【イモトアヤコ】実家は鳥取!?父は娘が芸人だと知らなかった

イモトアヤコの実家 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、イモトアヤコ殿:鳥取を出た十八の日と、画面を見て絶句された父君のことについて、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1986年1月12日、鳥取県のお生まれ
  • 芸人に憧れ、18歳で単身上京される
  • 大学に通いながら、売れぬ芸人の日々を送られる
  • 2007年、21の齢で初めて珍獣ハンターの仕事に臨まれる
  • 2009年、『24時間テレビ32』のチャリティーマラソンを走られる
  • 2010年、ドラマ『99年の愛』にて役者として立たれる
  • 2017年、珍獣ハンターとして99か国目のブルガリアを訪ねられる
  • 2019年11月、結婚を発表される
  • 2023年12月17日、『日曜日の初耳学』にて父君と中継が繋がれる
  • 2026年10月3日、ドラマ『再生のウズメ』にて連続ドラマ初主演を務められる
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【実家は鳥取-18歳で単身上京された】

この御方の郷里は、鳥取県でござる。

そして、そこを出られたのが18の齢であった。

――しかも、単身でござる。

お主、十八の娘御が一人で東京へ出るというのは、どういうことか分かるか。

頼る者がおらぬ。金も無い。当てもない。

――それでも出られたのじゃ。

訳は一つ。芸人に憧れておられたゆえでござる。

そして東京での日々が、これまた地味なものであった。

――大学に通いながら、売れぬ芸人をしておられる。

お主、ここを軽く読んではならぬぞ。

学び舎に通う。稽古もする。舞台にも立つ。だが売れぬ。

――その日々が、三年ほど続いたのでござる。

そして2007年、21の齢で突如、初めての仕事が舞い込んだ

この折のことを、ご本人は「芸人として覚悟が決まった瞬間」と振り返っておられる。

では、その初仕事とは何であったか。

――珍獣ハンターでござる。

同じ2007年、この御方は初めてその仕事に臨まれた。

その中身が凄まじい。

――セーラー服の姿で、インドネシアの草原に立たれた。

――そして、コモドドラゴンと競争されたのじゃ。

お主、いま何と申された。

巨大な竜のごとき生き物と、走って競う。

――しかも、装いはセーラー服でござる。

この姿は、見ておった者たちに大きな衝撃を与え申した。

そして、そこから世界を巡る日々が始まる。

――2017年には、99か国目となるブルガリアを訪ねておられる。

十八で鳥取を出た娘御が、九十九の国を回られたのでござる。

【父君は、娘が芸人だと知らされておらなんだ】

さて、ここからが今宵の見どころでござる。

この御方は、芸人になったことを——

――ご家族に言うておられなんだ。

お主、いま何と申された。

十八で家を出て、東京で稽古をし、舞台に立ち、そして仕事を得た。

――その全てを、家に伝えておられなんだのじゃ。

では、父君はどうやってお知りになったか。

――画面を見てでござる。

娘が出た番組を、なんの心構えも無しにご覧になった。

そして絶句されたという。

お主、想像してみられよ。

茶の間で番組を見ておったら、そこに娘が映っておる。

――しかも、ただ映っておるのではない。

この御方の仕事は、珍獣ハンターでござる。

獣に追われ、草原を走り、遠い国の果てを歩き回る仕事じゃ。

――その姿が、いきなり茶の間に流れてきたのでござる。

「役者になった」でも「芸人になった」でもない。

説明が一つも無いまま、いきなりあの姿でござる。

絶句するのも道理でござろう。

ここで一つ、考えてみようぞ。

――なぜ、言わなんだのか。

十八で出た娘御が、三年ほど売れぬまま過ごしておられた。

――言えることが、無かったのではあるまいか。

「芸人をやっておる」と言うたところで、証を立てるものが無い。

仕事が無いのでござるからな。

――そして、ようやく仕事が来た。それが、あの姿であった。

お主、ここは唸るところでござるぞ。

この御方は、報せる前に結果を出しておられたのじゃ。

順序が逆に見えるが、これはこれで一つの筋でござる。

そして時は流れ、2023年12月17日。

この御方が番組の聞き手に呼ばれた折、その父君と中継が繋がれた

――絶句されたあの日から、十六年でござる。

娘の来し方を語る場に、父君が出てこられる。

――お主、これが答えでござろう。

【未来予想図-40の齢で連続ドラマ初主演が来た】

ここまでを、一度まとめておこう。

――イモトアヤコ殿の実家は鳥取県にある。

芸人に憧れて18歳で単身上京し、大学に通いながら売れぬ日々を過ごされた。

21の齢で初めての仕事が来て、覚悟が決まった。

その仕事は珍獣ハンターであり、父君はそれを知らされぬまま画面で見て絶句された。

さて、それから先のこの御方の歩みが、また凄まじい。

2009年にはチャリティーマラソンを走られた。

2010年には役者としても立たれておる。演技の覚えが無いこの御方を主役の妻役に据えたのは、その作の監督であった。

そして2026年10月3日、連続ドラマ初主演が来る。

『再生のウズメ』という作でござる。

演じられるのは田村ウズメという、40の女性じゃ。

――子役から劇団へ進み、28の春に役者をやめて実家の部屋に引きこもる。

――そのまま十二年が過ぎ、40になって、ようやくまた動き出す。

お主、この役どころをどう見る。

ここからは吾輩の見立てでござる。

この御方は、言葉より先に、外へ出る型とみる。

考えてもみられよ。

十八で家を出た。だが、何をしに行くかは言わなんだ。

――出てから、やった。そして画面に映った。

百二十キロを走る時も、山に登る時も、同じでござろう。

「やります」と言うて回るのではのうて、先に出てしまわれるのじゃ。

そして、そういう御方が四十を迎え、十二年こもっておった女性の役を演じられる。

――出続けてきた者が、出られなんだ者を演じる。

これは面白い巡り合わせでござるぞ。

父君が絶句されたあの日から、この御方はずっと外に居られた。

――だからこそ、部屋の中の重さも分かるのではあるまいか。

この先もこの御方は、言う前に動かれるとみる。

――鳥取を出た十八の日から、それは変わっておらぬ。

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

カレントボディ公式サイト

【実家は鳥取!?父は娘が芸人だと知らなかったについてのまとめ】

今回はイモトアヤコ殿について調査してみた!

実家は鳥取県。芸人に憧れて18歳で単身上京し、大学に通いながら売れぬ芸人の日々を送られた。

21の齢で突如、初めての仕事が舞い込む。ご本人はこれを「芸人として覚悟が決まった瞬間」と振り返っておられる。

その仕事が珍獣ハンターであった。2007年、セーラー服の姿でインドネシアの草原に立ち、コモドドラゴンと競争された。

だがこの御方は、芸人になったことをご家族に言うておられなんだ。父君は娘の出た番組を見て絶句されたという。

2023年12月、番組で来し方を語る場に、その父君との中継が繋がれた。そして2026年10月、40の齢で連続ドラマ初主演を迎えられる。

吾輩はイモトアヤコ殿に対して、言う前に動き、動いてから知らせる御方、と思ったんだがお主はイモトアヤコ殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

オリコンニュース(イモトアヤコ、21歳で“芸人として覚悟が決まった瞬間”

お笑いナタリー(コモドドラゴンとの競争から約10年…イモトの軌跡を振り返る「イッテQ」SP・2017年2月3日)

WEBザテレビジョン(イモトアヤコが連ドラ初主演「誰かを照らせる存在になれたら」<再生のウズメ>・2026年9月1日)

オリコンニュース(イモトアヤコのプロフィール)

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