巷に騒がれる、石川恋殿:ビリギャルの表紙で!?落ち続けた3年からについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 生年月日: 1993年7月18日、栃木県栃木市出身地
- 高校時代: 応援部(チアリーディング)に所属し、副部長を務める
- 教育: 國學院大學栃木高等学校中高一貫コース、武蔵野大学グローバル・コミュニケーション学部卒業
- 所属事務所: テンカラット
- 2013年: 書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の表紙モデルに起用
- 2015年: 『有吉反省会』出演、イメージDVD『初恋』を発売
- 2016年: 栃木市のふるさと大使に任命、大学卒業、事務所allureからテンカラットに移籍
- 2017年: 『CanCam』の専属モデルに、TGC出演
- 2021年: 東京オリンピックの聖火リレーに聖火ランナーとして参加、『とちぎ未来大使』に任命
- 2022年: 『CanCam』の専属モデルを卒業
- 2023年: 写真集『signs』の発売予定、写真展が東京タワーで開催予定
【応援部で過ごした高校時代】

石川恋殿は平成5年7月18日の生まれ、栃木県栃木市の出にござる。
巷ではご実家の暮らし向きやご家族の勤め先について賑やかに語られておる。だが手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。ご本人もご家族も、そうしたことを世に出してはおられぬのでござる。
書けるのは、ご本人が語っておられることだけよ。そしてそれが、この御仁の場合は苦労の話なのでござる。
学び舎は國學院大學栃木高等学校の中高一貫の課程。校則が厳しく、在学中は黒髪で過ごしておられた。
面白いのが、その反動じゃ。在学中から派手な化粧に関心を持っておられ、卒業式の次の日に美容院で金髪にされたという。
翌日である。よほど待ち焦がれておられたのであろう。この話一つで、人柄が伝わってくる。
高校時代は応援部、いわゆるチアリーディングに所属され、副部長を務められた。
母校への思いが強く、今でもたびたび球技の部の応援に駆けつけておられるという。卒業して十年以上経ってなお、である。
大学に進むのを機に、栃木から上京。指定校推薦で入られた武蔵野大学グローバル・コミュニケーション学部で、異文化コミュニケーションを専攻しておられる。
中高生の頃からモデルに憧れておられ、十九の歳、渋谷でモデルの事務所にスカウトされて芸能の世界へ入られた。
だが、ここからが長い。この続きは次の節で述べようぞ。
【最後の機会で掴んだ表紙】

高校の応援部で副部長を務めた経験も、後の仕事に効いておるはずじゃ。人前で声を出し、笑顔を作り続ける稽古なのだから。
スカウトされて事務所に入った。ところが、全くモデルの仕事が無かったのである。
学業の傍ら、居酒屋で三年間働いておられた。審査を受けては落ち、受けては落ちる日々である。
十九から二十二まで。大学生活のほとんどを、そうやって過ごされたことになる。
そしてついに、学業に専念して語学留学することを決められた。つまり、この道を諦める決断をされたのじゃ。
そこへ事務所から言われた言葉が「これが本当に最後のチャンス」であった。そして受けたのが、ある書籍の表紙のモデルの仕事である。
平成25年12月27日に発売された『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。通称「ビリギャル」の表紙じゃ。
金髪のギャル姿を披露され、一躍知られる存在となられた。最後の一本で、当てられたのである。
この時の心境を、ご本人が語っておられる。「どうせ最後だって決めてたので、思いっきり自分の内面にあったフラストレーションを表に出してみようって」と。
「何をやってもうまくいかないし、演技ではなくて本当の私、リアルな表情が出たんだと思います」とも。
三年分の悔しさが、そのまま写真に出たわけじゃ。捨て身になった者の強さである。
平成27年には番組に出て、実はギャルではなく真面目な女子大生であったことを打ち明け、禊として金髪を黒髪に戻して話題となられた。
【未来予想図-夢を叶えた先へ】

居酒屋で働きながら審査を受け続けた三年。この間に何度断られたか、数えてもおられまい。それでも通い続けたわけじゃ。
そして留学を決めた後に来た「最後の一本」。普通なら、もう気持ちが切れておる。そこで力を出し切れたところが、この御仁の強さである。
平成28年2月20日、出身地である栃木市のふるさと大使に任命された。同じ年の3月には大学も卒業しておられる。
そして平成29年7月、十九で芸能の世界に入った時からの夢が叶う。『CanCam』の専属モデルとなられたのじゃ。
「ファッション誌の専属モデルになる」という夢である。スカウトから六年。三年の空白を挟んでの実現であった。
同じ年の7月29日には、東京ガールズコレクションへの出演も決まった。これは「芸能界に入る一番のきっかけ」であり、「最大の夢」であったという。
夢を二つ、同じ月に叶えられたわけじゃ。三年間居酒屋で働いた者が、である。
平成28年11月には、三年間所属した事務所から移籍されたことをご自身の日記で発表しておられる。節目ごとに、自ら場所を選んでこられたわけじゃ。
平成27年4月には、初めての映像の作品も発売された。表紙のモデルで世に出てから、わずか四か月後のことである。掴んだ機会を、逃さず次に繋げておられる。
指定校推薦で入った大学で異文化を学びながら、居酒屋で働き、審査を受け続ける。三つを同時に回しておられたことになる。
令和3年3月28日には、東京オリンピックの聖火リレーで生まれ故郷の栃木市の走者を務められた。蔵の街を巡る船に乗り、聖火を運ばれたという。
同じ年の10月26日には、県知事よりとちぎ未来大使に任命されておる。翌年の国民体育大会の開会式では、案内役も務められた。
令和4年12月には『CanCam』の専属モデルを卒業。令和5年9月には、活動十周年と三十の歳を記念した写真集を発売され、東京タワーで写真展も開かれた。
令和4年10月には、県で開かれた国民体育大会の総合開会式にて式典演技の案内役を務められた。郷土からの信頼が厚いことが、よく分かる。
写真集の発売を記念した写真展が東京タワーで開かれたのも、十年続けてこられた証じゃ。三年間仕事が無かった者が、である。
母校への思いの強さも、この御仁らしいところじゃ。卒業して十年以上経った今も、応援に足を運んでおられる。受けた恩を忘れぬ質なのであろう。
面白い話も残っておる。もともと蛇が苦手であられたが、平成29年のドラマで蛇好きの役を演じるため、専門の店に通って克服されたという。
苦手なものを、役のために好きになる。三年間落ち続けても続けた御仁である。このくらいはやってのけるのであろう。
実家の暮らし向きの話など、この歩みの前では何の意味も持たぬ。書くべきは、居酒屋で働いた三年の方じゃ。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【ビリギャルの表紙で!?落ち続けた3年からについてのまとめ】
今回は石川恋殿について調査してみた!
吾輩は石川恋殿に対して、三年落ち続けても諦めなんだ姫、と思ったんだがお主は石川恋殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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