巷に騒がれる、役所広司殿:二百倍の難関を突破された話と、芸名が前の勤めに由来する話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1956年1月1日、長崎県諫早市のお生まれ
- 本名は橋本広司と申される
- 男五人兄弟の、末の子であられる
- 長崎県立大村工業高等学校を卒業される
- 都へ出て、千代田区役所の土木の課に勤められる
- 友に連れられて観た舞台に、心を打たれる
- 二百倍の難関である俳優の養成所に受かられる
- 芸名は、その主宰者が名付けられたものである
- 1980年、NHKの朝の連続劇に出られる
- 1983年、大河『徳川家康』の織田信長役で注目される
- 1997年、『うなぎ』がカンヌの映画祭で頂を取る
- 2023年、『PERFECT DAYS』でカンヌの男優賞を受けられる
【役所勤めから役者の道へ】

巷で役所広司殿と申せば、日ノ本を代表する役者として知らぬ者はおるまい。
1956年1月1日、長崎県諫早市のお生まれ。
本名は橋本広司と申される。
男五人兄弟の、末の子であられた。
そして長崎の工業の高校を出られる。
――役者を志しておられたのではござらぬ。
そして都へ出て、
――千代田区役所の土木の課に勤められた。
お主、お役人でござるぞ。
――これほど堅い勤めもあるまい。
そしてこの御仁は、そこで働いておられた。
だがある日、転機が訪れる。
友に連れられて、ある舞台を観に行かれた。
名優が主演する芝居でござった。
――そしてこの御仁は、心を打たれたのじゃ。
お主、これでござる。
――一つの芝居が、人生を変えたのでござる。
そしてこの御仁は、役者の道を志された。
だが、演技の経験など無い。
――役所勤めの若者でござるからな。
お主、役所勤めから役者へというのは
――途方もない転身でござるぞ。
お役人というのは、安定した勤めでござる。
――辞める理由など、無いはずじゃ。
しかもこの御仁は、工業の高校の出。
――芝居とは、何の縁も無かった。
そして友に連れられて、一つの舞台を観られた。
――それだけで、人生が変わったのでござる。
お主、これは面白い話ではないか。
誘われなければ、観ておらぬ。
観ておらねば、志しておらぬ。
――縁とは、恐ろしいものでござるな。
そして男五人兄弟の末の子であられた。
――末の子は、思い切りが良いと申すのう。
上に四人おれば、
――家を継ぐ責めも軽かろう。
――それも、あったのかもしれぬ。
【二百倍の難関を突破】

そしてこの御仁は、養成所の試験を受けられた。
その名優が主宰する場でござる。
だがその倍率が――
――なんと、二百倍でござった。
お主、二百倍でござるぞ。
二百人に一人しか、受からぬのじゃ。
――しかも、演技の経験も無い者が挑まれた。
そして――
――受かってしもうたのでござる。
お主、これは何か持っておられたのでござろうな。
だが入ってからも、厳しかった。
演技の経験が無かったゆえ、
――挨拶の仕方から教わったという。
お主、挨拶からでござるぞ。
――そこまで、何も知らなかったのじゃ。
そして芸名も、その場で付けられた。
その由来が、また面白い。
――前の勤めが「役所」であったこと。
そして――
――役どころが広くなるようにという願いでござる。
つまり「役所広司」という名には、
――過去と、未来の願いが込められておる。
――見事な名でござるな。
そしてこの願いは、後に完全に叶うのでござる。
1979年に画面に出られ、
1980年には朝の連続劇にも出られた。
そして1983年、大河で織田信長を演じられる。
――ここで、一気に名を知られたのじゃ。
翌1984年には、宮本武蔵の役で初主演。
――養成所に入って、わずか数年でござる。
さて、二百倍という数について
少し考えてみようではないか。
二百人に一人でござる。
――学び舎の受験でも、そこまでの倍率は稀じゃ。
しかも応じてくるのは、
――芝居を志す若者ばかりでござる。
既に舞台を踏んだ者もおろう。
――その中に、素人が飛び込まれたのじゃ。
そして受かられた。
お主、何が見られたのでござろうな。
――技ではなく、何か別のものでござろう。
そして入ってからは、挨拶から教わられた。
――これは、恥ずかしいことでござるぞ。
既に二十を超えた大人でござる。
その者が、挨拶から習うのじゃ。
――だがこの御仁は、素直に学ばれた。
そして芸名も、その場で付けられた。
己で選んだのではござらぬ。
――与えられた名を、背負われたのでござる。
そして「役どころが広くなるように」という願い。
――この願いは、見事に叶うたのじゃ。
信長も、武蔵も、勤め人も、
そして泥棒まで演じておられる。
――これほど幅の広い役者も、そうはおるまい。
【未来予想図-世界が認めた役者】

