巷に騒がれる、青木愛殿:北京五輪に最年少で選出!?8歳から続けた水の道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1985年5月11日、京都府に生まれる。
- 8歳から京都踏水会でシンクロナイズドスイミングを始め、小学4年生で国内ジュニア五輪で優勝。
- 京都文教女子高等学校を経て、びわこ成蹊スポーツ大学に進学。大学では女子競輪選手の白井美早子と同ゼミに在籍。
- 2005年、世界選手権の代表選手に選出されるも怪我で出場機会を得られず。
- 2006年、ワールドカップで代表選手として出場し、チーム種目で銀メダルを獲得。
- 2008年、北京オリンピックで日本代表選手にチーム最年少で選出され、チーム種目で5位入賞。北京オリンピック後、現役を引退。
- 2010年に大学を卒業。引退後は京都踏水会で指導を行うと共に、モデル・タレント・レポーターなどとして活動。
【8歳から始まった水の道】

青木愛殿は昭和60年生まれ、京都府の生まれにござる。水の道に足を踏み入れたのは八つの歳。京都踏水会にてシンクロナイズドスイミングを始められた。
幼子が水に慣れるだけでも骨が折れよう。それが競技となれば、息を止め、逆さになり、拍に合わせて手足を運ぶ。陸の上の稽古とはまるで別物である。
その稽古が実を結んだのが小学四年の折。国内ジュニア五輪にて優勝を飾っておられる。十を数えたばかりの歳で日本の頂に立たれたわけじゃ。
京都文教高に上がった一年目からは、井村雅代殿が率いる井村シンクロクラブへ移られた。日本のシンクロを世界水準へ引き上げた御仁の下である。稽古の厳しさは推して知るべし。
平成17年には世界選手権の代表に選ばれておる。だが怪我のため、出場の機会は得られなんだ。選ばれても泳げぬという、選手にとっては何より辛い年であったろう。
翌々年の世界選手権でも、やはり出場の機会は巡ってこなんだ。二度も代表の座にありながら舞台に立てぬ。ここで水を離れる者がおっても、誰も責めはすまい。
しかし青木殿は退かなんだ。平成18年のワールドカップでは代表として出場し、チーム種目にて銀メダルを手にしておられる。耐えた歳月が、ここで形になったのである。
背丈は173センチ。アーティスティックスイミングの五輪代表の中では、米田容子殿と並んで最も高い部類にござる。水面に伸びる脚の長さは、この競技において大きな武器となる。
学び舎の歩みも記しておこう。京都市立錦林小学校、京都市立岡崎中学校、そして京都文教女子高等学校を経て、びわこ成蹊スポーツ大学へ進まれた。生まれ育った京の地で、水と向き合い続けてこられたわけじゃ。
この競技は、点を取るでも相手を倒すでもない。水面の上と下で寸分の狂いなく揃えることを、審判の目に訴える競い方である。一人の乱れが全体の傷になる。それゆえ稽古は果てしなく細かい。
息継ぎのできぬ間が長く続くこともある。笑みを湛えたまま、水の下では足で必死に水を掻いておる。見た目の華やかさと、中身の過酷さの落差がこれほど大きい競技も珍しい。
【北京五輪、チーム最年少での選出】

そして平成20年、北京オリンピックの年が来る。青木殿は日本代表にチーム最年少で選出された。先達に囲まれての抜擢である。
結果はチーム種目にて5位入賞。世界の壁は厚かったが、五輪の決勝の水面に立ったという事実は動かぬ。八つの歳から積み上げてきた十五年が、ここに実を結んだのじゃ。
青木殿はびわこ成蹊スポーツ大学の出にござる。平成15年に開学したばかりのこの学び舎から、初めて五輪代表となった選手が青木殿であった。新しい学校にとって、これほどの誉れはあるまい。
そして北京五輪を最後に、現役を退かれた。齢は二十三。世に言う「早期引退」であり、惜しむ声が上がったのも道理である。
ここで正直に申し上げねばならぬ。吾輩がいくら手繰ってみても、引退の理由をご本人が公に語った記録は辿れなんだ。巷にはあれこれの筋書きが流れておるが、確かな出所は見つからなんだ。
ご家族の身の上に関わる話も囁かれておるが、これは本人が明かしておらぬ以上、吾輩の口から述べるべきものではない。書けるのは、北京を最後に退かれたという事実だけじゃ。
交際の相手として名の挙がる御仁についても同じこと。ご本人からも相手方からも公の言葉は出ておらぬ。他人様の名を並べて憶測を語るは、武士の道に外れると心得る。
退く決断の理由について、ご本人が細かく語られた記録は見当たらなんだ。残っておるのは、北京五輪の水面に立ったという確かな記録の方でござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【未来予想図-引退の後に選んだ道】

現役を退いた後、青木殿は平成22年に大学を卒業しておられる。そして自らが八つの歳で門を叩いた京都踏水会にて、指導する側に回られた。育ててもらった場所へ戻る。まことに筋の通った身の振り方である。
同時に、モデル・タレント・レポーターとしても道を広げられた。水の中で言葉を使わずに表してきた御仁が、今度は言葉を武器にされたわけじゃ。
平成23年からは『Oha!4 NEWS LIVE』にて木曜・金曜のスポーツキャスターを務められた。翌年からはテレビ東京『SUPER GT+』の司会も担っておられる。
平成27年からの一年は、日本テレビ『スッキリ!!』の金曜コメンテーターとしてお茶の間に顔を見せておられた。競技の外の話題にも言葉を持つ御仁である。
毎日放送『戦え!スポーツ内閣』では「シンクロ大臣」として、TBS『S☆1』では日曜の準レギュラーとして、いずれも競技を知る者ならではの見立てを述べておられる。
平成30年度からは朝日放送テレビ『朝だ!生です旅サラダ』の「第8代旅サラダガールズ」の一人として旅に出ておられる。NHK BSプレミアム『ふらっとあの街 旅ラン10キロ』では十里を走る役どころじゃ。
令和5年からは朝日放送ラジオ『土曜日やんなぁ?』にて、黒谷友香殿・谷尻萌殿とともにパーソナリティを務めておられる。水面から陸へ、そして声だけの舞台へ。よくぞここまで広げられたものよ。
なお、野球はオリックス・バファローズの贔屓とのこと。「阪神よりオリックスのアットホームな雰囲気が好き」との由で、京セラドームにもよく足を運ばれるそうな。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【北京五輪に最年少で選出!?8歳から続けた水の道についてのまとめ】
今回は青木愛殿について調査してみた!
吾輩は青木愛殿に対して、己が進むべき道を自らの力で決断することができる女傑、と思ったんだがお主は青木愛殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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