巷に騒がれる、藤田ニコル殿:一万四千人の中から頂を掴まれた話と、教習所に通わず免許を取られた話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年2月20日、ニュージーランドのお生まれ
- 三つの齢まで、その地で暮らしておられた
- 戸田市の小学校・中学校を経て、通信の高校を卒業される
- 2009年、『nicola』の選考でグランプリを掴まれる
- その折の応募は、一万四千七十六人であったという
- 選ばれた五人のうち、小学六年はこの御仁だけであった
- 2014年4月に卒業し、同年6月より『Popteen』へ移られる
- 2015年6月1日、WEBの読み物の初代編集長に就かれる
- 2016年8月3日、「Bye Bye」で歌い手としても世に出られる
- 2017年10月、『ViVi』の専属となられる
- 2018年、装いの店を自ら立ち上げられる
- 2021年4月16日、教習所に通わず普通自動車の免許を取られる
【一万四千人からの頂】

巷で藤田ニコル殿と申せば、「にこるん」の愛称で覚えておる者が多かろう。
1998年2月20日、ニュージーランドのお生まれ。
三つの齢まで、その地で暮らしておられた。
そして日ノ本へ移られ、
――戸田の学び舎に通われた。
さて、この御仁の始まりは2009年でござる。
若い娘に向けた雑誌の選考に応じられた。
――そして、頂を掴まれたのじゃ。
だが、ここからが凄い。
その選考に応じた者の数が――
――一万四千七十六人でござる。
お主、一万四千でござるぞ。
その中から選ばれたのは、五人。
――途方もない狭き門でござる。
しかも、ここに面白い話がござる。
選ばれた五人のうち、四人は中学一年であった。
そしてこの御仁だけが――
――小学六年であられた。
つまり、一人だけ年下でござる。
――それだけ、光っておったのでござろう。
ちなみに応じた理由が、また可愛らしい。
その雑誌の名と、己の呼び名が似ておった。
――それが、切っ掛けだったという。
お主、笑うたか。
――縁とは、そういうものでござるよ。
お主、一万四千という数を考えてみられよ。
――小さな町が、丸ごと応じたようなものでござる。
その中から、五人。
――三千倍に近い倍率じゃ。
しかもこの御仁は、その中で一番幼かった。
他の四人は中学一年、この御仁は小学六年。
――一つ年下でござる。
その齢の一年は、大きい。
背丈も、大人びた雰囲気も違う。
――それでも、選ばれたのでござる。
そして三つの齢まで、海の向こうにおられた。
――生まれは、ニュージーランドでござる。
そこから日ノ本へ移り、埼玉の学び舎へ通われた。
そして高校は、通信の課程を選ばれた。
――仕事と学びを、両立するためでござろう。
お主、これも一つの選び方でござるぞ。
皆と同じ道でなくとも、
――卒業さえすれば、同じことでござる。
【十七で編集長に】

さて、世に出てからの話でござる。
この御仁は、初めから順風ではなかった。
頂を掴んで雑誌に出るようになったが、
――思うように活躍できぬ時期が続いた。
そして学び舎では、
――心ない言葉を掛けられることもあったという。
お主、これは辛かったであろう。
選ばれた者ゆえに、目立つ。
――目立てば、言われるのでござる。
だがこの御仁は、辞めなかった。
そして次第に、独自の立ち位置を築いていかれる。
清楚な娘の多い中で、
――色の付いた瞳を許される異色の存在となられた。
そして連載の頁まで任される。
2014年4月にその雑誌を卒業され、
同年6月からは別の雑誌へ移られた。
そして2015年6月1日、大きな役目に就かれる。
――WEBの読み物の、初代の編集長でござる。
お主、編集長でござるぞ。
しかもこの時、まだ十七の齢でござった。
――十七で、一つの媒体の頭に立たれたのじゃ。
そして2016年には、
その雑誌で特に人気の高い七人にも選ばれる。
――看板の一人となられたのでござる。
そして同じ年の8月3日、歌い手としても世に出られた。
しかもその歌、
――詞も共に手掛けておられる。
そして2017年10月からは、
大人の女性に向けた雑誌の専属となられた。
――七年半も務められたという。
さて、この御仁の売れるまでについて
もう少し語らせてもらおうかのう。
頂を掴んだからといって、すぐ売れるわけではない。
――むしろ、そこからが本番でござる。
そしてこの御仁は、思うようにいかなんだ。
同じ折に選ばれた四人は、それぞれ活躍していく。
――焦りも、あったであろう。
そのうえ、学び舎では言われた。
「あれがモデルかよ」と。
――これは、幼き身には刺さる言葉でござる。
だがこの御仁は、辞めなかった。
そして己の立ち位置を、己で作られた。
清楚な娘が並ぶ中で、
――わざと違う道を行かれたのじゃ。
色の付いた瞳を許され、
そして連載まで任された。
――異色であることを、武器にされたのでござる。
お主、ここが大事でござるぞ。
皆と同じ土俵で戦えば、埋もれる。
――違う土俵を、己で作るのじゃ。
そして十七で編集長でござる。
――その齢で、人に指図する立場じゃ。
並の胆力では、務まるまい。
【未来予想図-作る側へ回られる】

