【塩野瑛久】実家は創業40年超のクレープ屋!?常連の一言

塩野瑛久の実家 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、塩野瑛久殿:高校へ進まず店に立った日々と、そこから開けた道について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1995年1月3日、東京都のお生まれ
  • 実家は創業40年以上のクレープ屋である
  • 中学を出た後、高校へは進まず実家の店を手伝われる
  • 2011年、第24回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにて審査員特別賞とAOKI賞
  • 2012年、フジテレビ系『GTO』にて世に出られる
  • 2013年、『獣電戦隊キョウリュウジャー』にて立風館ソウジ役を演じられる
  • 2019年、映画『ハイアンドロー ザ・ワースト』にて小田島有剣役を演じられる
  • 2024年、大河ドラマにて一条天皇役を演じられる
  • 2024年10月10日、『徹子の部屋』にて実家の店を語られる
  • 2025年、テレビ東京系『五十嵐夫妻は偽装他人』にてダブル主演を務められる
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【塩野瑛久の実家は創業40年超のクレープ屋でござる】

「塩野瑛久殿の実家はどうなのか」――これは、はっきりしておる。

創業40年以上のクレープ屋でござる。

2024年10月10日、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出られた折に語られたものじゃ。

四十年でござるぞ。お主、この年月の重さが分かられるか。

――流行りで開けた店が四十年も続くことはござらぬ。

毎日、同じ場所で、同じ鉄板の前に立ち続けねばならぬ。

そして、この御方の来し方が、この店と分かちがたく結びついておる。

学生の頃は、夢が無かったという。

そして中学を出た後、高校へは進まれなかった。

――進学せず、実家のクレープ屋を手伝う道を選ばれたのじゃ。

お主、ここで少し立ち止まってみられよ。

十五でござる。周りは皆、制服を着て学び舎へ向かう齢じゃ。

その中で、ひとり店に立たれた。

毎日、鉄板の前で生地を延ばし、客に渡す。

――華やかさとは、いちばん遠いところでござる。

夏は暑かろう。鉄板の前でござるゆえな。

冬は冬で、外に向いた窓口に立ち続けねばならぬ。

――どの季節も、楽ということがない仕事でござる。

しかも、この御方は「夢が無かった」と言うておられる。

何かになりたくて店を手伝うたのではない。

先の見えぬまま、目の前の仕事をしておられたのじゃ。

――これが、いちばんこたえる時期でござる。

苦しくとも先が見えておれば、人は耐えられる。

だが先が無いまま同じ日を重ねるのは、なかなかできることではない。

そして、その日々が思わぬ扉を開けることになる。

――店に立っておらねば、開かなんだ扉でござった。

【常連の一言と、姉君が撮った一枚】

きっかけを持ち込んだのは、店の常連であった。

この御方が2021年に語られた言葉が、これでござる。

「お客さんが“ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト”を母に提案してくれたことが芸能界に入るきっかけになりました」

――客が、母君に勧めたのじゃ。

お主、ここが面白いところでござるぞ。

この御方が自ら望んだのではない。

母君が思いついたのでもない。

――店に通うておった見知らぬ客の一言でござる。

そして、この御方は初めは乗り気ではなかったという。

ところが選考が進むにつれ、気持ちが変わっていった。

夢が無かった己に、初めて「俳優」という夢ができたのでござる。

――やってみてから、欲しくなったのじゃ。

順序が逆でござる。だが、こういう順序もある。

そして結びが、なかなかの首尾であった。

審査員特別賞とAOKI賞を、二つとも受けられた。

だが、この御方はその手柄を己のものにしておられぬ。

いちばん大きかったのは何かと問われて、こう答えられた。

「いちばん大きかったのは、書類用に姉がいい写真を撮ってくれたことだと思っています!」

――姉君でござる。

しかも、ただ撮っただけではない。

「茶髪だった髪を黒染めして、爽やかなイメージに仕上げてくれて」

髪の色まで変えさせて、写り方を作り込まれたのじゃ。

そして、この御方は言い切っておられる。

「受賞できたのは、その1枚のおかげといっても過言じゃないですね」

――過言ではない、でござる。

お主、並べてみられよ。

店の常連が勧め、母君が動き、姉君が写真を撮った。

――この御方は、まだ何もしておらぬ。

家と、その家に集まる人々が、先に道を作ったのでござる。

【未来予想図-夢が無かった者の強さ】

ここまでを、一度まとめておこう。

――塩野瑛久殿の実家は、創業40年以上のクレープ屋でござる。

中学を出た後、高校へは進まず店を手伝われた。

常連客の一言で母君がコンテストへ応募し、二つの賞を受けられた。

その書類の写真は、姉君が撮られたものであった。

ここからは吾輩の見立てでござる。

この御方の強みは、夢が無い時期を長く過ごしたところにあるとみる。

考えてもみられよ。

幼い頃から役者を志した者は、落ちるたびに己を疑う。

――これしか無いと思うておるゆえ、退路が無いのじゃ。

だがこの御方は、そもそも夢が無かった。

しかも、無いまま働くという時期を通ってきておられる。

この御方は何度もオーディションに落ち、諦めかけたところで大役を掴まれた。

2024年の大河ドラマ、一条天皇役でござる。

――諦めかけて、なお続けられたのじゃ。

何ゆえ続けられたか。

吾輩は、店の日々があったからではなかろうかと思うておる。

先が見えぬまま同じ日を重ねることに、慣れておられるのじゃ。

――役者の道など、まさにそれでござる。

そしてもう一つ。

この御方は、己の始まりを人の手柄として語られる。

常連の一言、母君の一手、姉君の一枚。

――どれも、己ではない。

四十年続く店というのは、そういう場所でござろう。

毎日来る客の顔を覚え、覚えられ、言葉を交わす。

――その積み重ねが、思わぬところで実を結んだのじゃ。

鉄板の前に立っておった十五の少年を、

客のほうが先に見つけておったということでござる。

夢を持たぬ日々を耐えた者は、夢が来たときに手放さぬ

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

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【実家は創業40年超のクレープ屋!?常連の一言についてのまとめ】

今回は塩野瑛久殿について調査してみた!

一つ。塩野瑛久殿の実家は創業40年以上のクレープ屋でござる。2024年10月10日の『徹子の部屋』で語られた。

二つ。学生の頃は夢が無く、中学を出た後は高校へ進まず実家の店を手伝われた

三つ。世に出るきっかけは「お客さんが“ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト”を母に提案してくれたこと」であった。

四つ。初めは乗り気でなかったが、選考が進むうちに夢が無かった己に初めて「俳優」という夢ができたという。

五つ。同コンテストで審査員特別賞とAOKI賞を受けられ、書類の写真は姉君が撮られたもの。「受賞できたのは、その1枚のおかげ」と語っておられる。

吾輩は塩野瑛久殿に対して、夢の無い日々を耐え抜かれた御方、と思ったんだがお主は塩野瑛久殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

マイナビニュース(塩野瑛久、実家は創業40年以上のクレープ屋

女性自身(塩野瑛久「実家のクレープ屋の手伝いが俳優デビューきっかけに」/『女性自身』2021年2月16日号掲載・2021年2月8日)

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