【藤原竜也】高校を4日で中退!?学歴と5537人の頂点

藤原竜也 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、藤原竜也殿:高校を四日で辞められた話と、五千人余りの頂に立たれた日のことについて、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1982年5月15日、埼玉県秩父市のお生まれ
  • 秩父市立秩父第二中学校を出ておられる
  • 特技は球を蹴る競いで、県の中学大会で四強に入られた
  • 1997年3月、池袋の街角で選びの引札を渡される
  • 応募総数5537名の中から、頂に選ばれた
  • 同じ年、15歳で『身毒丸』の主役として舞台に立たれる
  • 進んだ堀越高等学校は、わずか四日で中退された
  • 2000年、映し『バトル・ロワイアル』の主役に抜擢される
  • 2003年、21歳で『ハムレット』の題名役を演じられた
  • 2004年、『新選組!』の沖田総司役で大河に初めて出られる
  • 2007年、仕事を休みロンドンへ渡られた
  • 2015年、12年ぶりに再びハムレットを演じられる
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【5537人の頂に立たれた、15歳の春】

藤原竜也は5537人の頂点に立った

まずは、この御仁の始まりから参ろう。

――1997年3月、池袋の街角でのことでござる

遊びに来ておられた15歳の少年に、一枚の引札が渡された。

――渡したのは、事務所に入って三年目の女性の社員であられた

その時、聞かれたのは名だけ。

――連絡先すら、聞かれなんだという

そして、ここからが良い。

――この御仁、書類の選びの段で一度落とされておる

そう、最初の関門で駄目であられた。

――だが、引札を渡したその社員が諦めなんだ

何度も、何度も。

――受かった者の書類の中に、紛れ込ませたのでござる

お主、これは大した話でござるぞ。

――見ず知らずの少年のために、そこまでされたのでござる

そして、選びに残られる。

――最後の審査で、蜷川幸雄殿の面接と演技の試しを受けられた

そこでの反応の良さと、何の色にも染まっておらぬ演技。

――選ぶ側の九名の票が、全てこの御仁に集まった

応募の総数は、5537名。

――その頂に、15歳で立たれたのでござる

五千五百三十七人。

――お主、この数を思い浮かべてみよ

そして忘れてはならぬ。

――一度は、書類で落とされておったのでござる

人の縁とは、こういうものでござる。

――あの社員がおらねば、今のこの御仁は無い

ところで、この御仁の名の由来も面白い。

――「竜也」という名は、祖父君が付けられたそうな

「天に昇る竜の如くすくすくと育つように」。

――その願いを込めて、付けられたという

お主、見事に叶っておるではないか。

――十五で頂に立ち、二十一で最年少のハムレットでござる

祖父君の願いが、そのまま形になった。

――名とは、そういう力を持つものでござるな

そして、幼き頃の綽名も可愛らしい。

――蛸が大好物で、「タコのたっちゃん」と呼ばれておったそうな

あの鬼気迫る演技をされる御仁が、でござる。

――落差が、なかなか良い

さらに、水が苦手であられる。

――泳ぎも不得手な、いわゆる金槌だという

しかも、高い所も苦手であられる。

――お主、意外と可愛らしい所がおありでござるな

機械にも弱いそうな。

――2014年まで、折り畳みの電話を使っておられたという

舞台ではあれほどの気迫を見せながら。

――日々の暮らしでは、実に人間らしいのでござる

蜷川殿は、この御仁をこう評しておられる。

――「集中力があって、真面目で努力家。ストイックで、役の事しか考えられない」

役のことしか、考えられぬ。

――だからこそ、高校を四日で辞められたのでござろう

ちなみに、好みも少々語っておこう。

――好きな作家は村上春樹殿だという

漫画では『魁男塾』を好まれるそうな。

――この取り合わせが、なかなか面白い

映しは、洋の物より邦の物を好まれる。

――とりわけ黒澤明殿や深作欣二殿の古い作を好まれるという

そして、幼き頃から長渕剛殿の大の贔屓であられる。

――ご本人曰く「ていうか、同志」だそうな

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【進んだ高校を、わずか4日で辞められた】

藤原竜也は進んだ高校をわずか4日で辞めた

さて、ここからが学歴の話でござる。

――秩父市立秩父第二中学校を出ておられる

中学の頃は、球を蹴る競いに励まれた。

――県の中学大会で、四強まで勝ち上がっておられる

なかなかの腕前でござる。

――だが、この御仁の伝説はここからでござる

進まれた高校は、堀越高等学校。

――そして、わずか四日で辞めておられる

四日でござるぞ。

――しかも、これはご本人が「四日」と申されておる

お主、驚いたであろう。

――吾輩も、初めて聞いた時は耳を疑うた

だが、その訳を聞けば納得でござる。

――学校帰りに、稽古場を訪ねられた時のことでござった

そこで、蜷川幸雄殿と唐十郎殿の会話を耳にされる。

――「小説を読んでいるような高貴な言葉の連続」であったという

そして、こう思われた。

――「僕が学ぶべき場所は高校じゃなくて稽古場なんだ」と

十五の身で、これでござる。

――お主、これは逃げではない。選び直しでござる

学ぶことを、辞められたのではない。

――学ぶ場所を、変えられたのでござる

ここを取り違えてはならぬ。

