巷に騒がれる、瀬戸康史殿:遊びといえば田んぼとか山とかと述べておられる。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1988年5月18日、福岡県嘉穂郡稲築町のお生まれ
- 幼き頃は獣の医者を目指しておられた
- 母上が無断で事務所の選びに応募される
- 2005年7月、その選びで準の頂を得られる
- 17の齢で、単身にて上京される
- 2008年1月、『仮面ライダーキバ』にて主役を務められる
- 2022年6月23日、『徹子の部屋』にて上京の頃を語られる
- 2022年7月27日、育った土地について取材に答えられる
【瀬戸康史が育ったのは、田んぼと山の土地であった】
「瀬戸康史殿の実家は金持ちではないか」と申す声が、よう検索されておる。
――この問いには、本人が答えておられる。
2022年7月27日、マイナビニュースの取材にてな。
育った土地について、こう述べられた。
「僕が育ったところは福岡県の田舎なので、遊びといえば田んぼとか山とか。もともとは全く芸能界に興味はなく、獣医を目指していました」
――「田んぼとか山とか」でござる。
これ以上、はっきりした答えもあるまい。
生まれは福岡県嘉穂郡稲築町であられる。
そして遊び場は、田と山であった。
――塾でも、稽古事でもござらぬ。
さらに、この御方は別の場でこうも語っておられる。
2022年6月23日、テレビ朝日系『徹子の部屋』にてな。
地元の電車は、一両編成であったという。
――一両でござるぞ。
お主、その景色が浮かぶか。
田と山に挟まれた線路を、車両が一つだけ走る。
その電車に乗って通っておられたのじゃ。
これを聞いてなお「実家は金持ちか」と問う者はおるまい。
一両の電車というのは、乗る者が少ないということでもある。
――そういう土地でござる。
朝の混み合いも、行列も無い。
その代わり、次の電車まで長う待たされる。
――待つことに慣れておる者は、焦らぬのじゃ。
そして、志も土地に合うておった。
――獣の医者を目指しておられたのじゃ。
田と山の土地で、獣を診る者になろうと思う。
至極まっとうな筋道でござろう。
芸の道は、まるで見えておらなんだということじゃ。
考えてもみられよ。
都に住み、芝居や映画に触れて育った子であれば、
――役者という道は、目の前に見えておろう。
だがこの御方の周りには、それが無かった。
田と山と、一両の電車である。
そこから役者を思い描けというのは、無理な話でござる。
【空港での両親の涙が、17歳を支えた】
では、なぜこの御方が上京されたのか。
――母上が、無断で応募されたゆえでござる。
本人はこう述べておられる。
「母親が勝手に事務所のオーディションに応募してたまたま受かったという人間なので、夢や希望があって俳優という職業に就いたわけではないんです」
――「たまたま受かった」。
2005年7月、その選びで準の頂を得られた。
そして17の齢で、単身にて都へ出られる。
――高校の途中でござる。
ここからが、この稿で最も重い話でござってな。
『徹子の部屋』で、上京した当初のことを語っておられる。
友人ができず、鬱々とした日々を過ごされたという。
――田と山の土地から、独りで都へ出たのじゃ。
十七の子には、重かろう。
では、何が支えたか。
空港で自分を見送った折の、両親の涙でござる。
それを思い出して「逃げてはいけない」と覚悟を決められた。
――泣いておったのは、送り出した側でござる。
無断で応募した母上も、その場では泣いておられた。
お主、ここが良いところでござってな。
背を押した者が、送り出す時に泣く。
――行かせたいのと、行かせたくないのが、同じ胸の中にある。
応募した時は、まだ遠い話であったのでござろう。
受かって、日取りが決まって、空港まで来る。
――そこで初めて、行ってしまうと分かるのじゃ。
そしてその涙が、十七の子を踏み止まらせたのでござる。
後年、この御方はこう述べておられる。
「人生180度くらい変わりましたが、今ではオーディションに応募した母親にも感謝していますし、僕をとってくれた事務所にも感謝しています」
――「180度」でござる。
田と山から、画面の中へ。
たしかに、そのくらい変わっておる。
そして感謝の向け先が二つあるのが、この御方らしい。
――母上と、拾うてくれた事務所でござる。
己の才を先に言うておられぬ。
「たまたま受かった」と述べる御方じゃ。
――二十年近く続けてなお、そう言われる。
普通、これだけの歳月を重ねれば、
――己の努力を語りたくなるものでござろう。
だがこの御方は、入口を「たまたま」と言い切っておられる。
そこに、田と山で育った者の身の丈が出ておる。
そして「180度変わった」と述べながら、
――元の側を悪く言うておられぬ。
田舎を恥じておらぬのじゃ。
【未来予想図-一両の電車から来た者の腹の据わり】
巷の問いに、答えを出しておこう。
――実家の身代について、本人も事務所も述べておられぬ。
だが辿れたものは、これ以上ないほどはっきりしておる。
福岡県の田舎。遊びは田んぼと山。地元の電車は一両編成。
――屋敷の話は、どこにも出てこぬ。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方の腹の据わり方は、その土地から来ておるとみる。
――失うものが少ない場所から出てきた者は、強いのじゃ。
考えてもみられよ。
十七で独り都へ出て、友もできず鬱々とする。
そこで帰る道もあった。
――帰れば、田と山が待っておる。
だが帰らなんだ。
両親の涙を思い出したゆえでござる。
帰る場所があるのに帰らぬ、というのが一番きつい。
それを十七でやり切っておられる。
そして今、幅の広い役を淡々とこなしておられる。
――派手に売り込む御方ではない。
だが二十年近く、途切れずに場を得ておられる。
一両の電車で通うておった子が、そこまで来た。
――派手さが無いのは、元から派手な場所におらなんだゆえでござろう。
そしてそれが、長く使われる理由にもなっておる。
どの役にも収まり、作を邪魔せぬ。
田と山で育った者の、間合いの取り方でござる。
帰る場所を持ちながら帰らなんだ者は折れぬ。逃げ道を自分で閉めた経験があるゆえ
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は金持ち!?地元の電車は一両だったについてのまとめ】
今回は瀬戸康史殿について調査してみた!
一つ。瀬戸康史殿は「僕が育ったところは福岡県の田舎なので、遊びといえば田んぼとか山とか」と語られた。
二つ。地元の電車は一両編成であったと『徹子の部屋』で明かしておられる。
三つ。幼き頃は獣の医者を目指しておられ、芸の道には興味が無かったという。
四つ。上京は母上が無断で応募したゆえで「たまたま受かったという人間なので」と述べられた。
五つ。上京後に鬱々とした折、空港での両親の涙を思い出して踏み止まられた。
吾輩は瀬戸康史殿に対して、逃げ道を自分で閉めた御方、と思ったんだがお主は瀬戸康史殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
マイナビニュース(瀬戸康史、上京当時は友達できず鬱々とした日々…両親の涙思い出し奮闘・2022年6月21日/テレビ朝日系『徹子の部屋』2022年6月23日放送)
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