【SixTONES・京本大我】旅先の写真から!?4年連続で美声1位

京本大我 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、京本大我殿:旅先の写真から!?四年連続で美声一位について、

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  • 1994年12月3日、東京都にて生誕。愛称は「きょも」。
  • 2006年5月、事務所の長のスカウトにより稽古生として入所。
  • 同年、事務所内のユニットの一員に選ばれる。
  • 2012年4月から6月、『私立バカレア高校』に出演。
  • 2015年5月1日、SixTONESの結成が発表され、メンバーに選ばれる。
  • 2015年から2016年、ミュージカル『エリザベート』にて皇太子の役を演じる。
  • 2015年以降、雑誌の読者投票の「いちばん美声」部門にて四年続けて1位。
  • 2019年、ミュージカルにて初主演を務める。
  • 2020年1月22日、SixTONESとしてCDデビュー。
  • 2024年9月3日、一人での創作の企画の始動を発表。
  • 2024年12月3日、30歳の誕生日に東京ガーデンシアターにて一人での公演を開催。
  • 2025年4月23日、初のCD作品を発売。
  • 2025年5月8日より、三都市四会場八公演を回る。
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京本大我の旅先で撮った写真が目に留まる

京本大我殿は1994年12月3日の生まれ、東京都の出にござる。愛称は「きょも」でござる。

この御仁がこの道に入った経緯が、まことに変わっておる。

2006年5月のことでござった。

旅先での話じゃ。

ハワイの飲食店にて、店の主と並んで写真を撮られた。

……ただの旅の思い出でござる。

ところが、その写真が——

偶然、事務所の長の目に留まったのじゃ。

お主ら、この巡り合わせを考えてみよ。

審査を受けたのではない。

紙を送ったのでもない。

旅先で撮った一枚でござる。

そして、その一枚が人生を変えたのでござる。

そこからのこの御仁の動きも良い。

後日、先輩の舞台や稽古を見学されたところ、

この世界に興味を持たれたという。

そして——

自ら進んで舞台や稽古の見学に行くようになられた

呼ばれたから行くのではない。自分から行くのじゃ。

そしてある日、公演の見学に行かれた折のことでござる。

楽屋の前の廊下で、仲間と遊びながら

当時の流行りの曲を踊っておられた。

それを、事務所の長が目撃されたのじゃ。

そして「出てみるか」と声を掛けられ——

そのまま初舞台に立つことになった

しかも、その場が東京ドームでござった。

廊下で遊んでおったら、東京ドームでござるぞ。

さぞ緊張されたことであろう。

だが、先輩が優しく接してくれたこともあり、

良い思い出であると語っておられる。

ここで一つ、この御仁の入所の妙を考えてみようではないか。

この世界に入る道は、たいてい二つでござる。

自ら紙を送るか、街で声を掛けられるか。

ところが、この御仁はどちらでもない。

旅先で撮った写真でござる。

しかも、自分を撮ったものですらない。

店の主と並んで撮った、ただの記念の一枚じゃ。

それが、なぜか事務所の長の目に留まった。

……世の中とは、まことに分からぬものでござるな。

そして、そこからのこの御仁の動きが良い。

見学に呼ばれた後、

自ら進んで舞台や稽古を見に行くようになられた。

つまり、与えられた縁を自分で広げられたのでござる。

写真が目に留まったのは運でござろう。

だが、その後に自分から通ったのは意思でござる。

そして廊下で踊っておるところを見つかり、

初舞台が東京ドームとなった。

運と意思が噛み合うと、こういうことが起きるのじゃ。

2006年5月のことでござった。

この御仁は、まだ十一の齢でござる。

ちなみに、この御仁は入所した年に

事務所内の組の一員にも選ばれておられる。

そして2010年には別の組も作られ、

大きな舞台にも出ておられるのじゃ。

十五、六の頃でござる。

つまり、写真から始まった縁は

すぐに仕事へと繋がっておった

運だけでは、こうはなるまい。

見学に自ら通い、稽古を積んでおられたからこそでござろう。

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京本大我の四年続けて美声の一位

さて、この御仁を語るうえで外せぬのがでござる。

その評価が、数で残っておる。

ある雑誌の読者投票の企画に

「いちばん美声」という部門がござった。

そして京本大我殿は、その部門にて——

2015年以降、四年続けて1位を獲っておられるのじゃ。

四年でござるぞ。

読者が投票して決める順位でござる。

つまり聴いておる者が選んだということじゃ。

そして、この御仁は歌うだけではござらぬ。

自ら詞を書き、曲も作っておられる

その始まりは2013年の年末でござった。

失恋を歌った曲と、贔屓への思いを歌った曲。

この二曲を完成させ、自作の音源を

事務所の者に聴いてもらわれたという。

そして、その折の評が面白い。

贔屓への思いを歌った方は温かくて良い。

だが、失恋の方が耳に残り、玄人らしい、と。

……なかなか厳しい評でござるな。

だが、その言葉を受け止められた。

そして翌年、失恋の方の曲を公演で披露されたのじゃ。

さらに、その後も自作の曲を次々と世に出しておられる。

仲間が詞を足した曲、

自分が詞を書いて仲間が曲を付けた曲、

そして先輩が曲を付けた曲。

つまり、この御仁の作る曲は

周りを巻き込んで形になっていくのでござる。

そして2017年には、自作の曲を

弦の楽器を弾きながら歌われた。

自分なりの応援の歌であったという。

すると「勇気が出ました」という文が数多く届いたのだそうな。

拙い弾き語りでも、伝わるものは伝わる。

この御仁は、そう語っておられる。

そして舞台でも歌っておられる。

2015年から2016年にかけては、

名高いミュージカルにて皇太子の役を演じられた。

そして2019年には、ミュージカルで初主演も果たされておる。

