【Snow Man・岩本照】腕相撲に負けて!?体脂肪4%までの道

岩本照のSASUKEに挑む肉体 怒羅悶倶楽部

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巷に騒がれる、岩本照殿:腕相撲に負けて!?体脂肪4%までの道について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1993年5月17日、埼玉県にて生誕。愛称は「ひーくん」「照くん」。
  • 小学1年から踊りを習い始め、小学3年の頃には大人と同じ組で踊っておった。
  • 2006年10月1日、13歳にて事務所に入所。
  • 2009年、Mis Snow Manのメンバーに選ばれる。
  • 2012年より、Snow Manのメンバーとして活動。
  • 2013年、共演した役者に腕相撲で負けたことをきっかけに鍛錬を始める。
  • 2017年、かねての夢であった『SASUKE』に初出場。
  • 2018年、体を鍛える雑誌『Tarzan』の表紙を飾り、月一の連載も始まる。
  • 2020年1月22日、シングル『D.D./Imitation Rain』でCDデビュー。組の長も務める。
  • 2020年、『SASUKE』にて1stステージを初めて突破。
  • 2024年、『SASUKEワールドカップ2024』の日本代表に選ばれる。
  • 2025年、山を走る催しにて約25キロを2時間50分で完走し、30代の部で2位。
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【腕相撲に負けて鍛錬を始めた】

