
英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
皆を幸せな気分にしてくれる小島よしおさんのご紹介です。
知られざる事実として、実は小島さんはかなりの学歴をお持ちです。
早稲田大学教育学部国語国文学科のご出身なのです。
そして英語についても、なかなか思い切った学び方をしておられます。
――なんと家賃を取らない代わりに英語を教えてもらうという方法です。
詳しく見ていきましょう!
小島よしおさんの略歴
- 1980年11月16日、沖縄県島尻郡久米島町にてお生まれになる
- 千葉県千葉市稲毛区で高校卒業まで過ごされる
- 千葉市立稲毛高等学校を卒業後、一年の浪人生活を経る
- 2000年、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学(商学部にも合格)
- 大学時代はサークル内のコントグループのメンバーとして活動
- 2006年、早稲田大学を卒業(二年の留年を経験)
- 2007年、「そんなの関係ねぇ!」と「オッパッピー」で大きく世に知られる
- 同年の流行語大賞にて「そんなの関係ねぇ」がトップ10入り
- 2011年頃より、子ども向けのライブを精力的に行うようになる
- 2020年4月、YouTubeチャンネルにて「おっぱっぴー小学校」を開講
- 語学学校の副校長も務めておられる
小島よしおさんの英語学習方法
小島さんの英語について、確かめられる事実から見ていきましょう。
実はかなりの学歴の持ち主である
小島さんの学歴について、まず整理しておきましょう。
千葉市立稲毛高等学校を卒業後、一年の浪人生活を経て、2000年に早稲田大学教育学部国語国文学科に入学されています。
しかも商学部にも合格されていたそうです。
――高校時代の成績は、ご本人曰くよくなかったとか。
そんな自分が早稲田に受かったら周りが驚くだろう、というサプライズの気持ちで受験されたと語っておられます。
動機が「驚かせたいから」というのが、実に小島さんらしい。
――そしてその動機で本当に受かってしまうのが、また凄いところです。
ただし大学時代は、寝坊癖のせいで単位が足りず二年の留年を経験されています。
卒業は2006年、六年かけての卒業でした。
――ここも正直に語っておられるのが、人柄が出ています。
そして大学では教育に関心を持っておられましたが、サークル活動のために教育実習に行く時間が取れず、教員免許は取得されませんでした。
三十四歳での大胆な決断
英語学習については、関心を持ちながらもなかなか行動に移せない自分に苛立ちを感じておられたそうです。
――これは、多くの方に心当たりがあるのではないでしょうか。
そして思い切った行動に出られたのが、三十四歳のときでした。
友人の助言をきっかけに、海外出身の友人との共同生活を始められたのです。
しかもその際、家賃はいらないから英語を教えてほしいと頼み込んだとか。
――なんという行動力でしょうか。
この方法、実はきわめて理にかなっています。
語学で最も効くのは、毎日、逃げられない形で使う環境です。
週に一度の教室では、どうしても間が空いてしまいます。
ところが同じ家に暮らしていれば、毎日顔を合わせます。
朝の挨拶も、夕食の相談も、すべて英語になるわけです。
しかも相手は友人ですから、間違えても恥ずかしくありません。
――この「恥ずかしくない相手」というのが、実は非常に大きいのです。
日本人が英語を話せない最大の理由は、文法でも語彙でもなく間違えることへの抵抗感だと言われています。
気を許せる相手がいれば、その壁は自然と消えていきます。
この共同生活は、およそ二年間続いたそうです。
暮らしそのものが教材になる
二年の間には、そのご友人と共にニューヨークへも行かれたそうです。
夏休みを現地で過ごされたとか。
また、海外の方が集まる店にも顔を出し、見聞を広げていかれたと語られています。
――地道な努力と、思い切った行動力。
この二つが、小島さんの武器なのでしょう。
そして興味深いのが、生活のスタイルがまるで違うお二人だったという点です。
常に動き回っていないと落ち着かない小島さんに対し、ご友人は時間の流れをゆっくり楽しみ、暮らしを豊かにするタイプだったとか。
――この違いが、小島さんにとって大きな刺激になったそうです。
暮らしの中身を考え直すきっかけになったと語っておられます。
つまりこの二年間で得られたのは、英語だけではなかったわけです。
価値観そのものが広がった。
異文化に触れることの効果は、まさにここにあります。
言葉を学ぶつもりで飛び込んだら、自分の生き方まで揺さぶられる。
――語学学習の、最も面白いところでしょう。
早稲田に受かった人の、勉強との向き合い方
小島さんが英語を学ぶうえで有利だった点を、ひとつ挙げておきましょう。
それは受験勉強をやり切った経験です。
高校時代の成績は良くなかったと語っておられますが、一年の浪人を経て早稲田に合格されています。
しかも二学部です。
――これは、ある時期に相当な量を詰め込んだということです。
