巷に騒がれる、西田ひかる殿:亜米利加で育たれた歳月と、そこで得たものについてについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1972年8月16日のお生まれ、神奈川県藤沢市の出
- 1973年から1985年まで、亜米利加のロサンゼルス界隈にて育たれる
- 1988年、「フィフティーン」にて歌の道に入られた
- 同じ年、舞台「小公子セディ」にて主役を務めておられる
- 以後、歌と演じる道を並べて歩んでこられた
- 1994年9月、上智の学び舎の比較文化の科を修めておられる
- 1997年12月、長野の冬の大会の使いに任じられた
- 2011年8月より、兵庫県西宮市の初代の観光の使いを務められる
- 野菜の目利きの資格も持っておられるという
- 年に二度の施しの催しにも、長く関わってこられた
- 二つの言葉を操る者として、長く世に知られておる
- いまもテレビに出続けておられる
【生後まもなくから、13の齢まで】

吾輩が今宵語るは、西田ひかる殿の育ちでござる。
――二つの言葉を操る者として、長く世に知られてこられた御方じゃ。
だがお主、その言葉がどこで身についたか御存知かな。
――生後まもなくから、13の齢まで亜米利加におられたのでござるよ。
1973年から1985年まで、ロサンゼルス界隈にて育たれたという。
――十二年でござる。人の土台ができる歳月そのものでござってな。
この歳月が肝要なのでござる。
――大人になってから渡ったのとは、まるで違うのでござるよ。
幼き頃に浴びた言葉は、覚えるのではのうて染み込むのでござってな。
――考えずとも出てくる、という所まで行くのでござる。
そして13の齢で、この国へ戻ってこられた。
――ここからが、実は大変な所でござってな。
戻った者は、二つの世を行き来せねばならぬのでござる。
――向こうの当たり前が、こちらでは当たり前ではないのでござるからな。
そして1988年、この御方は歌の道に入られた。
――「フィフティーン」という曲でござったよ。
同じ年、舞台にて主役も務めておられる。
――十五、六の齢で、いきなり真ん中に立たれたのでござる。
その頃のこの御方は、明るく屈託のない者として世に映っておられた。
――だが中身は、二つの世を抱えた者であったはずでござる。
そして働きながら、学びも続けられたのでござってな。
――1994年9月、上智の学び舎の比較文化の科を修めておられる。
お主、この科の名に目を留められたかな。
――比較文化。まさに、この御方が生きてこられたことでござる。
二つの世の間におった者が、その間そのものを学ばれたのじゃ。
――これは偶さかではござるまい。
己の内にあるものを、学びの言葉で捉え直そうとされたのでござろう。
――ここに、この御方の芯があると吾輩は見ておる。
働きながら学び舎を修めるのは、並のことではござらぬ。
――しかも当時は、休む間もないほど世に出ておられたのでござるからな。
【二つの言葉を持つ、ということ】

さて、ここで少し掘り下げてみようぞ。
――二つの言葉を持つとは、どういうことでござろうか。
お主はこう思われるやも知れ申さぬ。
――言葉が二つ話せる、というだけであろうと。
だが、そうではないのでござるよ。
――言葉が二つあるとは、物差しが二つあるということでござる。
同じ出来事でも、言葉が違えば見え方が変わるのでござってな。
――こちらで無礼なことが、向こうでは率直と呼ばれるのでござるよ。
つまり二つの言葉を持つ者は、常に二つの答えを持っておるのじゃ。
――これは強みでもあり、しんどさでもござってな。
どちらの場でも、少しだけ余所者なのでござるよ。
――完全に溶け込むということが、起きにくいのでござる。
だがその位置には、他にはない値打ちがござってな。
――間に立てる、ということでござるよ。
この御方が長く重宝されてこられた理由は、そこにあると吾輩は見ておる。
――海の外の客人を迎える場に、幾度も呼ばれてこられたのでござるからな。
1997年には、長野の冬の大会の使いにも任じられておられる。
――世界に向けて、この国を語る役でござった。
この役は、言葉が話せるだけでは務まらぬのでござってな。
――両方の受け取り方が分かっておらねばならぬのでござるよ。
そして2011年からは、兵庫県西宮市の初代の観光の使いも務められておる。
――此度は、逆に土地の側から語る役でござってな。
外に向けて語る役と、内から語る役。その両方を担われたのじゃ。
――ここに、この御方の立ち位置がよう表れておる。
さらにこの御方は、野菜の目利きの資格も取っておられる。
――これもまた、学び直しでござってな。
世に出た後も、学ぶことをやめておられぬのでござるよ。
――お主、これは並のことではござらぬぞ。
一度名が知れると、人は学ばのうなるのでござってな。
――知っておる者として振る舞う方が、楽でござるからな。
【未来予想図-この御方が積み重ねてこられたもの】

さて、ここからはこの御方が積み重ねてこられたものを語ろうぞ。
――この御方の歩みには、一つの筋が通っておってな。
それは、与えられたものを土台に変えてこられた、という筋でござる。
――亜米利加で育たれたのは、この御方が選んだことではござらぬ。
幼子に、住む土地を選ぶ力はござらぬのでござるからな。
――つまり、たまたま与えられた育ちでござったのじゃ。
だがこの御方は、それを持ち札に変えられた。
――しかも、ただ使うだけではのうて学び直されたのでござるよ。
比較文化の科で学ばれたのが、まさにそれでござってな。
――感覚で持っておったものを、言葉で捉え直されたのじゃ。
ここが、他の帰ってきた者たちと違う所でござる。
――多くの者は、持っておるだけで終わるのでござるからな。
持っておるものを、説明できる形にした者は強いのでござるよ。
――説明できれば、人に渡せるのでござるからな。
そしてこの御方は、渡す側にも回ってこられた。
――大会の使い、土地の使い。いずれも渡す役でござる。
さて、これから先はどうなるでござろうか。
――吾輩の見立てを申せば、この御方の役はむしろ増えるでござろう。
何ゆえかと申せば、間に立てる者が足りておらぬからでござる。
――言葉が話せる者は増えたのでござるよ。
だが、両方の受け取り方が体に入っておる者は少ないのでござってな。
――そしてそれは、大人になってからでは身につきにくいのじゃ。
ゆえにこの御方の持ち札は、年を追うごとに希少になるのでござる。
――減るのではのうて、増えるのでござるよ。
最後に、お主に一つ申し上げたいことがござる。
――お主にも、与えられたものが必ずござるはずじゃ。
生まれた土地、育った家、たまたま出会うた人。
――いずれも、己が選んだものではござらぬ。
だがそれを土台に変えられるかどうかは、己次第でござってな。
――与えられたものを、学び直した者が強いのでござるよ。
【13歳までアメリカで!?二つの言葉についてのまとめ】
今回は西田ひかる殿について調査してみた!
この御方は、生後まもなくから13の齢まで亜米利加で育たれた。
1973年から1985年まで、ロサンゼルス界隈での歳月でござる。
1988年にシングル『フィフティーン』で歌の道へ入られ、同じ年にミュージカル『小公子セディ』の主役も務められた。
そして働きながら、1994年9月に上智の学び舎を修めておられる。
科は比較文化。己が生きてきた場そのものを学ばれたのじゃ。
1997年には長野の冬の大会の使いに任じられておられる。
2011年からは、兵庫県西宮市の初代の観光の使いも務められた。
外へ語る役と、内から語る役。その両方を担ってこられたのでござる。
吾輩は西田ひかる殿に対して、二つの言葉を持つとは、二つの物差しを持つことでござる、と思ったんだがお主は西田ひかる殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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