巷に騒がれる、ぱーてぃーちゃん・信子殿:徳川家の末裔といううわさについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1992年8月1日生誕。大阪府堺市の生まれで、大分県大分市にて育つ。
- 本名は大野信子殿。旧姓は信貴(しぎ)と、本人がテレビの生放送にて明かしておられる。
- 中学時代は陸上部。走り幅跳び・砲丸投げ・リレーにて県大会優勝。三年の折には主将を務める。
- ジュニアオリンピックに走り幅跳びで出場した経歴を持つ。
- 高校を中退し、芸の道へ進む。
- ワタナベコメディスクール24期の出身。
- 2017年4月:同期の金子きょんちぃ殿と「エンぷレス」を結成する。
- 2020年7月:結婚する。
- 2021年4月:すがちゃん最高No.1殿を加え、三人組「ぱーてぃーちゃん」を結成。
- 2021年:『にちようチャップリン』THE大悟杯・THEノブ杯にて、いずれも準優勝。
- 2023年3月28日:『相席食堂』にて結婚しておったことを公にする。
- 2023年:『女芸人No.1決定戦 THE W』にて準決勝へ進む(一人での名は「アゲみざわ信子」)。
- 2024年:ドラマ『不適切にもほどがある!』に出る。
- 2025年3月7日:大分市魅力発信アンバサダーに就任する。
- 2026年4月:33歳にして高校へ入学したことを報告する。
- 山里亮太殿を敬い、あのような突っ込みになりたくて芸の道に入ったと語っておられる。
【末裔の話は本人が語っておられる】

吾輩が今宵申し述べるは、ぱーてぃーちゃんの信子殿をめぐる、徳川家の末裔といううわさでござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
まず、うわさの出どころをはっきりさせておく。この話は、信子殿ご本人がテレビにて繰り返し語っておられるものでござる。誰かが外から言い出したのではない。本人が公言しておられる。
つぎに、その裏づけについて申しておかねばならぬ。家系図など、末裔であることを裏づける資料は公にされておらぬ。つまり、いま世に出ておるのは本人の言葉だけでござる。
「本人が語っておられる」——ここまでが確かめられること。「ゆえに事実である」——ここから先は、誰も確かめておらぬ。その境目を、頭の隅に置いて読まれるがよい。
巷には、末裔であることを確かめられた事実であると断じる書きぶりも見かける。だが裏づけが無い以上、そう書くことはできぬ。本人が語っておられるところまでが、確かめられることでござる。その先へ一歩踏み出せば、それはもう別の話になる。
また、大分の地と徳川家をつなげて血筋を説く一節もあった。だがこれも出どころを辿れぬ。土地の歴史と、ある家の血筋は別の話でござる。
ご実家の建物にかかった額を挙げるものも、巷にはある。だが出どころが示されておらぬ。人の家の内証は、他人が話の種にしてよいものではない。
父君についても、巷では詳しく書かれておる。だが表に出ておられぬ方ゆえ、ご本人が語られた範囲を超えて公にされたものは見当たらなんだ。
ここで、うわさというものの怖さについてもう少し語らせてくれ。
「本人が語っておられる」と「それが事実である」は、まるで別の話でござる。――だが世に出回る書き物では、この二つがしばしば混ぜられる。
そして一度「事実」として書かれてしまえば、それを読んだ者はそのまま信じてしまう。――そしてまた別の場所へ書き写される。
――こうして、うわさは事実の顔をしていくのじゃ。
吾輩がここでくどいほど「本人が語っておられる」と繰り返しておるのは、そのためでござる。
芸人という御仁たちは、話を面白くするのが生業じゃ。――そして語りに尾ひれが付くのも、また芸のうち。
それを真に受けて「事実だ」と書き立てるのは、――聞く側の落ち度でござろう。
【旧姓は本人がすでに明かしておられた】

