【板尾創路】海老を残す男!?菓子を手に押しかけた十代

【板尾創路】逮捕からの不倫!?それでも芸能世界を生き抜く!! 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、板尾創路殿:海老を残すという伝説と、菓子を手に押しかけた十代の話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1963年7月18日、大阪府富田林市のお生まれ
  • 高校を出て一度は勤めに就くも、程なく辞められる
  • 十代の頃、菓子を手土産に大先輩の家へ押しかけられる
  • 断られるも養成所を勧められ、その四期生として入られる
  • 1991年、人気の番組に加わり全国にその名を知られる
  • 2001年、木村祐一殿と組んで漫才の大会に挑まれる
  • 2003年、名だたる書き手を迎えて一人舞台を打たれる
  • 2005年頃より、役者としての活動が目立つようになる
  • 2010年10月、初めての冠の番組が始まる
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【菓子を手に押しかけた十代】

板尾創路は菓子を手に押しかけた十代

巷で板尾創路殿と申せば、何を考えておられるのか分からぬ佇まいで知られる御仁じゃ。だがお主、この御仁がどうやって芸の道へ入られたか存じておるか。

――これがまた、可笑しいのでござる。

1963年7月18日、大阪府富田林市のお生まれ。高校を出て一度は勤めに就かれたが、程なく辞められた。そこから、いくつもの職を渡り歩かれる。

そして十代の頃、この御仁は驚くべき行動に出られる。

――なんと、菓子を手土産に、大先輩の家へいきなり押しかけられたのじゃ。

しかも、その目的が弟子入りの願い出でござる。

お主、想像してみよ。呼ばれてもおらぬ十代の若者が、菓子を提げて名の知れた御仁の家の戸を叩くのじゃぞ。

――普通ならば、追い返されて終わりであろう。

実際、その御仁には既に弟子が一人おったゆえ、この願いは断られておる。

だが、ここからが違うのじゃ。

断られた代わりに、養成所へ入ることを勧められた。そしてこの御仁は、後にその四期生として入られる。

――追い返されて終わらず、別の道を示してもらう。

この押しの強さこそが、そもそもの始まりであったわけじゃ。

吾輩は、この話を知ったとき唸ってしもうた。――何も持たぬ者が道を開くには、こういう厚かましさが要るのでござるな。

この御仁の若い頃について、もう少し。

高校を出て一度は勤めに就かれたが、程なく辞められた。そこからいくつもの職を渡り歩かれたという。

――つまり、初めから芸の道を志しておられたわけではないのじゃ。

そして十代の終わり頃に、あの押しかけである。

何の伝手も無い若者が、菓子だけを手に名の知れた御仁の家を訪ねる。――度胸というより、もはや無謀でござる。

だがな、その無謀さが道を開いた。――断られはしたが、「ならば養成所へ行け」という言葉をもらえたのじゃ。

何もせぬ者には、その言葉すら届かぬ。――動いた者だけが、次の一手を教えてもらえるのでござる。

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【名を譲り、大喜利の王となる】

板尾創路は名を譲り大喜利の王となる

さて、養成所に入られたこの御仁じゃが、ここでも面白い話が残っておる。

当時、この御仁は組を作っておられ、「ホンコン」という名を名乗っておられた。

――ところが、その組は程なくして解かれる。

そしてこの御仁は、その名を同じ頃に入った者へ譲り渡されたのじゃ。

――お主、気づいたか。いま「ほんこん」と名乗っておられるあの御仁は、この名を受け継いだ側なのでござる。

そして面白いことに、その御仁が後にこの板尾殿の相方となる。――名を譲った相手と、組を作ることになるのじゃ。

――なんとも数奇な巡り合わせではないか。

そして1991年、人気の番組に加わったことで、この御仁の名は一気に全国へ知れ渡る。

この番組でこの御仁が演じられた係長の役どころは、いまなお語り草でござる。

――一言だけで場を持っていく。あの間の取り方は、他の誰にも真似ができぬ。

そしてこの御仁の真骨頂が、大喜利でござる。

言葉遊びの企みでは最も多く頂を取り、手の中の板を使う大喜利の番組では審査の長という肩書きまでお持ちじゃ。

さらに大喜利の大きな催しに初めて出た折には、既に伝説の扱いを受けておられた。――共に挑む御仁たちが、並んで座ることへの緊張を語ったほどでござる。

名を譲るということについて、少し考えてみようではないか。

芸の名というのは、その者の看板でござる。――簡単に手放せるものではない。

ところがこの御仁は、組が解けた後に、その名を人へ渡された。

――執着が無いのじゃ。

そして面白いことに、その名を受け取った御仁が、後にこの板尾殿の相方となる。

――手放したものが、巡り巡って戻ってくる。こういうことが、世の中にはあるのでござるな。

そしてこの「執着の無さ」は、この御仁の芸風そのものでもある。

