巷に騒がれる、岡田将生殿:反対しておった母上が、後に言われた一言について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1989年8月15日、東京都江戸川区のお生まれ
- 中学の頃は、籠に球を入れる競いに夢中であられた
- 中学二年の折、原宿で声を掛けられるも、その時は断っておられる
- 高校へ進んでから、自ら事務所へ連絡を取られた
- 通われたのは、通信制のクラーク記念国際高等学校である
- 2006年、CMで世に出られ、同じ年にドラマ『東京少女』にも出られる
- 2007年、映画『天然コケッコー』に出られる
- 2009年度末に大学を退き、この道に絞られる
- 2021年1月24日、フジテレビ系『ボクらの時代』にて母上の言葉を語られる
- 2021年、映画『ドライブ・マイ・カー』に出られる
【岡田将生と母上は、一度離れておられた】
「岡田将生殿の実家はどうなのか」と、よう引かれておる。
――暮らし向きを問う声も多い。
先に申しておこう。
身代の話は、どこにも出てこぬ。
本人も、事務所も、家の財について何一つ述べておられぬ。
――辿れぬものを、あるように書くわけには参らぬ。
その代わり、辿れたものがござる。
しかもこれが、なかなかに重い話でな。
この御方は1989年8月15日、東京都江戸川区のお生まれでござる。
中学の頃は、籠に球を入れる競いに夢中であられたという。
そして中学二年の折、原宿で声を掛けられておる。
――だが、その時は断っておられるのじゃ。
ここまでは、よく知られておる話でござろう。
問題はその頃の、家の中でござる。
2014年5月5日、映画『オー!ファーザー』の中高生親子試写会でのことじゃ。
この御方は、当時のことをこう語られた。
「中学の時は反抗期がすごくて、母親とは絶縁状態でした。高校の時に仕事をしてなかったら、そのままグレていたのかもしれません」
――お読みになったか。
中学の頃、母上と口を利いておられなんだのじゃ。
しかも、ご自身で「そのままグレていたのかもしれません」とまで言うておられる。
お主、ここが肝要でござってな。
この言葉は、母上を責めておるのではござらぬ。
――責めておるのは、己の方でござる。
「反抗期がすごくて」と、原因を己に置いておられる。
そして「仕事をしてなかったら」と続く。
つまり、自分を止めたのは仕事であったと言うておられるわけじゃ。
実際、この御方は高校へ進んでから自ら事務所へ連絡を取られておる。
中二で断ったものを、己から取りに行かれたのじゃな。
通われた学び舎は、通信制のクラーク記念国際高等学校でござった。
――朝は学校、昼からは現場という日々であられた。
体育祭にも文化祭にも、出られなんだという。
十六、七の子が、でござるぞ。
同じ齢の者が校庭で騒いでおる間、この御方は現場に立っておられた。
――その暮らしが、家の中の荒れを収めたということでござろう。
【反対しておった母上が、やめていいと言われた】
さて、ここからが本当の話でござる。
2021年1月24日、フジテレビ系『ボクらの時代』でのことじゃ。
この御方が、母上から掛けられた一言を明かされた。
「やめていいんだよ」
――それだけでござる。
たった一言じゃ。
そして、この一言に泣きそうになったと言うておられる。
なぜ泣きそうになるのか。
本人の説き方が、実に良くてな。
「親ってすげえなって思って。反対していたのにさ、この仕事。応援してさ、その言葉かと思うと、ちょっとグッとくる」
――お読みになったか。
母上は、最初この仕事に反対しておられたのじゃ。
反対して、それでも応援に回られた。
そして、その母上が「やめていいんだよ」と言われた。
考えてもみられよ。
反対しておった親が、後になって「やめていいんだよ」と言う。
――これは「そら見たことか」ではござらぬ。
逆でござる。
反対していたはずのものを、いつの間にか背負う側に回っておられた。
だからこそ「もう降ろしてよいのだぞ」と言えるのじゃ。
――止めたい親には、この一言は言えぬ。
止めたい親なら「だから言うたであろう」と言うものでござる。
この御方も、そこを見抜いておられる。
「それがずっと頭ん中に残っちゃってさ。いろんな意味を込めて言ってくれてるんだけど」
――「いろんな意味を込めて」でござる。
一つの意味ではない、と分かっておられるのじゃな。
そしてもう一つ、この時こう述べておられる。
「いろんなことがありすぎて自分でも一回整理しないといけない時間って、どの人もみんなあったと思う」
――己だけの話にしておられぬ。
誰にでもある、と広げておられる。
中学で口を利かなんだ相手が、三十を過ぎた息子にそう言うたわけでござる。
――離れておった年月の分だけ、この一言は重い。
【未来予想図-その一言が、いまも頭に残っておる】
巷の問いに、答えを出しておこう。
――実家が裕福であったかどうかは、辿れなんだ。
東京都江戸川区のお生まれであることは分かるが、
それだけで家の財を推し量るのは早計というものでござる。
辿れたのは、こうじゃ。
中学の頃、母上とは口を利いておられなんだ。
母上は、この仕事に反対しておられた。
――それでも、応援に回られた。
そして後年「やめていいんだよ」と言われた。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方が長く保っておられるのは、逃げ道を貰うておるゆえとみる。
「やめていいんだよ」と言われた者は、やめずに済むのじゃ。
――退路が無い者ほど、追い詰められて折れるものでござる。
退いてよいと言われて初めて、退かずにおられる。
しかもその言葉を、かつて反対しておった御方から貰うておられる。
――これが効くのでござるよ。
応援しかしてこなんだ親の「やめていいよ」なら、社交辞令にも聞こえよう。
反対しておった親の「やめていいよ」は、そうはならぬ。
本気で心配しておるということが、疑いようもないゆえな。
実際、この御方は退いておられぬ。
2021年には映画『ドライブ・マイ・カー』に出られ、
その後も舞台に映画にと、場を選ばず立ち続けておられる。
――中二で一度断った道を、いまも歩いておられるわけじゃ。
これから先も、この御方は静かに続けられよう。
派手に見得を切る型ではござらぬ。
――だが、折れぬ。
頭の中に、あの一言が残っておるゆえでござる。
やめていいと言われた者は、やめずに済む。逃げ道のある者だけが、長く踏みとどまれる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家の母は反対!?「やめていいんだよ」の一言についてのまとめ】
今回は岡田将生殿について調査してみた!
一つ。岡田将生殿は中学の頃「反抗期がすごくて、母親とは絶縁状態でした」と語られた。
二つ。「高校の時に仕事をしてなかったら、そのままグレていたのかもしれません」とも述べておられる。
三つ。母上はこの仕事に反対しておられた。それでも応援に回られたという。
四つ。後年、母上から「やめていいんだよ」と言われ、涙ぐまれた。
五つ。身代の話は、本人からも事務所からも出ておらぬ。ゆえに書かぬ。
吾輩は岡田将生殿に対して、逃げ道を貰うた御方、と思ったんだがお主は岡田将生殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
マイナビニュース(岡田将生、中学時代の反抗期を振り返る「母親とは絶縁状態でした」・2014年5月5日/映画『オー!ファーザー』中高生親子試写会)
WEBザテレビジョン(岡田将生、母親からの「やめていいんだよ」の言葉に涙/フジテレビ系『ボクらの時代』2021年1月24日放送)
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