――四日で辞めた話は、怠けの話ではないのでござる

そして、その選びが正しかったことは。

――その後の三十年が、証しておる

さて、この四日という数について、もう少し。

――入学から、たったの四日でござる

教室に慣れる暇すら、無かったであろう。

――友の名も、まだ覚えておられなんだはずでござる

それでも、辞められた。

――迷いが無い、ということでござる

普通なら、一年は悩む。

――あるいは、辞めずに両立を考える

だが、この御仁は即断された。

――稽古場での一つの会話を聞いて、でござる

蜷川幸雄殿と唐十郎殿。

――その二人の言葉の応酬を、耳にされた

「小説を読んでいるような高貴な言葉の連続」。

――十五の少年が、そう感じられたのでござる

そして悟られた。

――己が学ぶべき場所は、ここだと

お主、これは才でござる。

――良いものを、良いと見抜く力でござる

多くの者は、目の前に本物があっても気づかぬ。

――だがこの御仁は、四日で見抜かれた

そして、迷わず身を投じられた。

――この見極めと決断こそ、この御仁の本質でござろう

学びを捨てたのではない。

――学ぶ場所を、選び直されたのでござる

ちなみに、深作欣二殿との縁も忘れてはならぬ。

――『バトル・ロワイアル』で、その才を認められたのでござる

そして、監督の遺作となった続編でも共に仕事をされた。

――他にも幾つか作る話があったが、叶わなんだという

そのことを、この御仁はこう語っておられる。

――「映画の楽しさを教えてくれた方だった」と

「もっと一緒に仕事をして、色々な事を学びたかった」。

――ここでも、学ぶという言葉が出てくるのでござる

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【未来予想図-舞台で第一線に立ち続けておられる】

藤原竜也の未来予想図-舞台で第一線に立ち続ける

さて、その稽古場での日々でござる。

――蜷川殿の指導は、それは厳しかったという

何度も泣かれたそうな。

――「辞めたい」と思うたこともあると、語っておられる

十五の少年でござるぞ。

――辞めなんだのが、不思議なくらいでござる

そして1997年、『身毒丸』の主役として舞台に立たれた。

――ロンドンでの公演では「天才新人現る」と絶賛された

しかも、この公演には逸話がある。

――千秋楽の前日、持病の腰の痛みが悪化されたのでござる

昼の公演は、急ぎ代役が立てられた。

――夜も代役のはずであった

だが、この御仁は蜷川殿に懇願された。

――「どうしても舞台に立ちたい」と

そして、蜷川殿が折れられる。

――代役を舞台の袖に待たせたまま、舞台に立たれた

動くことすら、出来ぬ体で。

――それまでの公演を上回る、鬼気迫る演技をされたという

蜷川殿は、後にこう語っておられる。

――「あの千秋楽は一生忘れられない、それくらい凄かった」と

お主、これが十五の少年でござる。

――四日で高校を辞めた者の、覚悟でござる

その後、2003年には21歳でハムレットの題名役。

――日本の演劇の歴史で、最年少であったという

そして数々の演劇の賞を、総なめにされた。

――学ぶ場所を選び違えなんだ、ということでござろう

さて、その後も学びは続いておる。

――2007年の2月から6月まで、仕事を休んでロンドンへ渡られた

既に名の知れた身でありながら、でござる。

――四か月、舞台を離れて学びに行かれたのでござる

そして帰国後、『ヴェニスの商人』に出られる。

――英国の有名なグループの演出であられた

さらに2010年。

――『ANJIN イングリッシュ・サムライ』という舞台に立たれる

この舞台、なんと台詞の七割が英語であった。

――しかも、宣教師の役でござる

そのために、二か月の語学の修行に出られた。

――現役の演じ手が師であったという

しかも、その教え方は「攻撃的」であったそうな。

――お主、それは相当に厳しかったであろうな

四日で高校を辞めた御仁が、二十八でまた学びに出られる。

――学ぶことを、辞めておられぬのでござる

そして2015年、12年ぶりに再びハムレットを演じられた。

――しかも、ご自身から蜷川殿に直訴されたという

他の一座のハムレットを観て、こう思われた。

――「もう一度自分は『ハムレット』の世界に入りたい」と

四十を前にして、なお貪欲でござる。

――お主、この御仁の学びは終わっておらぬのでござる

最後に、一つ申しておこう。

――この御仁は、2009年に秩父市の観光大使にも任じられておる

故郷から、名指しで求められたということでござる。

――四日で高校を辞めた少年が、でござる

道を外れたのではない。

――己の道を、選び直したに過ぎぬのでござる

お主、周りの敷いた道だけが道ではないぞ。

――この御仁が、それを証しておられる

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。

楽天の番付で一位を取ったものがこれでござる。まずは見てみられよ。

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【高校を4日で中退!?学歴と5537人の頂点についてのまとめ】

今回は藤原竜也殿について調査してみた!

吾輩は藤原竜也殿に対して、学ぶべき場所は稽古場だと見極めて、四日で去られた御仁と思ったんだがお主は藤原竜也殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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