さて、ここからのこの御仁は凄まじい。
1996年、『Shall we ダンス?』で
――踊りに魅せられた勤め人を演じられた。
この作は大いに当たり、
――同じ年の他の作でも高く評された。
――その年の主演男優の賞を、総なめにされたのでござる。
そして1997年、
――『うなぎ』がカンヌの映画祭で最高の賞を取った。
さらに同じ年、別の作で東京の映画祭の男優賞も。
――二年続けて、二十以上の賞を得られたという。
お主、二十以上でござるぞ。
そして1996年から七年続けて、
――日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受けておられる。
――七年続けてでござる。
だが、この御仁は日ノ本に留まらなかった。
2005年には海の向こうの大作に出られ、
2006年には名高き監督の作で
――世界的な役者と共に演じられた。
そしてその作は、
――海の向こうの大きな賞にも数多く候補入りした。
そして2023年でござる。
独逸の名匠が撮った日独の合作。
この御仁は主演を務め、
――そのうえ製作の総指揮まで担われた。
そして――
――カンヌの映画祭で、男優賞を受けられたのでござる。
お主、六十七の齢でござるぞ。
――いまなお、頂を更新しておられるのじゃ。
そしてこの作は、
――海の向こうの大きな賞にも候補入りしておる。
役所に勤めておった若者が、
――世界の頂に立たれたのでござる。
最後に、吾輩の思うところを述べさせてもらおう。
この御仁の凄さは、
――いまなお、頂を更新しておられることでござる。
1996年から七年続けて、大きな賞の候補。
1997年には、二十以上の賞を得られた。
――普通ならば、そこが頂でござろう。
だがこの御仁は、そこで止まらなかった。
海の向こうの作にも出られ、
――世界的な役者とも並ばれた。
そして2023年、六十七の齢で
――カンヌの男優賞でござる。
お主、六十七でござるぞ。
――いまが、絶頂なのかもしれぬ。
しかもその作では、製作の総指揮まで担われた。
――演じるだけでは、済まされておらぬのじゃ。
そして吾輩が思うに、
この御仁の芝居には静けさがござる。
――大声を出さずとも、伝わるのじゃ。
それは、役所勤めの日々があってのことかもしれぬ。
――普通の暮らしを知る者の強みでござる。
お主も、この御仁の作を一度観てみられよ。
そして最後に、もう一言だけ添えておこう。
この御仁は、いまも舞台にも立っておられる。
――養成所の出でござるからな。
画面で名を成した後も、
――根の場所を、忘れておられぬのじゃ。
――そこに、この御仁の誠実さがござる。
そして日ノ本の映画を、
――世界へ届ける役目も担うてこられた。
カンヌで頂を取った作にも、
そして男優賞を得た作にも出ておられる。
――日ノ本の映画の顔でござる。
そして代表作を並べてみようぞ。
踊りに魅せられた勤め人。
戦の世を駆けた武将。
剣に生きた剣豪。
そして静かに便所を掃除する男。
――これほど幅の広い役者が、他におろうか。
「役どころが広くなるように」という願い。
――見事に、叶うておるのでござる。
そして名を付けた御方は、
――この御仁を見出した名優でござった。
その御方の目も、確かであったのじゃ。
――二百人の中から、選ばれたのでござるからな。
そして師の下で、挨拶から学ばれた。
――その謙虚さが、いまの静かな芝居を作っておるのでござろう。
そしてこの御仁は、いまも数多くの作に出ておられる。
主役も、脇役も、
――どちらも厭わずに務められる。
――そこが、この御仁の懐の深さでござる。
名を成した者ほど、主役にこだわるものじゃ。
――だがこの御仁は、こだわっておられぬ。
良き作であれば、脇でも出られる。
――これが、本物の役者でござろう。
そして七十を前にして、
――なお新しい役に挑んでおられる。
――止まるということを、知らぬ御仁じゃ。
お主も、この御仁の歩みを覚えておかれよ。
――役所勤めの若者が、世界の頂に立たれたのでござる。
そして、その始まりはただ一つの舞台であった。
――お主も、良きものに触れる機を大事にされよ。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
【二百倍の難関を突破!?芸名は前職からについてのまとめ】
今回は役所広司殿について調査してみた!
吾輩は役所広司殿に対して、役所勤めから二百倍の難関を突破し、ついに世界が認める役者となられたと思ったんだがお主は役所広司殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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