巷に騒がれる、工藤大輝殿:双子の兄のうわさの真相について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1987年6月28日:北海道小樽市にて生誕。背丈172センチ、血の型はB型。
- Da-iCE のリーダー兼パフォーマーを務めておられる。
- 詞と曲を書き始めたのは十八の齢から。Nissy殿ほかへの提供も多い。
- 2016年9月〜:ニッポン放送にて連載「工藤大輝と偶像音楽論」を書く。
- 2018年4月〜2025年3月:TBSラジオ『TALK ABOUT』にて七年、話し手を務める。
- 2020年:サントリー烏龍茶と niko and… の品の顔を務める。
- 2022年:『Da-iCE ARENA TOUR 2022 -REVERSi-』の題にちなみ、髪を金に変える。
- 2023年8月〜:ウェブの番組『工藤大輝の強くてニューゲーム』が始まる。
- 2025年:ご自身が差配する衣装の店「ITEM」が始動。
- 2025年1月28日:右膝の関節鏡視下半月板縫合術を受けられる。
- 2025年:第67回日本レコード大賞 作曲賞を、花村想太殿と共に受ける。
- 小樽ふれあい大使に任じられておる。大の蒸し風呂好きでもある。
【ご家族について公にされたものは、ほぼ無い】

吾輩が語るは、工藤大輝殿のご家族にまつわるうわさでござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
母上はどの群れを好んでおられただの、弟君と何をして遊んだだの——巷の読み物は、ずいぶん細かく書いておる。
だが辿ってみると、ご家族について公にされたものは、ほとんど見当たらなんだ。
ご家族は一般の御方でござる。何を好み、何をして過ごされたかなど、公にされた記録は見当たらなんだ。
公にされておるのは、北海道小樽市のご出身という所まででござる。港と硝子細工で知られる町でござるな。
港と硝子と、そして寿司で知られる町でござるな。冬は雪深く、坂の多い土地でもある。
そしてこの御仁、小樽ふれあい大使にも任じられておられる。故郷から「うちの顔をやってくれ」と乞われる立場でござるよ。
……さて、では表題の「双子の兄」はどうなのか。これについては、はっきりした答えがござる。しかも、なかなか面白い答えでな。次に申し上げよう。
【双子の兄の正体は、ご本人でござった】

さて、双子の兄のうわさでござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
巷では「工藤大輝には双子の兄がおるらしい」という話が流れておってな。その名を claquepot と申す。
巷ではこの話が、まことしやかに流れておってな。「隠された兄弟がおるらしい」と、そういう筋で語られておる。
この御方、音を出しておられる。歌も出しておられる。顔を隠した映像まである。いかにも謎めいた御仁でござろう。
だが、その正体は——工藤大輝殿ご自身でござる。
「双子の兄」というのは、拵えた設えなのでござるよ。隠しておるわけではのうて、そういう約束事として置かれておる。
はじめてこの名を目にした者は、大抵まごつくそうな。音は良い。だが誰が出しておるのか分からぬ。その分からなさごと、味わうものでござる。
なぜそんな回りくどいことをなさるのか。察するに、Da-iCE の工藤大輝としてはやれぬ音を、やるためでござろう。
群れの顔として立つときと、一人で音を作るとき。その二つを、名を分けることで分けておられるわけでござる。
群れの中では、皆で一つの音を作る。一人で作るときは、誰にも相談せずに決められる。その自由が欲しかったのやもしれぬ。
面白いのは、映像の変わりようでな。はじめのうちは顔を隠す作りであったが、途中から顔を見せるようになっておられる。
設えを守りつつ、少しずつ姿を現す。謎を解いてゆく道筋まで、作の一部にしておられるようでござるな。
考えてみれば、これは実に贅沢な遊びでござる。顔を隠し、名を変え、別の音を出す。そこまでして、やりたい音があったということでござろう。
しかも claquepot としての作は、Da-iCE のものとはまるで色合いが違うと言われておる。同じ人が作っておるとは思えぬほどに、でござる。
「双子の兄がおる」というのは、うわさではござらぬ。ご本人が拵えた物語でござる。そこを取り違えぬようにな。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【未来予想図-二つの名で、二つの音を】

さて、いまの工藤大輝殿でござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
この御仁、詞と曲を書き始めたのは十八の齢からだという。
そして書くのはご自分の群れのぶんだけではござらぬ。Nissy殿ほか、多くの御方へ曲を届けておられる。
十八といえば、まだ世に出る前でござろう。その頃から書き始めて、二十年でここまで来られたわけよ。
その働きが、ついに形になった。2025年、第67回日本レコード大賞の作曲賞を、花村想太殿と共に受けておられる。踊る者が、曲で大賞の賞を受けたわけでござる。
曲を書くというのは、踊るのとはまるで違う仕事でござる。机に向かい、一人で音を並べる。華やかな舞台とは、正反対の作業でござろう。
楽曲の提供先を見ると、群れも一人立ちの御方も入り混じっておる。それだけ幅の利く書き手ということでござろう。
話すほうも長うござった。TBSラジオの話し手を、2018年4月から2025年3月まで七年。2016年からは、好むものについての連載まで書いておられる。
この賞は、その年に世に出た曲の中から選ばれるものでござる。踊る者としてではなく、作る者として認められたわけよ。
同じ年には装いの賞も受けておられる。曲でも、装いでも、認められたわけでござるな。一年に二つ。忙しいことでござる。
そして2025年1月28日、右膝に刃を入れておられる。
踊る者にとって膝は命でござる。だがこの御仁は戻ってこられ、同じ年のうちに衣装の店まで立ち上げておられる。
踊り、率い、書き、話し、商い、そしてもう一つの名で音を出す。一人でこれだけの役を回す御方が、世にどれほどおろうか。
膝に刃を入れ、店を興し、賞を受け、別の名でも音を出す。それを同じ一年のうちにやっておられるのでござる。双子の兄が居ると言われるのも、無理からぬ話でござろう。
この御仁の行く末、吾輩は大いに楽しみにしておる。お主らもともに見守らんか。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
この御仁の来し方も語っておこう。
工藤殿は1987年6月28日、北海道小樽市の生まれ。組の頭領にして踊り手でもある。
曲を書き始めたのは18歳の頃だと本人が答えておる。自らの組の曲だけでなく、他の歌い手へも曲を渡しておるというのだから、書く力は本物じゃ。
衣料の店で働いておった経歴もあり、装いにも造詣が深い。後には自ら差配する衣料の看板まで立ち上げておる。
2025年1月28日には右膝に刃を入れる手術も受けた。それでも戻ってくる。体を張る仕事を長く続ける者は、こうして手当てをしながら舞台に立つのじゃな。
そして郷里との縁も切れておらぬ。小樽の観光の大使にも任じられておる。
二つの名で二つの音を鳴らし、衣料を作り、郷里の顔も務める。手数の多い御仁よのう。
【双子の兄のうわさの真相についてのまとめ】
今回は工藤大輝殿について調査してみた!
吾輩は工藤大輝殿に対して、二つの名で二つの音を作り分ける創り手、と思ったんだがお主は工藤大輝殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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