この経験が効いてくるのは、「どのくらいやれば結果が出るか」の感覚が身についている点です。
語学の学習で挫折する方の多くは、必要な量を見誤っています。
週に一度の教室に通って、なぜ話せるようにならないのかと悩む。
ですが実際には、桁が足りていないのです。
――受験勉強をやり切った方は、この桁の感覚を持っています。
そしてもうひとつ。
小島さんは大学で国語国文学を学ばれています。
言葉そのものを学問として扱った経験は、外国語を学ぶうえでも効いてくるはずです。
――言葉の仕組みに関心を持てる方は、語学に向いています。
教育への情熱と、いまの活動
小島さんについて語るうえで外せないのが、教育への情熱です。
かつては小学校の教師になることを夢見ておられました。
ですが教員免許は取得できませんでした。
普通であれば、ここで諦めるところでしょう。
――ですが小島さんは、別の道を見つけられます。
「勉強嫌いな子を作りたくない」
「子どもの頃から勉強は好きなほうがいい」
――こうした思いを持ち続け、2020年4月、YouTubeチャンネルで「おっぱっぴー小学校」を開講されました。
独自の教え方が好評を博し、分かりやすいうえに適度に笑いも入るという、実に良い内容になっています。
――資格がなくても、できることはある。
この発想の転換が、素晴らしいのです。
さらに小島さんは、語学学校の副校長も務めておられます。
――英語を学ぶ側から、学ぶ場を支える側へ。
こうして並べてみると、小島さんの歩みには一本の筋が通っています。
「誰かが学べるようにする」という筋です。
一発屋と言われた時期を、どう越えたか
小島さんについて、もうひとつ触れておきたいことがあります。
2007年に大きく世に知られた後、翌年からは仕事が減り始め、「一発屋」の一人として挙げられる時期が続いたと語られています。
――これは、たいへん厳しい時期だったでしょう。
ですが小島さんは、ここでも別の道を見つけられます。
お笑いの先輩の助言もあり、2011年からは子ども向けのライブを精力的に行うようになられました。
そして少しずつ、ファン層を広げていかれます。
――大人向けの土俵で戦えないなら、別の土俵を作る。
この発想が、後の「おっぱっぴー小学校」にもつながっていきます。
そして小島さんご自身、「人の意見を素直に聞くことが成長につながった」と語っておられます。
――助言を素直に受け取れるというのは、実は大きな才能です。
語学の学習でも、これは同じです。
発音を直されたとき、言い回しを訂正されたとき。
そこで素直に受け取れる方は、伸びが速いのです。
逆に、指摘を嫌がる方はなかなか変わりません。
――間違いを教えてもらえる機会は、そう多くはないのですから。
小島さんから学べる、行動の起こし方
最後に、私たちが真似できることを整理しておきましょう。
① 環境は、頼み込んででも作る
家賃を取らない代わりに英語を教えてほしい――
これは、なかなか思いつく発想ではありません。
ですが本質は「使う場を自分で作った」という一点です。
同居までしなくとも、英語で話す相手を一人確保するだけで、伸び方はまるで変わります。
② 資格や条件が揃うのを待たない
教員免許がないから教えられない、ではなく、免許がなくても伝えられる形を探す。
――英語も同じで、完璧になってから使うのではなく、できない状態のまま使い始めることです。
③ 動機は不純でもよい
周りを驚かせたいから早稲田を受ける。
――動機としては、実に軽いものです。
ですが、それで本当に合格してしまった。
動機の立派さと、結果には関係がないのです。
英語を学ぶ理由も、「海外ドラマを字幕なしで観たい」でも「かっこいいから」でも構いません。
――大事なのは、動き出すことのほうです。
④ 学ぶ側から、支える側へ回ってみる
小島さんは英語を学んだ後、語学学校の副校長という立場にも就いておられます。
――学ぶ側から、学ぶ場を支える側へ。
これは語学の学習でも真似ができます。
自分より少し前を歩いている人に教わるだけでなく、少し後ろの人に教えてみるのです。
人に説明しようとすると、自分の理解の穴が一気に見えます。
――教えることは、最も効率の良い学び方でもあるのです。
まとめ
教育に関心はあるけれど、教員免許はない。
それでも、できることはあるはずだと考えて動画で発信する。
英語を学ぶために、家賃を取らない代わりに友人を家に迎え入れる。
――どちらも、たいへんな行動力と決断力です。
常にアンテナを張り続けておられる小島さんから、学ぶものは大きいと考えます。
「まずは行動あるのみ」――
これは、語学に限った話ではないでしょう。
早稲田を六年かけて卒業し、一発屋と言われた時期も乗り越え、いまは子どもたちの学びを支えておられる。
――その歩みそのものが、「続けることの強さ」を教えてくれます。
そして最後にひとつ。
小島さんが英語を学ばれたのは三十四歳のときでした。
――思い立ったときが、いちばん若いのです。
「もう遅い」と思ったその日が、これから先でいちばん早い日なのですから。
千里の道も一歩から。Just do it!!

