【大原優乃】9歳で番組審査を突破!?仕事が無くなった年

【大原優乃】 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、大原優乃殿:9歳で番組審査を突破!?仕事が無くなった年について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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  • 1999年10月8日、鹿児島県に生まれる。
  • 2009年、NHKの教育番組『天才てれびくんMAX』のオーディションで選ばれ、ダンス&ボーカルユニット「Dream5」のダンス担当メンバーとしてデビュー。
  • 2014年、Dream5はテレビアニメ『妖怪ウォッチ』のエンディングテーマ「ようかい体操第一」及び「ダン・ダン ドゥビ・ズバー!」を担当し、大ヒット。
  • 2013年から2015年まで、ローティーン向け雑誌『ピチレモン』の専属モデルを務める。
  • 2016年から2017年まで、ティーン雑誌『ラブベリー』の専属モデルを務める。
  • 2016年、Dream5の活動が終了し、以降はソロタレントとして活動。
  • 2017年、舞台『PIRATES OF THE DESERT 3〜偽りの羅針盤と真実の操舵輪〜』で女優デビュー、同年『週刊プレイボーイ』でグラビアアイドルデビュー。
  • 2018年、初の写真集『ゆうのだけ』を発売、同年37回もの表紙巻頭グラビアを飾る。
  • 2019年、実写映画『お前ら全員めんどくさい!』で映画デビュー、同年「カバーガール大賞」グランプリと「黒髪美人大賞」を受賞。
  • 2021年、公式YouTubeチャンネル『ゆーのちゅーぶ』を開設。
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大原優乃の9歳で勝ち抜いた審査

大原優乃殿は平成11年10月8日の生まれ、鹿児島県鹿児島市の出にござる。

巷ではご実家の造りやご家族の勤め先について賑やかに語られておる。だが手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。ご本人もご家族も、そうしたことを世に出してはおられぬのでござる。

とりわけ、家の中を映した映像を持ち出して住まいの値打ちを語る向きもあるが、そこにご本人の言葉は無い。公にされておるのは、映像に出たという事実までじゃ。

書けるのは、ご本人の歩みだけよ。そしてこの御仁の歩みは、九つの歳から始まっておる。

平成21年、NHKの子供向けの番組が、ダンス&ボーカルの一座を立ち上げるにあたり、一般の視聴者からメンバーを募集した。

当時9歳8か月、小学校4年生であった大原殿は、これに挑戦される。

そして番組内の審査を勝ち抜き、「Dream5」の踊り担当の一員に選ばれたのじゃ。

同じ年の11月4日にCDデビュー。十歳一か月での、芸能の世界への出発であった。

十歳である。同じ年頃の子が学校から帰って遊んでおる時分に、この御仁は稽古場と収録の現場におられたわけよ。

そして平成26年、大きな当たりが来る。テレビアニメ『妖怪ウォッチ』のエンディングテーマ「ようかい体操第一」を担当されたのじゃ。

この作品は社会現象となり、流行語にもなるほどの人気となった。続く第二弾の曲は初週6.6万枚を売り上げ、オリコンの週間ランキングで初の1位を獲得しておる。

そして同じ年の大晦日、『輝く!日本レコード大賞』と『NHK紅白歌合戦』の両方に出演された。十五の歳での快挙である。

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大原優乃の仕事が無くなった年

『妖怪ウォッチ』の曲は、子供たちが揃って踊るほどの広まりを見せた。町のどこへ行っても流れておった時期がある。その中心におられたわけじゃ。

レコード大賞と紅白の両方に同じ年に出る。歌い手として、これ以上の一年もあるまい。

ここまでを見れば、順風満帆に見えよう。だが、この御仁には苦しい時期があるのじゃ。

一座の活動と並行して、雑誌のモデルも務めておられた。十三から十六までは低年齢向けの雑誌、十六から十八までは別の雑誌の専属モデルであった。

ところが平成28年12月31日、Dream5の活動が終了する。これにより、雑誌のモデルが主な活動となられた。

さらに追い打ちがかかる。その雑誌が平成29年の末をもって、事実上の休刊となってしまったのじゃ。

つまり平成30年の年頭から、仕事が無くなってしまわれた。十八の歳である。

ご本人は、このままでは芸能人として「終わってしまう」という危機感を抱いておられたという。

十歳でデビューし、十五で紅白に出た者が、十八で仕事を失う。この落差は、想像するに余りある。

だが、この御仁は動かれた。平成29年、十七の歳で舞台に出演して女優としての一歩を踏み出し、同じ年には早くも舞台で初主演も務めておられる。

そして俳優業と、もう一つの分野へ二か月違いのほぼ同時期に進出された。仕事が無くなる前から、次の場を探しておられたということじゃ。

テレビドラマにも、同じ年に端役から出ておられる。小さな役でも、まず出る。この動き方が、後の道を開いたのである。

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大原優乃の未来予想図-広がる場

十歳でCDを出すというのは、同じ年頃の子が学校の行事に励んでおる時期に、収録の現場に立っておったということじゃ。

その頃から人前に立ち続けてきたからこそ、十八で仕事を失った時の衝撃も大きかったのであろう。

十八で仕事を失い、そこから自ら場を作り直す。この経験が、この御仁を強くしておるはずじゃ。

一座での活動、雑誌のモデル、舞台、ドラマ、そして踊り。既に五つの分野を経験しておられることになる。

とりわけ踊りは、九つの歳から積んでこられたものじゃ。一座では踊り担当であった。これは、どの場に立っても効いてくる。

近ごろは動画の場でも活動しておられる。自ら発信する場を持つというのは、仕事を待たずに動けるということでもある。

十八で仕事が無くなった経験を思えば、自分の場を持つことの大切さを、誰よりも分かっておられるのであろう。

動画の場を持つというのは、誰かに呼ばれるのを待たずに済むということじゃ。一度仕事を失った者にとって、これほど心強いものはあるまい。

考えてみるがよい。九つで審査に挑み、十でデビューし、十五で紅白、十八で仕事を失い、そこから作り直す。

二十代の半ばで、これだけの浮き沈みを経験しておられる。順風満帆な経歴ではない。だからこそ、語る値打ちがあるのじゃ。

実家の造りの話など、この歩みの前では何の意味も持たぬ。家が立派であろうとなかろうと、十八で仕事が無くなる時は無くなるのだから。

そこから立て直したのは、ご本人の手である。書くべきは、そちらの方じゃ。

十歳でCDを出し、十五で紅白に立った経験は、他の誰にも真似のできぬものじゃ。その記憶が、次の場でも支えになっておるはずである。

浮き沈みを知っておる者は、上がっておる時に浮かれず、下がっておる時に腐らぬ。これは大きな強みよ。

鹿児島から出てきた九つの少女が、紅白の舞台に立ち、そして一度失い、また立ち上がる。吾輩は、この歩みを買っておる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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今回は大原優乃殿について調査してみた!

吾輩は大原優乃殿に対して、ステキな家族に囲まれて活躍してきた姫、と思ったんだがお主は大原優乃殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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