われるかどうか分からぬ仕事のために、毎度その道を行くのじゃ。
――当時この御方は、密かに悩んでおられたという。
この稼業を続けるべきか、と。
十代の少年でござる。当たり前でござろう。
同輩は地元で学び舎に通うておる。
己はひとり空港へ向かい、先の分からぬ場へ出て行く。
そして、その背中を押し続けたのが母君であった。
この御方は、こう語っておられる。
空港へ向かう車の中で何度も交わした母君との会話を、
「大切な時間だった」と。
――車の中でござる。
改まって座って話したのではない。運転席と助手席じゃ。
しかも行き先は空港。つまり、別れる直前でござる。
その道中に、何度も言葉が交わされておった。
そして番組では、母君への問いかけも行われた。
そこで明かされたことが、この稿の山でござる。
母君は空港で息子を見送りながら、毎回泣いておられた。
――毎回でござる。
しかもこの御方は、それを知らなんだ。
お主、ここを二度読まれよ。
車の中では背中を押し、送り出しておられる。
そして息子が見えなくなってから、泣いておられたのじゃ。
――見せなかったのでござる。
見せれば、迷うておる息子がさらに迷う。
ゆえに、後ろでだけ泣かれたのであろう。
母君からは、もう一つの思い出も明かされた。
保育園の運動会で、この御方は泣きながら、
それでも踊りを完璧に踊り切っておられたという。
――泣きながら、でござる。
これを聞いたMCの横澤夏子殿も、思わず涙されたとのこと。
【未来予想図-呼び方を変えなかった人】
ここまでを、一度まとめておこう。
――塩﨑太智殿は中学3年から高校2年まで反抗期の只中におられた。
取り上げられそうになった携帯を、自ら投げつけて割られた。
活動が軌道に乗る前は和歌山の実家から関西空港へ通うておられた。
その車中の会話を「大切な時間だった」と語られる。
母君は空港で毎回泣いておられたが、それを本人は知らなんだ。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方の芯は、呼び方を変えなかったところに出ておるとみる。
実は、この御方は反抗期の間も母君を「ママ」と呼び続けておられた。
一度、中学の頃に「お母さん」へ変えようとされたことがあるという。
――ところが、その折の母君の様子を見て、思い直された。
お主、この一件に全部が出ておるとは思われぬか。
携帯は割る。楯突く。苛立つ。
――だが、呼び方は変えぬのでござる。
反抗というのは、相手を切ることではない。
近すぎるゆえ、苛立つのでござる。
そして本当に切りたければ、呼び方から変わろう。
――変わらなかったということは、切っておらぬということじゃ。
そう思うて空港の話を読み直すと、景色が変わり申す。
反抗期を経て、なおこの御方は母君の車に乗って空港へ向かわれた。
そして、その道中の会話を「大切な時間」と呼んでおられる。
――割った携帯の話と、同じ母子の話でござるぞ。
保育園の運動会で泣きながら踊り切った子でござる。
泣くのと、やめるのは、別のことだと初めから知っておられたのではなかろうか。
――苛立ちながら、続けられた。悩みながら、空港へ行かれた。
そして今、水曜の朝の番組に座っておられる。
呼び方を変えぬ者は、切っておらぬ。苛立ちは近さの証でござる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家から空港へ!?母と交わした会話についてのまとめ】
今回は塩﨑太智殿について調査してみた!
一つ。塩﨑太智殿は中学3年から高校2年の頃まで反抗期の只中であられた。2026年8月25日の『夫が寝たあとに』で語られた。
二つ。「反抗したくてしていたわけじゃない。自分でもなんで反抗しているのか分からず、イライラしていました」とのこと。
三つ。母君に取り上げられそうになった携帯を自ら床に投げつけて割られたという。
四つ。活動が軌道に乗る前は和歌山の実家から関西空港へ通うておられた。続けるべきか悩む背中を押したのは母君で、車中の会話を「大切な時間だった」と語っておられる。
五つ。母君は空港で息子を見送りながら毎回泣いておられた。本人はそれを知らなんだという。
吾輩は塩﨑太智殿に対して、苛立ちながら続けられた御方、と思ったんだがお主は塩﨑太智殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
紀伊民報AGARA(M!LK塩﨑太智、携帯電話を破壊…反抗期の衝撃エピソード告白 母親からアンケートも/テレビ朝日系『夫が寝たあとに』2026年8月25日放送・2026年8月25日)https://www.agara.co.jp/article/676878
WEBザテレビジョン(M!LK・塩崎太智「反抗したくてしていたわけじゃない」思春期のリアルな胸の内を告白・2026年8月25日)
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