巷に騒がれる、辻元舞殿:八つの部門で特待生となられた話と、素性を隠して選考に合格された話について、
悪列非道!邪鬼滅殺!今宵成敗いたす!
【略歴】
- 1987年2月6日、京都市のお生まれ
- 小学四年より、踊りを習い始められる
- 絵を描くことも、昔から好んでおられた
- 美術の学び舎へ進む道は、事情により選ばれなかった
- 兄上の影響で、高校を出てからUSJの踊り手となられる
- そこで四年、踊り続けておられた
- その踊りを見た者から声が掛かり、二十二の齢で芸の道へ
- 初めの頃は仕事が少なく、絵図を作る内職もしておられた
- 初めの仕事は、堺の町を歩いて伝える地元の番組であった
- 写真の場での発信が共感を呼び、雑誌でも活躍される
- 2021年11月25日より、映像の場も始められる
- 『プレバト!!』では八部門で特待生に認められておる
【USJの踊り手から】

巷で辻元舞殿と申せば、『プレバト!!』の絵の名手として覚えておる者が多かろう。
1987年2月6日、京都市のお生まれ。
小学四年より、踊りを習い始められた。
そして絵を描くことも、昔から好んでおられたという。
――二つの才を、幼き頃から持っておられたのじゃ。
高校を出る折、美術の学び舎へ進みたいと考えられた。
だが事情があり、その道は選ばれなかった。
――お主、これは悔しかったであろう。
そこでこの御仁は、踊りの道を選ばれた。
兄上がUSJで踊っておられたゆえの縁である。
そして高校を出てから四年、
――その地で踊り続けられた。
お主、あの場所の踊り手でござるぞ。
毎日、何度も舞台に立つ。
――生半可な体力では、務まらぬ。
そしてその踊りを見ておった者から、声が掛かる。
――二十二の齢で、芸の道へ入られたのじゃ。
だが、そこからが厳しかった。
仕事が少なく、時が余った。
そこでこの御仁は、
――絵図を作る内職をしておられたという。
そして初めの仕事は、
――堺の町を歩いて伝える地元の番組であった。
――華やかさとは、程遠い始まりでござる。
お主、USJの踊り手というのは
――生半可な仕事ではござらぬぞ。
日に何度も舞台に立つ。
夏は暑く、冬は寒い。
――それでも、笑うて踊らねばならぬ。
そして客は、金を払うて来ておる。
――手を抜けば、すぐ分かるのじゃ。
それを四年、続けられた。
十八から二十二までの四年でござる。
――一番、遊びたい齢でござろう。
そして美術の学び舎へは進まれなかった。
これは、悔しかったであろう。
絵が好きで、その道へ進みたかった。
――だが、その道は選べなんだ。
お主、こういうことは世に幾らでもある。
望んだ道へ進めぬ者のほうが、多かろう。
――だがこの御仁は、絵を捨てられなかった。
そして後に、それが花開くのでござる。
――諦めねば、道は残るのじゃ。
【八部門で特待生】

さて、この御仁の名を広めたのは
――絵の腕でござる。
『プレバト!!』という番組をご存じか。
様々な技を競い、順を付ける番組でござる。
そこでこの御仁は、
――次々と頂を取っていかれた。
まず水彩の絵。
2020年4月9日の催しで頂を取り、
――翌2021年4月29日にも、また頂。
――二年続けての優勝でござる。
そして2022年6月23日、
色鉛筆の催しでも初めての頂を取られた。
さらに2023年3月30日、
――黒板に描く催しでも一位でござる。
だが、この御仁の凄さはここからじゃ。
認められておる部門を並べてみようぞ。
水彩の絵、消しゴムの判、陶芸、色鉛筆、
丸い印の絵、風船の細工、
そして果物の皮に描く芸に、石に描く芸。
――実に、八つでござる。
お主、八つでござるぞ。
しかもこれ、
――出演する者の中で最も多いという。
そして水彩の絵では、名人八段にまで昇っておられる。
――もはや、玄人の域でござる。
美術の学び舎へは、進まれなかった。
――だが独学で、ここまで来られたのじゃ。
さて、八部門という数について
もう少し考えてみようではないか。
水彩の絵と色鉛筆は、近い技でござろう。
だが陶芸は、まるで違う。
――土をこねるのでござるぞ。
そして風船の細工も、
石に描く芸も、
果物の皮に描く芸も。
――どれも、別の技でござる。
それを八つとも、認められておられる。
お主、これは器用という言葉では足りぬ。
――見る目が、確かなのでござろう。
形を捉え、色を選び、そして構えを決める。
――そこが同じゆえ、何をやってもできるのじゃ。
そして水彩の絵では名人八段。
二度も頂を取っておられる。
――玄人が並ぶ中でのことでござるぞ。
しかも美術の学び舎へは、進まれておらぬ。
――習うたのではなく、己で身につけられたのじゃ。
お主、これは励みになる話ではないか。
――学び舎へ行かずとも、極められるのでござる。
【未来予想図-素性を隠して合格】

