巷に騒がれる、永瀬廉殿:実家の父君がしておられた仕事と、育たれた土地について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1999年1月23日、東京都のお生まれ
- 幼稚園の年長から小学二年まで、大阪で育たれた
- 小学六年から高校一年まで、再び大阪におられた
- 地元は大阪府八尾市。母校の中学もそこにある
- 父君は、かつてヘリコプターの操縦をしておられた
- 家族は父君・母上・弟君、そしてインコの「ぴーちゃん」
- 2011年、12歳の折に母上が内緒で履歴書を送られる
- 2015年、家族の転勤で東京へ移られる
- 2018年5月23日、キング・アンド・プリンスとしてCDを出される
- 2024年4月19日、テレビ朝日系『徹子の部屋』にて父君の職を明かされる
【永瀬廉の実家の父君は、ヘリコプターを操っておられた】
「永瀬廉殿の実家は何をしておられるのか」と、よう検索されておる。
――答えを先に申そう。父君は、ヘリコプターの操縦をしておられた。
これは噂ではござらぬ。2024年4月19日、テレビ朝日系『徹子の部屋』に初めて出られた折、ご本人が明かしておられる。
黒柳徹子殿に家族の構えを問われて、この御方が挙げられたのは父君・母上・弟君、そしてインコの「ぴーちゃん」でござった。
……インコの名まで出される。この一点で、どういう家か知れようというものじゃ。
そして父君の仕事について、こう述べられた。
「前はヘリコプターを運転してました」
――ヘリコプターでござるよ。
空を飛ぶ鉄の鳥を、人を乗せて操る仕事じゃ。……そこらの父君と、いささか勝手が違い申す。
しかも、この話には続きがござってな。
「中居(正広)くんを乗せたことがあるって言ってました。めっちゃ前ですけどね、20〜30年前ですけど。その時のビデオテープを小さい頃に見せられたのを覚えてて」
お主、ここが可笑しゅうござるぞ。父君は、その時の映像を録って取っておられたのじゃ。
……そして幼い息子に見せておられる。「父はこういう仕事をしておる」と、言葉ではなく映像で示されたのでござる。
黒柳殿が「中居さん怖がってなかった?」と問われると、この御方はこう答えて笑うておられた。
「大丈夫です(笑)。父親もプロなので、中居さんを安全に乗せてました」
――父親もプロなので。
吾輩は、この一言に唸ったわ。息子が、父の腕を疑うておらぬのでござる。
……子が親の仕事をこう言えるのは、なかなかできることではござらぬ。
【地元は八尾。母上を「おっかぁ」と呼んでおられた】
さて、育たれた土地の話に移ろう。
生まれは東京でござる。1999年1月23日じゃ。……だが、育たれたのは大阪でござった。
幼稚園の年長から小学二年まで。そして小学六年から高校一年まで、再び大阪におられた。
その土地の名は八尾と申す。
2026年3月、日本テレビ系『ANOTHER SKY』の告知でこう伝えられておる。「地元・八尾に凱旋し母校の中学校を訪れる」と。
……ご自身の根を辿る番組で、真っ先に向かわれたのが八尾の中学であった。
そして母上との間柄が、これまた良うござってな。
2019年5月10日、大阪での催しでのことじゃ。母の日にちなんで「お母さんを何と呼んでいたか」と問われ、この御方はこう答えられた。
「中学生のころは“おっかぁ”でした」
――おっかぁ。今どき、そう呼ぶ子はそう多くはござらぬ。……だが、どこか温かい響きでござるな。
そして母上に叱られておった中身が、また可愛らしゅうござる。
「小学生の時、ティッシュをポケットに入れがちだったんです。そのまま洗たくしたらえらいことになるじゃないですか。勘弁してとよく言われました」
お主、この光景が目に浮かばぬか。洗濯機を開けたら、衣という衣が白い屑まみれになっておる。……そして母上が「勘弁して」と声を上げられる。
ヘリを操る父君と、洗濯機の前で嘆く母上。――これが、この御方の実家でござる。
なお、この日この御方が大阪で「ただいま!」と挨拶されると、集まった約2000人から「おかえりー!!」と声が返ったという。