自分で曲を作るということについて、

少し語らせてくれ。

組で歌う曲は、たいてい人様が作ったものでござる。

それを上手く歌うのが、歌い手の務めじゃ。

だが、そこには一つ足りぬものがある。

自分の言葉ではないということでござる。

この御仁は、そこに手を伸ばされた。

しかも十九の頃からでござる。

そして、その最初の音源への評が厳しかった。

温かい方より、失恋の方が玄人らしい、と。

……褒められておるのか、けなされておるのか。

だが、この御仁は折れなんだ。

そして作り続けられたのでござる。

面白いのは、この御仁の曲が

仲間の手で育っていく点じゃ。

自分が歌った音源を、仲間が携帯に録音し、

繰り返し聴いてラップの詞を付けたという話も残っておる。

また、自分が詞を書き、仲間が曲を付けたこともござる。

先輩が曲を付けてくれたこともあるのじゃ。

一人で完結せず、周りを巻き込む。

これは、人柄が良くなければ起こらぬことでござる。

そして歌の評価も確かでござる。

読者が選ぶ「いちばん美声」の部門で四年続けて一位。

事務所の若手の中では、

歌の力は最上位と言われておったのじゃ。

ちなみに、この御仁は2012年に

あるドラマに出演しておられる。

そして同じ年、そのドラマに出た若手六人で

事務所の長に直談判をされたのじゃ。

自分たちの公演を開かせてほしい、と。

そして、それが通った。

同年9月、その六人での公演が実現しておるのでござる。

願うだけでは動かぬ。

自ら言いに行く。

そして、この六人こそが

後にSixTONESとなる面々でござった。

あの直談判が無ければ、

この組は無かったのやもしれぬのう。

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京本大我の未来予想図-三万二千百人を集める

さて、京本大我殿の現在(いま)である。

2020年1月22日、SixTONESとしてCDデビューを果たされた。

そして、それから四年後の2024年でござる。

この御仁は、大きな一歩を踏み出された。

9月3日、一人での創作の企画の始動を発表されたのじゃ。

専用の場と動画の場を開き、

自作の曲の映像も公開された。

そして、その年の12月3日でござる。

この日は、この御仁が30歳になる誕生日であった。

その日に、東京の大きな会場にて

一人での公演を開かれたのじゃ。

三十の節目に、自分の名だけで舞台に立つ。

なんとも良い日の選び方でござるな。

そして2025年4月23日、初のCD作品を発売される。

作の題には、三十という数が入っておった。

さらに同年5月8日より、一人での公演を回られる。

三都市四会場、八公演でござった。

そして、その動員数が——

三万二千百人

三万人でござるぞ。

組の名ではない。

自分の名だけで集めた数でござる。

旅先の写真一枚から始まった御仁が、

三十を越えて三万人を集めるまでになられた。

そして、この御仁には写真を撮る顔もござる。

撮られる側から、撮る側へも回っておられるのじゃ。

自ら旅先で撮られた一枚が入口であったことを思えば、

これも何かの縁でござろうな。

そして尊敬する先達についても語っておられる。

ある先達については、尊敬を超えて「師匠」であると。

共に舞台に立った折、

自分より高い熱を出しておりながら

毅然と舞台に立っておられた姿を知り、

自らの甘さを反省するきっかけになったという。

廊下で踊っておった十一の少年が、

いまや三万人を集める歌い手でござる。

この先どのような歌がお主らの耳に届くか、吾輩も楽しみにしておるぞ。

一人での活動について、もう少し記しておこう。

2024年、この御仁は創作の企画を立ち上げられた。

その名には「PUT」——置く、という言葉が入っておる。

自分の作ったものを世に置いていく、

そういう意でござろうか。

そして専用の場と動画の場を開き、

自作の曲の映像を公開された。

組の名ではない。自分の名で出されたのでござる。

そして2024年12月3日、三十の誕生日に一人での公演。

2025年4月23日には初のCD作品。

その題には三十という数が入っておった。

三十という節目を、そのまま作品にされたのじゃ。

そして2025年5月からの公演で三万二千百人。

この数は、決して小さくない。

組でならば、もっと集まろう。

だが、これは一人の名での数でござる。

そして、この御仁には写真を撮る顔もある。

旅先の一枚から始まった御仁が、

自ら写真を撮る側に回っておるのじゃ。

十一で東京ドームの舞台に立ち、

十九で曲を作り始め、

三十で三万人を集める。

地道に積んでこられた御仁でござる。

そして、その積み方を教えてくれた先達もおられる。

熱を出しながら毅然と舞台に立っておった先達の姿を見て、

自らの甘さを反省されたという。

見て、学んで、そして続ける

この御仁の歩みは、その繰り返しでござる。

そして、この御仁は舞台でも数多く歌っておられる。

2015年から2016年にかけては、

名高いミュージカルにて皇太子の役を演じられた。

東京、博多、名古屋の三都市を回る公演でござった。

そして2019年にはミュージカルで初主演。

画面でも、舞台でも、そして一人でも歌う。

この御仁にとって、歌とは

活動の原動力なのだという。

そして、こう語っておられる。

伝えたいものがある曲を作り、

聴く者の気持ちに寄り添ったり、

元気づけたりしていきたい、と。

公演の楽屋には毎回ギターを持ち込み、

時間を見つけては弾いておられるそうな。

旅先の一枚から始まった御仁が、

いまも楽屋でギターを抱えておる。

この一貫ぶりが、吾輩は好きでござる。

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今回は京本大我殿について調査してみた!

吾輩は京本大我殿に対して、旅先の一枚から始まり、三万二千百人を集めるまでになった若侍、と思ったんだがお主は京本大我殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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