さて、この御仁のもう一つの顔を語ろうぞ。
2022年8月1日の番組でのことでござる。
USJの夏の踊りの催しに、
――踊り手として出るための選考に挑まれた。
だがこれ、ただの挑戦ではござらぬ。
――素性を隠して臨まれたのじゃ。
つまり、名の知れた者としてではない。
――ただの応募者として、審査を受けられた。
お主、これは恐ろしいことでござるぞ。
手心など、一切加えられぬ。
――落ちれば、それまででござる。
しかもこの時、この御仁は三十五の齢。
周りは、二十代の踊り手ばかりでござった。
――その中に、一人だけ混じられたのじゃ。
そして結果は――
――しくじり一つなく踊り切り、合格でござる。
お主、これは見事ではないか。
しかも芸の道の者が
――あの場所の踊り手の座を勝ち取ったのは、初めてだという。
十八から二十二まで踊っておった場所へ、
――十三年を経て、己の力で戻られた。
――これほど格好良い話があろうか。
そして2021年11月25日からは、
映像の場も始めておられる。
そこでは名高き組の踊りを写しておられるという。
――踊りも、捨てておられぬのじゃ。
この先この御仁がどこへ進まれるか、吾輩には分からぬ。
だが踊りがあり、絵がある。
――どちらも、本物でござる。
最後に、吾輩の思うところを述べさせてもらおう。
素性を隠して選考に挑まれたという話。
――吾輩、これが一番好きでござる。
名の知れた者として行けば、手心も加わろう。
――だが、それでは意味がない。
だからこの御仁は、隠された。
そしてただの応募者として、審査を受けられた。
しかも三十五の齢でござる。
周りは、二十代の踊り手ばかり。
――体の切れは、違うはずじゃ。
それでも、しくじり一つなく踊り切られた。
――これは、続けてこられた者の強さでござる。
四年踊り、そして離れた。
だが体は、覚えておった。
――身についたものは、消えぬのでござる。
そしてかつて働いておった場所へ、
――己の力で、戻られた。
――これほど痛快な話があろうか。
お主も、かつて諦めたことがあるならば
――もう一度、挑んでみられよ。
この御仁のように、
――案外、体は覚えておるやもしれぬぞ。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
そして最後に、もう一言だけ添えておこう。
この御仁が芸の道だけで食えるようになったのは、
――実は、かなり後のことだという。
それまでは、内職と掛け持ちであられた。
そして写真の場での発信が共感を呼び、
――雑誌でも活躍されるようになった。
――己で道を切り開かれたのでござる。
事務所が用意した仕事を待つのではない。
己で発し、己で人を集められた。
――これが、いまの時代の生き方でござろう。
そして絵の話に戻るが、
この御仁が絵を描き始めたのは幼き頃でござる。
そして三十を過ぎて、それが花開いた。
――二十年以上、温めておられたのじゃ。
お主、これは希望のある話ではないか。
いま芽が出ずとも、
――いつ花開くかは、誰にも分からぬのでござる。
そして踊りも、同じでござる。
十八から四年、USJで踊っておられた。
そしてそれを離れ、十三年。
――それでも、体は覚えておった。
積んだものは、決して消えぬ。
――これが、この御仁が示してくれたことでござる。
お主も、かつて打ち込んだものがあるならば
――それを、恥じてはならぬぞ。
――いつか、必ず役に立つのでござる。
そして京都のお生まれで、大阪で踊り、
――いまは全国に知られる存在となられた。
――一歩ずつ、広げてこられたのじゃ。
そして映像の場では、
名高き組の踊りを写しておられるという。
――その出来映えが、また見事だそうじゃ。
絵も、踊りも、どちらも極めておられる。
――実に、才に恵まれた御仁でござる。
だが吾輩は、才だけとは思わぬ。
四年の踊りと、二十年の絵。
――その積み重ねが、いま形になっておるのじゃ。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
――絵も踊りも、まだまだ極まるはずじゃ。
そして次に『プレバト!!』を観る折には、
――この御仁の名を探してみられよ。
吾輩、この御仁を大いに買っておるぞ。
【八部門で特待生!?素性を隠して合格についてのまとめ】
今回は辻元舞殿について調査してみた!
吾輩は辻元舞殿に対して、USJの踊り手から始まり、八つもの部門で特待生となり、素性を隠した選考まで勝ち抜かれたと思ったんだがお主は辻元舞殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ心がザワつくような邪鬼共が溢れている。
引き続きこの書記にて悪事を暴き!世直しをしていく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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