巷に騒がれる、狩野英孝殿:神職の資格と、髪を切って挑まれた道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
事の始まりは狩野英孝殿が神職の資格をお持ちであると知ったことから始まる。笑いの道に生きる御仁が、なにゆえ神前に立たれるのか。順に見ていこうではないか。
【狩野英孝殿の略歴】
- 1982年2月22日、宮城県のお生まれ。栗原の地にて育たれる
- 高校では弓道の部に入り、県の代表として国民体育大会に出場
- 2000年、高校を出ると同時に役者を志して上京される
- 日本映画学校の俳優科にて学ばれる
- 2003年4月より、笑いの道で本格的に活動を始められる
- 2008年10月、絵物語にて声の仕事にも挑まれる
- 2014年、神職の資格を取得される
- 2020年1月より、動画の場での発信を始められる
- 2023年3月、その場の登録者が百五十万を超える
【弓を引いておった学び舎の日々】

巷で狩野英孝殿と申せば、あの独特の節回しと、己に酔うような芸で知られる御仁じゃ。だがお主、この御仁の学び舎の頃を存じておるか。――なんと、弓を引いておられたのじゃ。
1982年2月22日、宮城県のお生まれ。そして栗原の地にて育たれた。
高校は宮城県の築館高等学校。そこでこの御仁は弓道の部に入っておられる。
しかも、ただ入っておっただけではない。――県の代表として国民体育大会に出場しておられるのじゃ。
お主、これをどう思う。吾輩は正直に申して、驚いた。あの騒がしい芸風からは、およそ想像がつかぬ経歴であろう。
だがな、弓道というのは静かに構え、息を整え、一射に集中する武道じゃ。――派手さとは、最も遠いところにある。
そういう稽古を積んでこられた御仁が、後にあれほど賑やかな芸で世に出る。――人の道とは、まことに分からぬものよな。
そして高校の頃には、もうひとつ面白い話が残っておってな。三年の夏休みに、一か月かけて親指一本で旅に出られたというのじゃ。
当時始めたばかりの弦を抱えて国道へ飛び出し、停まった荷車に「どこまででもよいから乗せてほしい」と頼み込む。――そして辿り着いたのが、遥か西の広島であった。
しかもその運転手から「荷を降ろしたら仙台まで連れて帰ってやる」と声を掛けられ、同じ荷車で戻ってこられたという。――出来過ぎた話のようじゃが、ご本人が番組で語っておられる話でござる。
この行動力よ。――弓を引く静けさと、国道へ飛び出す無鉄砲さ。この二つを併せ持っておるのが、この御仁の面白いところじゃと吾輩は思うのじゃ。
この御仁が笑いの道へ入るまでの経緯も、面白いものでな。
高校を出ると同時に、役者を志して上京された。そして日本映画学校の俳優科に入られる。――つまり、初めは笑いではなかったのじゃ。
ところが卒業の間際、友に誘われてある事務所の催しを観に行かれた。そこに出ておった芸人たちに刺激を受け、笑いの世界へ進む決意を固められたという。
――一度の観劇が、人の道を変える。こういうことが、世の中にはあるのでござる。
そして2003年4月より、笑いの道で本格的に活動を始められた。だが、そこからが長い。
初舞台からの半年ほどは、芸がまるで客に届かなんだという。――受けぬというのは、舞台に立つ者にとって何より辛いことじゃ。
その頃には身体にも変調が出たと語っておられる。そしてその苦しさは、後にあの独特の芸風ができるまで続いたそうな。
――いまの騒がしい芸の裏には、そういう長い時期があったのでござる。
ちなみにこの御仁、路上で歌っておった頃から人を集める力があったという。――芸人になる前から、既に人を惹きつけておられたわけじゃ。
そして日本映画学校というのは、後に名を馳せる笑いの御仁たちを幾人も出しておる学び舎でな。この御仁も、そこで学ばれた一人でござる。
【髪を切って神職の資格を得る】

