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巷に騒がれる、ムロツヨシ殿:大学を三週間で!?42歳で新人賞を受けた男について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1976年1月23日、神奈川県横浜市港北区菊名にて生誕。
- 高校ではハンドボール部に所属。一浪して東京理科大学理学部数学科へ進む。
- 深津絵里殿の出ておられた舞台を観に行き、その一幕の終わりに感銘を受けて俳優を志す。
- 大学は三週間で中退し、俳優の養成所へ入る。
- 市場や催しの場で働きながら、小さな劇団の舞台に立つ日々を送る。
- 1999年から単独での舞台の活動を始める。
- 2005年、映画『サマータイムマシン・ブルース』を足掛かりに映画にも出るようになる。
- 2008年から、舞台「muro式」を定期的に開催。脚本・演出・出演を自ら手掛ける。
- 2017年4月25日、投稿の場を開設。5時間で20万人、1日で36万人を超える。
- 2018年、42歳でエランドール賞の新人賞を受賞。
- 2021年秋、映画『マイ・ダディ』にて実写映画初主演。
- 2022年、6月24日が「ムロツヨシの日」として正式に認められる。
【大学を三週間で辞めた日】

ムロツヨシ殿は1976年1月23日の生まれ、神奈川県横浜市港北区菊名の出にござる。
学生の頃はハンドボール部に所属しておられた。そして一浪して東京理科大学理学部数学科へ進まれる。
理科大の数学科でござるぞ。相当に頭が要る学び舎じゃ。しかも一年浪人しての入学。それだけ本気で目指されたということでござろう。
ところが、入ってすぐに大きな出来事が起きる。
同級生たちと出会われたのじゃ。彼らは「学びたいことがあってこの学科に来た」と語る者たちであった。
そして、ムロツヨシ殿はこう思われた。
その志がまぶしく、偏差値の高い大学に入ることしか考えていなかった自分が恥ずかしかった。彼らみたいに、夢を持つ側の人になりたい、と。
お主ら、これをどう思われる。
一浪してようやく入った学び舎で、自分には志が無いと気づいてしまわれたのでござる。
そして、贔屓にしておられた女優の出る舞台を観に行かれた。その一幕の終わりに、ある役者が涙を流す芝居を見て感銘を受けられる。
これで俳優を志された。そしてどうなさったか。
大学を三週間で中退されたのじゃ。
三週間でござるぞ。一浪して入った理科大を、である。並の決断ではあるまい。
ここでお主らに問いたい。
一浪してようやく入った大学を、三週間で辞められるであろうか。
しかも辞めた先に約束されたものは何も無い。俳優の養成所に入るというだけでござる。
十九の若者が、確かなものを捨てて不確かなものを取った。この身軽さこそが、この御仁の一番の武器なのでござろう。
【長い下積みと、ずるい芝居】

そこからの下積みが、また長い。
俳優の養成所へ入り、劇団の研究生であった時期もある。そして市場や催しの場で働きながら、小さな劇団の舞台に立つ日々を送られた。
1999年からは単独での舞台の活動も始められたが、下積みは続く。
2001年には、演劇を競う催しに出るため、役者を数人誘って組を作られた。ところが、である。
「ムロはアツすぎて俺たちとは違う」という声が上がり、言い出しっぺでありながらクビになられたのじゃ。
自分で作った組から追い出される。これはなかなかに応えたであろうな。
だが、この頃に一つの芝居の形が生まれておる。
小さな劇場に出ておられた頃、演出を試行錯誤する中で、ある役者が他の役者から「ずるい」と言われ出した演出があった。それを手掛かりにして、飄々とした独特の間とテンポの「ずるい」芝居が始まったのでござる。
いま画面で見るあの間の取り方は、この頃に作られたものということじゃ。
そして下積みが長かったことが、思わぬ形で効いてくる。
無名の役者として数多の作に出て、真面目な役から三枚目まで幅広く演じられた。その結果、様々な俳優や監督との繋がりが広がったのでござる。
とりわけ、ある監督と知り合われたことが世に出る一助になったと言われておる。
作に出るだけではない。それを伝える会見の場でも、俳優たちの間でうまく立ち回って作の話題を上げられるという。作る側からの評も高いのは、そういうところでござろう。
2005年には映画『サマータイムマシン・ブルース』を足掛かりに、映画にも出るようになられた。
そして2008年からは、舞台「muro式」を定期的に開かれるようになる。脚本も、演出も、出演も全て自らでござる。
下積みの長さについても、もう少し申しておこう。
市場や催しの場で働きながら、小さな劇団の舞台に立つ。そういう日々が十年以上続いたのでござる。
1999年から単独での活動を始められたが、それでも世には出なんだ。
だがこの間、無名の役者として数多の作に出続けておられた。真面目な役から三枚目まで、選ばずに引き受けられた。
そして、それが後に効いてくる。その現場で出会うた者たちが、後の縁になったのでござる。
売れておらぬ時期の付き合いというのは、後々まで残るものでござるからのう。
【未来予想図-42歳の新人賞から】