さて、この御仁の面白いところを語ろうぞ。
――常に、作る側へ回ろうとされるのでござる。
2018年、己の名を冠した装いの店を立ち上げられた。
渋谷の大きな館に、一号店を出されておる。
――着る側から、作る側へでござる。
だが2020年9月16日、その店を終えられた。
そしてその理由が、また潔い。
――「やりたかったことは、二年半で全部できた」。
そして「次へ進みたい」と語られた。
お主、これは格好良いではないか。
――しがみつかれなかったのでござる。
そして2021年4月30日、新しい店を立ち上げられた。
止まっておられぬのじゃ。
さて、この御仁にはもう一つ面白い話がござる。
2021年4月16日のこと。
――普通自動車の免許を取られたのじゃ。
だがこれ、ただの免許ではござらぬ。
――教習所に通わず、取られたという。
お主、これがどれほど難しいか分かるか。
多くの者は、何十時間も教習所に通う。
それでも落ちる者がおる。
――それを、通わずに取られたのでござる。
そして2018年には、
名高き獣の物語で声の仕事も務めておられる。
――次から次へと、新しい戸を叩かれるのじゃ。
そして2023年からは、下着の商いの顔にも就かれた。
――実に、幅の広い御仁でござる。
最後に、吾輩の思うところを述べさせてもらおう。
この御仁の歩みで最も感心するのは、
――引き際の潔さでござる。
己で立ち上げた店を、二年半で終えられた。
「やりたかったことは、全部できた」と。
お主、これは言えぬぞ。
己の名を冠した店でござる。
――普通は、意地でも続ける。
だがこの御仁は、区切りをつけられた。
そして次の店を立ち上げられた。
――執着が、無いのでござる。
そして雑誌の専属も、七年半で卒業された。
――常に、次へ移っておられる。
お主も覚えておかれよ。
終わらせることは、始めることより難しい。
――だが終わらせねば、次は始まらぬのじゃ。
そして教習所に通わずに免許を取られた話。
――これも、この御仁らしい。
皆が通る道を、通らずに済ませる。
――そういう頭の働く御仁なのでござろう。
この先この御仁が何を始められるか、
――吾輩には見当もつかぬ。
――だが、そこが楽しみでもござる。
そして最後に、もう一言だけ添えておこう。
この御仁は、いま画面の場でも活躍しておられる。
昼の番組にも、長く出ておられた。
――装いの人から、話す人へでござる。
そして飾らぬ物言いで、慕われておる。
――取り繕わぬのが、この御仁の良いところじゃ。
十一の齢で選ばれ、
――いまも第一線におられる。
――十五年以上でござるぞ、お主。
これほど長く残る者は、そう多くはない。
吾輩、この御仁を大いに買っておるぞ。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
一万四千人の中から選ばれた小学六年の娘が、
編集長を務め、
歌を出し、
声の仕事もこなし、
そして己の店まで二つ立ち上げられた。
――止まっておられた時期が、無いのでござる。
そして次に何を始められるか。
――それを待つのも、また楽しみでござるな。
そして一つ、感心しておることがござる。
この御仁は、己の言葉を持っておられる。
画面でも、思うたことをそのまま口にされる。
――それゆえ、時に叩かれることもあろう。
だが取り繕う者より、余程信が置ける。
――そこが、慕われる所以でござろうな。
十代の頃に心ない言葉を掛けられた娘が、
――いまや、多くの者に慕われておる。
――見事な返し方でござる。
お主も、いま心ない言葉に苦しんでおるならば
――この御仁の歩みを思い出されよ。
――言うた者は、いまどこにおるのでござろうな。
そして声の仕事にも手を広げておられる。
名高き獣の物語での役でござる。
――声だけで演じるのは、また別の技じゃ。
装いの人、話す人、歌う人、そして声の人。
――いくつの顔をお持ちなのでござろうな。
【一万四千人の頂!?教習所に通わず免許についてのまとめ】
今回は藤田ニコル殿について調査してみた!
吾輩は藤田ニコル殿に対して、一万四千人の中から頂を掴み、十七で編集長を務め、いまや作る側へも回っておられると思ったんだがお主は藤田ニコル殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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