さて、ここがこの記事でいちばん肝心なところでござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
巷には、旧姓は明かされておらぬとしたうえで、徳川か、松平か、と推し量る書きぶりが出回っておる。
だが、これは誤りでござった。信子殿は、テレビの生放送にてご自身の本名と旧姓を明かしておられる。
曰く、いまは結婚して大野。旧姓は信貴(しぎ)である、と。徳川でも松平でもござらぬ。答えは、とうに本人の口から出ておったのでござる。
吾輩はこれまでにも何度か同じ失敗をしておる。うわさに答えようとして、別のうわさを持ってきてしまう。だが調べてみれば、答えはたいてい本人の言葉の中にある。今回もまさにそれでござった。
結婚そのものについても記しておく。信子殿は2020年7月に結婚しておられ、そのことを2023年3月28日、『相席食堂』にて公にされた。三年近く伏せておられたことになる。
お相手については、表に出ておられぬ方ゆえ、ご本人が公にしておられる以上のものは世に出ておらぬ。
ご本人が結婚を三年近く伏せておられたことについても、少し考えてみようではないか。
2020年の夏に結婚され、公にされたのが2023年の春でござる。――およそ三年でござる。
なにゆえ伏せておられたのか。――そこは、ご本人にしか分からぬ。
だが吾輩は、こう思うのじゃ。――言わずにおくのも、一つの権利でござる。
私事は、本来なら明かす義理の無いもの。――それを公にされたということは、ご自身の中で区切りがついたということであろう。
そして公にされる場として選ばれたのが、笑いの番組であったというのも、この御仁らしい。――重い話にせず、笑いに変えて出された。
お相手については、表に出ておられぬ方ゆえ、ご本人が公にしておられる以上のものは書かぬ。
【未来予想図-大分と、33歳の高校生】

さて、締めくくりでござる。血筋の話はここまでにして、この御仁がご自身で積み上げてきたものを並べよう。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
中学時代、信子殿は陸上部におられた。走り幅跳び・砲丸投げ・リレーにて県大会を制し、三年の折には主将を務めておられる。ジュニアオリンピックには走り幅跳びで出場された。
高校は中退された。そしてワタナベコメディスクールの24期へ。2017年4月、同期の金子きょんちぃ殿と「エンぷレス」を結成し、2021年4月、すがちゃん最高No.1殿を加えて「ぱーてぃーちゃん」となる。
2021年には『にちようチャップリン』のTHE大悟杯・THEノブ杯にて、いずれも準優勝。2023年には『女芸人No.1決定戦 THE W』にて、一人での名「アゲみざわ信子」として準決勝まで進まれた。2024年にはドラマ『不適切にもほどがある!』にも出ておられる。
そして2025年3月7日、大分市魅力発信アンバサダーに就任された。大分市長より委嘱状を受けての就任でござる。その折、信子殿はこう述べておられる。「大好きな自分を作り上げてくれたのは大分だと思っている」と。
血筋ではなく、育った土地が自分を作った——ご本人がそう言うておられるのでござる。吾輩がここに徳川の話を重ねる必要が、どこにあろうか。
さらに2026年4月、33歳にして高校へ入学したことを報告しておられる。一度は中退した学び舎に、十五年を経て入り直したわけでござる。
巷には、この御仁の行く先を暗く占う声もある。道の半ばで折れるのではないか、先はまるで見通せぬ、といった調子でござる。だが実際はどうか。地元から役目を託され、学び舎にも戻っておられる。他人が人の行く先を暗く占うものではござらぬ。十五年を経て学び舎に戻る——それは占いで出せる筋ではあるまい。人の行く先は、その人が決めるものでござる。
さて、この御仁の芸についても少し語らせてくれ。
この御仁は、山里亮太殿を敬うておられ、あのような突っ込みになりたくて芸の道に入られたという。
――ところが面白いことに、いまの三人組では突っ込みを辞めさせられておるそうな。
……お主、笑うてはならぬぞ。だがな、これは良い話でもある。
己のやりたい形と、一座の中で求められる役どころは、必ずしも一致せぬのでござる。
そこで意地を張れば、一座は壊れる。――だがこの御仁は、求められる方を選ばれた。
そして結果として、この三人組は世に知られることとなった。
――譲れる者が、結局は残るのでござる。
陸上で県を制し、主将まで務められた御仁じゃ。――勝負に対する感覚が、人並みでないのであろうな。
そして2026年の春には、三十三の齢にして高校へ入り直されたと報じておられる。
――学び直しを選ばれたわけじゃ。
高校を中退して芸の道へ進まれた御仁が、十五年以上を経て学び舎へ戻られる。
――これは、なかなかできることではない。
血筋がどうであれ、この御仁が積み上げてこられたものは確かにこの御仁のものでござる。
――そこを見ずに、血筋の話ばかりするのは勿体なかろう。
――中学で県を制し、高校を中退して芸の道へ入り、六年を経て一座を組み、そして三十三で学び舎へ戻られた。
この歩みだけで、十分すぎるほど面白いではないか。
【徳川末裔のうわさについてのまとめ】
今回はぱーてぃーちゃん・信子殿について調査してみた!
吾輩はぱーてぃーちゃん・信子殿に対して、血筋のうわさより、育った土地への恩を語り、33歳で学び舎に戻った御仁、と思ったんだがお主はぱーてぃーちゃん・信子殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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