さて、ここからがこの御仁の最も面白いところじゃ。狩野英孝殿は、芸人でありながら神職の資格をお持ちなのでござる。
2014年の夏、この御仁は神職を養成する講習を一か月ほど受けられ、定められた階位を取得された。
――一か月でござるぞ。しかも笑いの仕事を続けながらのことじゃ。
そしてここが、吾輩が最も感じ入ったところでな。この資格を取るにあたり、この御仁は看板であった長い髪を断たれたのじゃ。
お主、あの髪を覚えておるか。あれはこの御仁の芸の一部でもあった。顔立ちを見せる商売において、髪型を変えるというのは相当に大きな判断でござる。
――それを、切られた。芸のためではなく、資格のために。
この一事だけで、吾輩はこの御仁を「本気の人」だと認めざるを得ぬ。
しかも資格を得た後の振る舞いが、また立派でな。神事を務めておる折には、芸人のような物言いはせぬよう心掛けておられるという。
――場をわきまえておられるのじゃ。騒がしい芸風の御仁が、務めるべき場では静かに務める。これができる者は、そう多くない。
さらに年の暮れから正月にかけては、神事に集中するために地元へ戻られ、生放送の正月の番組は出演を断っておられるという。
――年末年始と申せば、芸に生きる者にとって最も稼ぎ時であろう。そこを断つのでござる。
この一点をもってしても、この御仁がどちらも本気でやっておられることが分かろう。
世に知られるまでの道のりも、平坦ではなかった。
2007年、周りの一人芸の者たちが次々と世に出ていく中で、この御仁は店の勤めが主な稼ぎであったという。
――同じ舞台に立っておった者が売れていく。その横で、己は店に立っておる。この心持ちは、想像するに余りある。
だがその年の後半から、己に酔うような独特の役どころで人気を得ていかれる。――そこからは、あっという間であった。
翌2008年には芝居にも出て役者としても世に出られ、同じ年の秋には絵物語で声の仕事にも挑まれておる。
――受けぬ時期を抜けた後の広がり方が、実に見事なのでござる。
独特の芸風について、少し考えてみようではないか。
己に酔うような役どころというのは、実のところ演じるのが難しいものじゃ。――やり過ぎれば嫌われ、足りなければ面白くない。
その塩梅を掴むまでに、この御仁は数年を要しておられる。――受けぬ半年があり、店に立った時期があり、その果てに辿り着いた形なのでござる。
つまりあの芸風は、苦しみの末に作られたものじゃ。――軽々しく見えるものほど、裏では重いものが積まれておる。
【未来予想図-歌い手としての顔】

さて、この御仁のもうひとつの顔を語らせてくれ。――歌い手としての顔じゃ。
実はこの御仁、学び舎の頃から弦を抱えて路上で歌っておられた。日本映画学校に通っておった時分には、駅の周りで歌う日々であったという。
そしてここが面白い。同じ時期に同じ沿線で歌っておった一組の御仁たちが、「集客ではこの御仁に敵わなかった」と語っておられるのじゃ。――その一組は、後に国民的な歌い手となる。
つまりこの御仁、歌の道でも相当な力を持っておられたということじゃ。
その後も歌の活動は続いておってな。2008年には歌の盤を世に出され、他の御仁に詞や曲を提供されたこともある。
そして2009年からは、番組の仕掛けから生まれた別の名でも活動を始められた。――その曲が話題を呼び、携帯からの取り込みが五十万件を超えたというから恐れ入る。
近ごろでは他の芸人や役者と組んで、次々と歌の一座を作っておられる。2022年には名の知れた二人組と組んで有名な曲の作り直しまで披露しておられる。
――笑いも、歌も、神事も。この御仁の引き出しは、数えるのが面倒になるほど多い。
そして2020年からは、動画の場での発信も始められた。2023年3月には登録者が百五十万を超えておる。
特に遊戯の実況が評判を呼んでおってな。――大袈裟な驚きようが、そのまま芸になっておるのじゃ。
2022年には、若い世代への知られ具合を調べた企みにおいて、十代への知名度が番組の歴史で初めて百点満点を記録したという。
――お主、これがどれほどのことか分かるか。十代の全員が知っておる、ということじゃぞ。
未来予想図を描くとするならば、この御仁はこれからも「どこにでも顔を出す御仁」であり続けるであろう。
弓を引き、髪を切り、路上で歌い、画面で叫び、そして神前で祝詞を上げる。――こんな御仁が、他におろうか。吾輩は、この御仁のこれからを楽しみにしておるのじゃ。
近ごろのこの御仁の活躍ぶりも、なかなかのものでな。
2021年には初めての写真の本を出され、2023年には地元の地域からいくつもの大使の役目を任されておる。
――故郷から役目を任されるというのは、その土地に認められておる証しじゃ。
そして忘れてはならぬのが、この御仁がいつも前を向いておられることよ。
受けぬ時期があり、店に立っておった時期があり、それでも笑いの道を降りなんだ。
――そういう御仁が、いまや十代の全員に名を知られておるのじゃ。
吾輩は、この御仁のこれからを本気で楽しみにしておるのでござる。
歌の活動についても、もう少し補っておこう。
近ごろでは他の芸人や役者と組んで、次々と一座を作っておられる。――一人ではなく、誰かと組む。これも、この御仁らしいところじゃ。
そして歌の会を開けば、人が集まる。――笑いで知られておる御仁が、歌でも人を集められる。これは、なかなかできることではない。
路上で歌っておった青年が、いまや大きな会場で歌っておるのじゃ。――話が繋がっておって、吾輩はなんとも気持ちがよいのでござる。
【神職の資格を持つ芸人!?髪を切って挑んだ道についてのまとめ】
今回は狩野英孝殿について調査してみた!
吾輩は狩野英孝殿に対して、弓を引き、髪を切り、そして笑いも歌も神事もこなす多芸の御仁と思ったんだがお主は狩野英孝殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
関連記事