笑いを取りにいく気配が無い。――だが、なぜか可笑しい。これができる者は、そうはおらぬのでござる。

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【未来予想図-掴みどころのなさこそ武器】

板尾創路の未来予想図-掴みどころのなさこそ武器

さて、この御仁を語るうえで欠かせぬのが数々の伝説でござる。

この御仁、かなりの天然であられてな。その逸話を集めた企みが組まれるほどなのじゃ。

いくつか挙げてみようではないか。

――海老の揚げ物の定食を頼み、海老を残された

……お主、意味が分かるか。吾輩には、いまだに分からぬ。

――野球の遊戯において、機械同士を戦わせて、それを眺めておられた。

――九時間に及ぶ生の番組で、勝手に帰られた。

――他人の手の中の板で、文を打っておられた。

――大喜利の番組で、締めの一言を無言のまま終えられた。

……いかがでござろう。――どれ一つとして、意味が分からぬ。

だがな、ここが大事なところじゃ。

この御仁の芸というのは、まさにこの掴みどころのなさそのものなのでござる。

何を考えておるのか分からぬ。次に何を言い出すか読めぬ。――だからこそ、目が離せぬのじゃ。

そしてこの資質は、役者としても大いに活きておる。

2005年頃からは役者としての仕事が目立つようになり、映画にも舞台にも数多く出ておられる。さらには、自ら映画を撮る側にも回っておられるのじゃ。

2003年には名だたる書き手を迎えて一人舞台を打たれ、2010年の秋には、東京の局で初めての冠の番組も持たれた。

未来予想図を描くとするならば、この御仁はこれからも「読めぬ御仁」であり続けるであろう。

菓子を手に押しかけた十代の若者が、名を譲り、大喜利の王となり、そして役者にも、撮る側にもなった。

――こういう歩み方をする者は、他におらぬ。吾輩は、そこを面白いと思うておるのでござる。

この御仁の言葉で、印象に残っておるものがある。

役者の仕事が増えてきた頃、この御仁はこう語っておられた。「もう僕らの時代じゃない」「笑いに未練もない」と。

――なんとも淡々とした言葉じゃ。

普通ならば、「まだやれる」「これからだ」と言いたくなるところであろう。――だがこの御仁は、そう言わぬ。

そして未練が無いと言いながら、大喜利の場では誰よりも切れ味を見せておられる。

――執着せぬ者ほど、強い。これは、あらゆる道に当てはまることかもしれぬな。

近ごろでは、木村祐一殿との語りの会も折に触れて開かれておるという。――二人きりで舞台に立ち、ただ話す。

こういう場を持てるというのも、長く続けてきた者の特権でござろう。

――海老を残し、機械同士の試合を眺め、生の番組から勝手に帰る御仁が、いまなお舞台に立ち続けておる。

吾輩は、そこが好きなのでござる。

最後に、この御仁の間の取り方について語らせてくれ。

この御仁の芸には、妙に長い沈黙があることが多い。――普通ならば、間が空けば場が冷える。

ところがこの御仁の場合、その沈黙こそが可笑しいのでござる。

――何も言わぬことで、笑いを取る

これは、恐ろしく高度な技じゃ。多くの者は、間が怖くて喋ってしまう。

この御仁は、そこで喋らぬ。そして客が耐えきれなくなったところで、ぽつりと一言を落とす。

――あの呼吸は、三十年以上舞台に立ってきた者にしか出せぬものでござる。

菓子を手に押しかけた十代の若者が、いまや沈黙だけで笑いを取れる御仁となられた。――大した変わりようではないか。

そして忘れてはならぬのが、この御仁が撮る側にも回っておられることじゃ。

演じ、笑わせ、そして映画を撮る。――もはや何の御仁なのか、括りようがない。

だがな、括れぬというのは強みでござる。――「あの人といえばこれ」と決まっておらぬゆえ、どんな仕事でも来るのじゃ。

菓子を持って押しかけた日から、この御仁はずっと枠の外におられる。

――そして枠の外におる者は、枠が変わっても生き残るのでござる。

吾輩は、この御仁のこれからを静かに楽しみにしておるぞ。

――何を考えておるのか分からぬ御仁が、四十年にわたって世の真ん中に居続けておる。

これほど痛快な話も、そうはあるまい。

ついでに申せば、この御仁は2010年の春から、木村祐一殿と二人きりの語りの会を折に触れて開いておられる。

――およそ九年ぶりの再会から始まった会が、その後も続いておるというのじゃ。

台本も無く、ただ二人で舞台に立って話す。――これほど怖い場も、そうはあるまい。

受けねば、逃げ場が無いのでな。

――そこに立ち続けられるというのが、この御仁の芸の底力でござろう。

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【海老を残す男!?菓子を手に押しかけた十代についてのまとめ】

今回は板尾創路殿について調査してみた!

吾輩は板尾創路殿に対して、押しかけて道を開き、掴みどころのなさを武器に変えた御仁と思ったんだがお主は板尾創路殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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