巷に騒がれる、河北麻友子殿:実家がニューヨークのマンハッタンにあることと、高祖父君の来し方について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1991年11月28日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンのお生まれ
- 父君・母上・七つ上の姉君・二つ上の兄君との五人家族であられる
- 父君は愛媛県今治市の出、母上は東京都の出であられる
- 2003年、日本での活動を目指して初めて来日される
- 同じ2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストにて約10万人の中からグランプリとマルチメディア賞を受けられる
- 2008年4月、正式に日本へ渡り本格的に活動を始められる
- 2011年3月、堀越高等学校を卒業される
- 2021年9月18日、ニューヨークで育った日々について語られる
- 2026年6月29日、NHK総合の番組にて先祖について明かされる
【河北麻友子の実家は、マンハッタンにある】
「河北麻友子殿の実家は金持ちではないか」と、よう検索されておる。
――先に申しておく。身代については、本人も何一つ述べておられぬ。父君の生業も、公にはされておらぬ。
だが、実家の在り処ははっきりしておる。
この御方は1991年11月28日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンのお生まれでござる。
――生まれも、育ちもニューヨークじゃ。
家族は五人。父君、母上、七つ上の姉君、二つ上の兄君。……父君は愛媛県今治市の出、母上は東京都の出であられる。
つまり両親とも日本の御方で、その子が海の向こうで生まれ育たれたのでござる。
そして、そこでの日々をこう語っておられる。
2021年9月18日の取材でのことじゃ。
「ニューヨークにいたときは個性の豊かさをすごく感じました」
――個性の豊かさでござる。
だが、その先が肝でござってな。
「みんな自分のカルチャーを主張するので、学校で私1人だけ日本人だったのですが、私も日本人であることを大切にしたいと思った」
――学校で私1人だけ日本人。
お主、ここを飛ばしてはならぬ。
華やかな話に聞こえようが、子にとっては、周りに同じ者が一人もおらぬということでござる。
そして、この御方が選ばれたのは埋もれる方ではなかった。
……日本人であることを、大切にしようと決められたのじゃ。
周りが皆それぞれの色を出しておるなら、己も出せばよい。……そういう場であったのでござろう。
2003年、この御方は日本での活動を目指して初めて来日される。
そして同じ年、第9回全日本国民的美少女コンテストにて、約10万人の中からグランプリを受けられた。
――十一の齢でござる。
【松下村塾に、高祖父君の写真があった】
さて、ここからがこの稿の勘所でござる。
2026年6月29日、NHK総合の番組に出られた折のことじゃ。
明治の初めにニューヨークで活躍した日本人の商人を追う回でな。……そこで、この御方に思わぬ話が振られた。
「実はですね、河北さんのご先祖はオーシャニック・グループと同時代に海外で活躍されていた」
――ご先祖、でござる。
そして、この御方はこう答えられた。
「そうなんです」
――知っておられたのじゃ。そして、続く一言がこれでござる。
「松下村塾に行くと、伊藤博文さんの下におじいちゃんの写真があって」
お主、聞かれたか。松下村塾でござる。
吉田松陰殿が門人を育てた、あの塾じゃ。……伊藤博文殿も、そこから出ておられる。
その塾に掲げられた写真の中に、この御方のご先祖が居られるという。
番組では、高祖父君が吉田松陰に学び、サンフランシスコ領事など外交官として活躍された河北義次郎殿であると紹介されておる。
――ここで一つ、断っておかねばならぬ。
高祖父君の御名については、記録によって食い違いがござる。ゆえにこの書記は、番組でこう紹介されたという形に留めておく。
確かなのは、この御方ご自身が「松下村塾に…おじいちゃんの写真があって」と述べておられることじゃ。
スタジオからは「すごい…」と声が上がったそうな。
MCの上田晋也殿が「外交官でいらっしゃるんだ」と言われると、この御方は「そうみたいです」とはにかんでおられた。
――そうみたいです。お主、この答え方でござる。
誇るでもなく、詳しく語るでもない。……人から聞いた話として置いておられる。
そして、ここで話が繋がるのでござる。
高祖父君は、日本を出て海の向こうで務めを果たされた。……そして四代を経て、この御方はニューヨークで生まれ育たれた。
――百五十年ほどを隔てて、同じ海の向こうに居られたわけじゃ。
【未来予想図-麻友子は麻友子のままでいいから】
さて、ここからは吾輩の見立てを申し上げようぞ。
この御方の語りで、吾輩が一番良いと思うたのはこれでござる。
「家族も『麻友子は麻友子のままでいいから』という感じでしたし、事務所ものびのびとさせてくれた」
――麻友子は麻友子のままでいいから。
お主、ここに実家の値打ちが出ておると思わぬか。
この御方は、十一の齢で日本の審査を受けて頂に立たれた。……そして十六の齢で、正式に日本へ移ってこられた。
生まれ育った土地を離れ、言葉も違えば作法も違う場へ入られたのでござる。
……その折に、家族が言うたのが「そのままでいいから」であった。
変われ、合わせろ、ではない。……そのままでよいじゃ。
吾輩は、ここにあの学校の日々が効いておると見る。
周りに同じ者が一人もおらぬ場で育った子でござる。……合わせようとしても、合わせる先が無い。
ならば、己を出すしかない。……そうやって身に付いたものを、家族が「そのままでいい」と守られたのでござろう。
もっとも、これは吾輩の勝手な図でござる。……ご本人がそう述べられたわけではない。
だが、いま画面に映るこの御方の物言いを思うてみられよ。
はっきりしておられる。遠慮も、飾りも少ない。……あれは、育ちが出ておるのでござろうな。
そして最後に、高祖父君の話へ戻っておこうぞ。
松下村塾から海の向こうへ出た御方が、四代の先に居る。……その子孫が、海の向こうで生まれ、また日本へ戻ってこられた。
――行って、帰ってきたのでござる。
吾輩の見立てでは、この御方はこれからも二つの土地を行き来する側に居られると思う。
どちらか一方に収まる質ではござらぬ。……それはもう、四代前から決まっておったのやもしれぬな。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家はニューヨーク!?先祖は松陰の門下についてのまとめ】
今回は河北麻友子殿について調査してみた!
一つ。河北麻友子殿の実家はニューヨーク市マンハッタンにある。父君・母上・七つ上の姉君・二つ上の兄君との五人家族であられる。
二つ。ニューヨークでの日々を「学校で私1人だけ日本人だった」と語っておられる。……華やかな話ではのうて、心細い話でござろう。
三つ。そこで「私も日本人であることを大切にしたいと思った」と決められた。
四つ。2026年6月29日、NHK総合の番組にて先祖について明かされる。「松下村塾に行くと、伊藤博文さんの下におじいちゃんの写真があって」
五つ。番組では高祖父君が吉田松陰に学び、サンフランシスコ領事など外交官として活躍された河北義次郎殿であると紹介された。★御名は記録によって食い違いがあるゆえ、番組での紹介として置く。
六つ。家族の言葉が「麻友子は麻友子のままでいいから」でござった。
★身代についても父君の生業についても、本人は述べておられぬ。。
吾輩は河北麻友子殿に対して、四代を隔てて、同じ海の向こうに居られた御方、と思ったんだがお主は河北麻友子殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(NY出身の河北麻友子、先祖の経歴・名前を明かし「すごい…」の声・2026年6月30日/NHK総合『大追跡グローバルヒストリー』2026年6月29日放送)
マイナビニュース(河北麻友子、NYで育まれた自分らしさ・2021年9月18日)
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