巷に騒がれる、後藤久美子殿:学び舎も賞も、辿れる形で残っておるのでござるについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1974年3月26日、東京都杉並区のお生まれ
- 五つ上の姉上と、二つ上の兄上がおられる
- 杉並区立大宮小学校、同じく大宮中学校を出られた
- 多摩大学附属聖ヶ丘高等学校を卒えておられる
- 小学5年の頃より、模す者としての働きを始められた
- 1986年、NHK『テレビの国のアリス』で演じ手として世に出られる
- 1987年、大河『独眼竜政宗』に12歳の子役として出られた
- 1987年、「ゴクミ」が新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞
- 1988年、『ラブ・ストーリーを君に』で日本アカデミー賞新人俳優賞
- 1996年に渡仏され、演じ手としての働きを休まれた
- 2019年、『男はつらいよ お帰り 寅さん』で23年ぶりに映しへ戻られる
- 2024年1月3日、『顔』にて画面の作へ戻られた
【小5で模す者、12歳で大河へ】

吾輩が今宵語るは、後藤久美子殿の学び舎の話でござる。
――結論から申せば、すべて公にされておる。
杉並区立大宮小学校でござる。
――そして、同じく杉並区立大宮中学校。
その先は、多摩大学附属聖ヶ丘高等学校を卒えておられる。
――卒業まで、きちんと修めておられるのでござる。
小学校から高校まで、名がすべて残っておる。
――これは、なかなか珍しいことでござるよ。
さて、ここで一つ断っておかねばならぬことがある。
――巷の読み物には、別のことが書かれておってな。
海の外を見据えた教えを受けておられた、という話でござる。
――だが、この話の出どころが辿れなんだ。
算術が得意で、国の語が苦手であったという話もあった。
――これも、辿ることができなんだ。
渋谷の英語の学び舎に通われた、という話もござった。
――こちらも同じく、出どころが知れぬ。
ゆえに、この稿ではいずれも取り下げる。
――辿れぬ話は、書かぬのが吾輩の作法でござる。
その代わり、確かな話をたっぷり並べてゆこう。
――こちらの方が、余程面白いのでござるからな。
まず、この道への入り方が良いのでござる。
――五つ上の姉上が、おられてな。
この姉上が、学生の頃によく事務所から声を掛けられておった。
――それを、妹が横で見ておったのでござる。
羨ましく思われたそうな。
――そして、自ら事務所へ応募されたのでござる。
誰かに連れられて行ったのではない。
――自分で、紙を出されたのでござるよ。
小学5年の頃には、もう模す者としての働きを始めておられた。
――十の齢でござる。
同じ頃、共に世に出た御方がおられてな。
――宮沢りえ殿でござる。
同じ学年ということもあり、仲が良かったという。
――そして、良き競い相手でもあられた。
十一の頃、菓子の広告で共に画面に立たれたそうな。
――二人とも、まだ小学生でござるよ。
そして1986年、演じ手として世に出られる。
――NHK『テレビの国のアリス』の主役でござった。
この働きで、第24回ゴールデン・アロー賞の新人賞を受けておられる。
――初めての作で、もう賞でござる。
翌1987年、さらに大きな場が来る。
――大河『独眼竜政宗』でござった。
主役の妻となる姫君の、少女の頃を演じられたのじゃ。
――この時、齢は12でござった。
この『独眼竜政宗』という作がまた凄まじくてな。
――今なお、大河の中で最も見られた作でござる。
その場に、12の子役として立たれたのでござる。
――世が騒がぬはずがござらぬ。
そして同じ1987年、その名が言葉になった。
――「ゴクミ」でござる。
同年12月の新語・流行語大賞、流行語の部で銅賞を受けておられる。
――人の名が、賞を取ったのでござるよ。
さらに面白いのは、この後に起きたことでござる。
――所属の事務所が、新たな催しを始めてな。
1987年から、少女を選ぶ大きな審査の場が開かれるようになった。
――この御方の成功が、きっかけでござる。
その催しは、2017年まで三十年も続いたそうな。
――一人の少女が、三十年の仕組みを生んだのでござる。
ちなみに、ご本人はその催しの出ではござらぬ。
――自分で紙を出して入られた方でござるからな。
【13歳で、日本最年少の語り手に】