さて、ムロツヨシ殿の現在(いま)である。
2017年4月25日、投稿の場を開設された。教えてくださったのは渡辺直美殿だという。
そしてその結果が凄まじい。開設から5時間で20万人、1日で36万人を超えたのじゃ。
長い下積みの間に積み上げてきたものが、一気に数字として現れた瞬間でござった。
そして翌2018年、この御仁に一つの賞が届く。
エランドール賞の新人賞でござる。その時の齢が——42歳。
四十二の新人でござるぞ。
大学を三週間で辞めたのが十九の頃。つまり二十三年かけて「新人」と呼ばれたことになる。
だが吾輩は、これを笑う気にはなれぬ。むしろ、これほど誇らしい新人賞もあるまいと思うのじゃ。
同じ2018年の5月10日には、2008年から続けてきた舞台の集大成となる公演の千秋楽を迎えられた。これを一区切りとして、次は新しい舞台を作ると発表しておられる。
2021年秋には映画『マイ・ダディ』にて実写映画初主演も果たされた。
2022年には事務所を移り、新しい場で活動を始められた。その名には「始まりのA」「ActorのA」「AnswerのA」が込められておるという。四十を過ぎてなお、始まりの字を掲げておられるのが良いのう。
同じ年、6月24日が「ムロツヨシの日」として正式に認められた。以前からご自身で発しておられた日を、映画の宣伝を担う者が正式に申請してくれたのだそうな。本人にも当日まで内緒であったという。良い話でござる。
私事の一面も愉快でのう。大の野球好きであられ、贔屓の球団の全ての選手の記録を言えるほどだという。その球団の記録映画の語りの話が来た折には、嬉しくて即答されたそうな。
大学を三週間で辞め、追い出され、二十年以上を積んで、四十二で新人賞。この先どのような役でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
2008年から続けてこられた舞台についても申しておこう。脚本も演出も出演も自ら手掛ける、その名を冠した舞台でござる。
2009年12月からは、その広報の一環として話をする催しも開いておられる。作るだけでなく、伝えるところまで自分でやっておられたということじゃ。
所属しておられた事務所の笑いの催しでは、立ち上げから2018年まで司会も務められた。
画面に映る仕事だけをしておったのでは、こうはならぬ。場そのものを作り、回してこられた御仁でござる。
だからこそ、四十二の新人賞が重い。何もせずに二十三年待ったのではない。作り続けた二十三年の末の賞でござった。
私事の一面も申しておこう。映画で雪の板滑りを稽古されたことがあり、それ以来これが趣味になったという。四十を過ぎてから新しい趣味が増える。良いことでござるな。
好きな映画として挙げておられるのは、年老いた男二人が旅に出る物語でござる。残された時間で何をするか、という話じゃ。
二十三年待った御仁が、そういう物語を好むというのも頷ける話でござろう。
大学の同級生とは、二十年ぶりに再会も果たしておられる。三週間しか通わなんだ学び舎の縁が、二十年経っても残っておったのじゃ。
たった三週間。だがその三週間で、この御仁は人生を決められた。そして縁まで結んでおられた。密度の濃い三週間でござったのう。
【大学を三週間で!?42歳で新人賞を受けた男についてのまとめ】
今回はムロツヨシ殿について調査してみた!
吾輩はムロツヨシ殿に対して、大学を三週間で辞め、二十三年かけて新人賞を取った武者、と思ったんだがお主はムロツヨシ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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