……八尾で育った子が、大阪でそう迎えられる。土地に根があるとは、こういうことでござろうな。
【未来予想図-一週間の家出の先にあったもの】
では、この家はこの御方に何を残したか。吾輩なりの見立てを述べておこう。
手がかりは、17の年にござる。『徹子の部屋』で、この御方は両親との大喧嘩を明かしておられる。
揉めたのは、大学へ行くか行かぬかでござった。
「反抗期の時期で、僕は大学に行きたくなかった。まだデビューしてなかったから、将来どうなるか分からないから」
そして親御についても、こう述べておられる。「仕事に干渉してくるタイプの親だった」と。
……先に申しておくが、母上は12歳の折に内緒で履歴書を送られた御方でござる。
この道へ押し出したのも親御なら、進学を説いたのも親御じゃ。
そして揉めた末に、この御方はこうされた。
「1週間くらいプチ家出して…めっちゃ喧嘩しました」
――一週間の家出。
十七の若者が、腹を立てて家を出る。……ここまでは、どこの家にもある話でござる。
だが、この御方が並でないのはここからじゃ。
「このままじゃあかんなって思って、ちゃんと話そうって家帰った」
――ちゃんと話そう、と思うて帰った。
お主、十七でこれができる者がどれほどおろうか。
怒って出た者は、たいてい怒ったまま戻るか、戻らぬかでござる。……話し合いに戻る、という選び方はせぬ。
そして話し合いを経て、この御方は大学へ進まれた。卒業までにかかった年月を、こう振り返っておられる。
「(卒業まで)6年半かかりました。小学校より通ってるんです。一番長い学生生活でした」
……六年半でござる。仕事をしながら、途中で投げずに通い切られた。
ゆえに吾輩は、こう見立てる。この御方の芯は「話して決める」ところにあるのではないか。
空を飛ぶ父君も、履歴書を黙って送られた母上も、……いずれも、決めたら動く御方でござろう。
その家で育った子が、十七の家出の果てに選んだのが「ちゃんと話そう」であった。
――もっとも、これは吾輩の勝手な図でござる。ご本人がそう述べられたわけではない。
ただ、二人体制となった組を背負うて立っておられる今の姿と、あの一週間の家出の後に家へ帰られた十七の姿は、……吾輩には同じ人に見えるのでござるよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家の父はヘリの操縦士!?地元は大阪の八尾についてのまとめ】
今回は永瀬廉殿について調査してみた!
一つ。永瀬廉殿の父君は、かつてヘリコプターの操縦をしておられた。「前はヘリコプターを運転してました」と、ご本人が『徹子の部屋』で明かしておられる。
二つ。家族の構えは父君・母上・弟君、そしてインコの「ぴーちゃん」。
三つ。父君は20〜30年前に中居正広殿を乗せたことがあり、その映像を幼い息子に見せておられた。「父親もプロなので、中居さんを安全に乗せてました」
四つ。生まれは東京。だが育たれたのは大阪で、地元は八尾でござる。身代や在り処は本人も述べておられぬゆえ、この書記は書かぬ。
五つ。母上は「おっかぁ」と呼ばれておった。ティッシュを入れたまま洗濯に出しては「勘弁して」と言われておられたそうな。
六つ。17歳で進学をめぐり大喧嘩し、一週間の家出をされた。だが「このままじゃあかんなって思って、ちゃんと話そうって家帰った」。
七つ。その後大学へ進み、6年半かけて卒業された。
吾輩は永瀬廉殿に対して、空を飛ぶ父と、おっかぁと呼ばれた母。家出の果てに「話そう」と帰った御方、と思ったんだがお主は永瀬廉殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(キンプリ永瀬、中学時代は母を“おっかぁ”呼び
音楽ナタリー(母校、大阪城ホール、大阪松竹座…永瀬廉「アナザースカイ」で自身のルーツたどる・2026年3月19日/日本テレビ系『ANOTHER
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