岩本照の腕相撲に負けて筋トレを始めた

岩本照殿は1993年5月17日の生まれ、埼玉県の出にござる。

この御仁といえば、鍛え上げられた体を思い浮かべる者が多かろう。

だが、その始まりは実に情けない

2013年のことでござる。

映画で共に演じた役者と腕相撲をして、負けられたのじゃ。

それが悔しくて、鍛錬を始められた。

きっかけとは、そういうものでござるな。大層な志など無くともよいのじゃ。

そして2017年3月頃から、本格的に道場へ通い始められる。

そこからの仕上がりが尋常ではござらぬ。

体脂肪率4パーセント

一時は2.7パーセントであったこともあるという。

お主ら、この数がどれほどのものか分かるであろうか。

並の男は15から20パーセントほどでござる。競技者でも10前後じゃ。

4パーセントというのは、頂の競技者と並ぶ数でござる。

ただし、ご本人はこう申しておられる。

舞台の上で宙返りをする際、邪魔にならぬ体であることが大事であると。

ゆえに理想は5パーセントほどだ、と。

見せるための体ではなく、動くための体を作っておられるということじゃ。

2018年には体を鍛える雑誌の表紙を飾り、月に一度の連載も始まった。

そして家に籠もる時期には、鍛錬について教える資格まで取得しておられる。

道場には週に五日通い、家には取り外しのできる懸垂の棒を据えておられるという。

目に入るたびに「やらねばならぬ」という気になるのだそうな。

そこまでせねば続かぬ、ということでもござろうな。

さて、この御仁の「悔しさで動く」性分は、鍛錬だけの話ではござらぬ。

そもそも、この道に入られた経緯からしてそうなのじゃ。

岩本照殿は小学1年から踊りを習い始められた。

そして小学3年の頃には、大人と同じ組で踊っておられたという。

海の外の大きな舞台の日本公演に出られたこともあるそうな。

もっとも、始まりは乗り気ではなかったらしい。

「踊れたらかっこいい」という理由で稽古場へ連れて行かれ、最初は嫌々であったと語っておられる。

それが、海の外の伝説の歌い手に憧れたことで一変する。

踊りで身を立てると決められたのじゃ。

そして、この御仁の性分がよく出ておる言葉がござる。

幼き頃から普通が嫌いであられた。

人が「無理だ、それはいくらなんでも」と言うことに興味があった、と。

ゆえに最も高い壁として事務所を選び、自ら紙を送られたのでござる。

そして2006年10月1日、13歳で入所される。

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【SASUKEに救われた男】

岩本照のSASUKEに救われた男

さて、この御仁を語るうえで欠かせぬのが、あの壁登りの催しでござる。

初出場は2017年。

実はこの時、岩本照殿は岐路に立っておられた

事務所に入って十年が過ぎておった。

そろそろ区切りを決めねばならぬ、と考えておられたのじゃ。

十三で入って、二十四。同じ頃に入った者の多くは、既に世に出るか、去るかしておる。

その最も苦しい時に、催しへの誘いが来たのでござる。

そしてご本人が、後にこう語っておられる。

あの催しに出られたから、辞めずにいた部分もある、と。

壁登りが、この御仁を繋ぎ止めたのじゃ。

そこからの歩みは、ご存じの通りでござる。

2020年には最初の関門を初めて突破。

そして2024年には、初となる世界大会の日本代表に選ばれ、「JAPAN Blue」の一員として戦われた。

余興で出ておるのではござらぬ。国を背負う者として出ておられるのじゃ。

夢として掲げた催しに出て、そこに救われ、そして代表にまでなられた。

こういう筋書きは、そうそう用意されるものではござるまい。

入所の折の話が、また凄まじいゆえ記しておこう。

審査は、横浜の大きな会場で行われる先達の公演の場で開かれた。

ところが岩本照殿は、そこで納得がいかなんだ。

簡単な振り付けを見せるだけの審査であったからでござる。

焦がれた場所に来られた感情も爆発しておった。

そこでこの御仁は、審査が終わった後——

事務所の頭と振付師に直談判されたのじゃ。

十三の子どもがでござるぞ。

そして二時間みっちり、自分の踊りを見てもらわれた。

その結果、翌日の公演への出演がその場で決まったという。

後に当時の振付師は、こう語っておられる。

あんなに最後まで残って、踊りに自信があるとアピールしてきたのはお前しかいない、と。

腕相撲に負けて鍛錬を始める御仁でござる。

納得がいかねば食い下がる。それが十三の頃から変わっておらぬのじゃ。

その後も先達の公演に掛け持ちで付き、2007年には先達から名指しで相方に選ばれておられる。

2009年には組に選ばれ、2012年からはいまの組として活動を始められた。

だが、そこからCDを出すまでには八年を要しておる。

先が見えぬ苛立ちから、仲間とぶつかることも増えたという。

海の外で稽古を積む道も考えられたそうじゃ。

それでも踏み止まられた理由が、これまた良い。

「辞めるのはいつでもできる、もうちょっと、もうちょっとやってみよう」。

このもうちょっとの積み重ねが、壁登りの誘いに繋がったのでござる。

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【未来予想図-25キロを2時間50分】

岩本照の未来予想図-25キロを2時間50分

さて、岩本照殿の現在(いま)である。

2025年、この御仁は新しい場に挑まれた。

山道を走る催しでござる。

そして約25キロを——

2時間50分で完走された。

しかも30代の部で2位。表彰まで受けておられる。

山道でござるぞ。平らな道ではない。上り下りがあり、足元も悪い。

そこを25キロ走り切って、二位。

壁を登り、山を走る。この御仁は一体どこへ向かっておるのじゃ。

資格の類いも数多くお持ちでござる。

鍛錬について教える資格、潜りの免許、そして蒸し風呂の専門家の資格まで。

蒸し風呂の資格でござるぞ。

組の配信の催しでは、体を均等に温めるために高さの差を無くすとよい、などと講釈を垂れておられたそうな。

その他の楽しみも、実に体を動かすものばかりでござる。

山登りと野宿。休みの日は朝早くから山へ入り、帰りに湯に浸かって蕎麦を手繰って帰るのだという。

そのうえ二輪車も好まれ、大型の免許までお持ちじゃ。組の大きな公演では、二輪車で花道を駆け抜けて登場されたこともある。

服にも目が利き、古着の店にも足を運ばれるという。

二輪車に乗る機会が多いゆえ、服を試す際は握りを掴んだ姿勢になってその形を基準に選ぶのだそうな。

そこまでするか、と唸るほかござらぬ。

腕相撲に負けた男が、体脂肪4パーセントとなり、壁を登り、山を走り、蒸し風呂を語る。

この先どこまで行かれるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。

若き日の稽古事についても、少し並べておこう。

三歳から中学三年まで、鍵盤の楽器を習っておられた。

そして小学校と中学校の卒業の式では、伴奏を務めておられたという。

壁を登る御仁が、卒業式で鍵盤を叩いておったのじゃ。

野外での活動にも励まれ、高校では器械体操の部と、茶の湯の部に入っておられた。

器械体操は分かる。宙返りに直結しておるゆえな。

だが茶の湯でござる。

静かに座って茶を点てる稽古も積んでおられたということじゃ。

そして、ひとつ困った性分もお持ちでござる。

雨男であられるという。

「僕の現場で雨が降らないことはない」とご自身でも認めておられるそうな。

山を走り、壁を登り、二輪車に乗る御仁が雨男。

これはなかなか難儀な取り合わせでござるな。

腕相撲に負けたことから始まり、気づけば世界大会の代表となり、山まで走っておられる。

「もうちょっと」を重ねてきた御仁でござる。

この先も、まだまだ止まらぬであろうな。

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【腕相撲に負けて!?体脂肪4%までの道についてのまとめ】

今回は岩本照殿について調査してみた!

吾輩は岩本照殿に対して、腕相撲に負けたところから、山まで走るようになった鍛錬の武者、と思ったんだがお主は岩本照殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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