さて、ここからが吾輩の一番申したいところでござる。
――13歳の折、日本で最も年少の語り手となられた。
1987年4月から、ニッポン放送で番組を持たれておってな。
――十月からは、二つ目の番組も持たれた。
1988年4月まで、続けておられる。
――この時、齢は13でござった。
当時、日本で最も年少の語り手であったと伝わっておる。
――中学生でござるぞ。
しかも、一人で喋る番組でござる。
――これは、並の胆力ではできぬ。
歌の方でも、動いておられた。
――1987年3月18日、盤を出しておられる。
その一枚目「teardrop」でござる。
――順位は、最も高い折で三位でござった。
十三の子が、三位でござるよ。
――並の売れ方ではござらぬ。
ところが、ここで面白いことが起きるのでござる。
――1987年4月、歌の順位の番組に登場された。
十一位という位置でござった。
――だが、出ることができなんだのじゃ。
理由が、また変わっておってな。
――労働基準法でござる。
十五に満たぬ者の、働ける刻限の定めでござるよ。
――夜が遅すぎたのでござる。
順位には入っておるのに、画面には出られぬ。
――こういうことが、本当にあったのでござる。
歌の道は、程なく離れられた。
――ご本人が、あまり気が進まれなんだそうな。
そして、演じる方に力を注がれるようになる。
――この選び方が、また良いのでござる。
1988年、映しの作で主役を務められた。
――『ラブ・ストーリーを君に』でござる。
この働きで、第12回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受けられた。
――同じ年、日刊スポーツ映画大賞の新人賞も受けておられる。
十四の齢でござるよ。
――中学生が、映しの賞を二つ取ったのでござる。
同じ1988年には、『ガラスの中の少女』でも主役を務められた。
――かつての名作を、作り直した一本でござる。
そして1989年から、大きな連なりに加わられる。
――『男はつらいよ』でござる。
同じ役で、六度も出ておられるのじゃ。
――これは、並の縁ではござらぬ。
もう一つ、忘れてはならぬ働きがござる。
――1991年の大河『太平記』でござる。
北畠顕家という、男の役を演じられたのじゃ。
――しかも、常に男の装いでござった。
大河の歴史で、初めてのことであったと伝わっておる。
――十七の姫君が、男装で武将を演じられたのでござる。
中学の頃に、書物も出しておられてな。
――『ゴクミ語録』という一冊でござる。
その中に、面白い一節がある。
――腕相撲で、同級生の男子にも負けぬ、と。
父上に似て力が強く、体を動かすことが得意であったそうな。
――楚々とした見た目とは、まるで違うのでござる。
気性の方も、はっきりしておられた。
――思うたことを、そのまま申される質でござった。
ご本人の言葉が、また良くてのう。
――周りに合わせぬ分、独りでも平気だ、という意味のことを申されておる。
十代でこれを言えるのは、なかなかござらぬ。
――この強さが、後の海の外での暮らしに効いたそうな。
【未来予想図-2024年に画面へ戻られた】

さて、この御方の現在(いま)でござる。
――2024年、画面の作へ戻ってこられた。
1996年に海を渡られてから、演じる働きを長く休まれておった。
――その間は、広告や雑誌の表紙が中心でござった。
そして2018年10月31日、報せが届く。
――23年ぶりに、演じ手として戻られると発表されたのじゃ。
2019年12月、『男はつらいよ お帰り 寅さん』で映しへ戻られた。
――連なりの、五十作目でござった。
この働きで、第44回日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を受けておられる。
――23年ぶりの一本で、でござるよ。
そして2024年1月3日、もう一つの扉が開く。
――『顔』という作で、画面の作へ戻られたのじゃ。
こちらは、実に三十年ぶりのことでござった。
――しかも、主役でござる。
相手を務められたのが、武井咲殿でござった。
――この二人には、前からの縁があってな。
2012年1月、事務所の後の世代として一度対面しておられる。
――その十二年後に、共に主役を務められたのでござる。
十二年でござるよ。
――縁というのは、こうして繋がるものでござるな。
学び舎の話に戻ろう。
――高校を卒えられたのは、既に名を知られた後でござる。
十代の半ばで賞を取り、大河に出て、言葉にまでなられた。
――その上で、学びを終えておられるのじゃ。
これは、思うほど容易いことではござらぬ。
――働きが増えれば増えるほど、学び舎は遠くなるものでござるからな。
十二歳で大河、十三歳で最年少の語り手、十四歳で映しの賞。
――そして、高校は卒えておられる。
この並べ方をすると、凄まじさがよく分かるのう。
――噂を足さずとも、十分に面白いのでござるよ。
ついでに、この御方の交わりの広さも申しておこう。
――桃井かおり殿、中山美穂殿、沢口靖子殿。
吉岡秀隆殿とは、相手役として六度も共に出ておられる。
――六度でござるよ。
工藤静香殿、永瀬正敏殿とも親しいと伝わっておる。
――世代を越えて、縁が広がっておるのでござる。
従姉妹の方が、弦の楽の手であるという話もござってな。
――大藤桂子殿でござる。
芸の家というわけではないが、周りに芸のある方がおられた。
――そういう風が、家に吹いておったのでござろう。
【13歳で最年少!?学歴と流行語の銅賞についてのまとめ】
今回は後藤久美子殿について調査してみた!
吾輩は後藤久美子殿に対して、学び舎も賞も、すべて辿れる形で残っておられる姫君と思ったんだがお主は後藤久美子殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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