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巷に騒がれる、イモトアヤコ殿:父上は画面で知った!?三つの部で主将について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
1986年1月12日:鳥取県西伯郡岸本町(現・西伯郡伯耆町)にて生誕。
2003年:鳥取県立米子西高等学校在学中、学校祭ミスコンテストグランプリ獲得。同時に劇の主演女優賞やエンターテイナー賞など受賞。
2004年:文教大学情報学部広報学科進学。ワタナベコメディスクール3期生入学。
2007年:『世界の果てまでイッテQ!』珍獣ハンターオーディション合格。
2008年:文教大学情報学部広報学科卒業。
2009年:『24時間テレビ32』チャリティーマラソンランナー126.585 km完走。
2010年:ドラマ『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』出演、役者デビュー。
2013年:『イッテQ!』企画で世界8位高峰・マナスル登頂に成功。
2016年:ドラマ『家売るオンナ』出演。
2018年:安室奈美恵との対面を果たす。
2019年:『イッテQ!』緊急生放送、石﨑史郎ディレクターとの結婚発表。
2021年:『イッテQ!』妊娠6ヶ月であることを発表。産休入り発表。
2022年:『イッテQ!』新春スペシャル、第1子となる男児出産発表。仕事復帰。
2023年:ドラマ『マイ・セカンド・アオハル』出演。
【三つの部で主将を務めた学生時代】

イモトアヤコ殿は1986年1月12日の生まれ、鳥取県の出にござる。二人姉妹の姉であられる。
この御仁の学生時代を並べてみると、ある形がはっきり浮かんでくる。
小学校ではバレーボール部の主将。中学では陸上部に入り、そのうえ生徒会の副会長。高校ではハンドボール部の主将でござる。
つまり行く先々で人の上に立たされてきたということじゃ。
もっとも、高校の主将については本人が申されておる。先生から強く指名されて就いたのだ、と。望んで前に出たのではなく、周りが放っておかなんだのでござろうな。
運動の腕も本物でござる。中学の陸上部では、皆生の海まで自転車で行き、砂浜で腿上げの走り込みをしておられた。
そして中学3年の2000年、鳥取県の大会の100メートル走にて6位。県で六番に入るというのは、なかなかできることではない。
この足腰が、のちに世界の果てを駆け回る土台になったわけじゃ。
そして2003年、高校3年の学校祭で人生が動く。
ミスコンテストで頂点に立ち、同時に劇の主演女優賞やエンターテイナー賞まで受けられたのじゃ。その折に見せたのが氣志團の物真似であったというのが、実にこの御仁らしい。
美しさを競う催しで物真似をして、しかも同性の支持を集める。ここに、のちの芸の形がもう出ておるのう。
子の頃になりたかったのは、教育の番組で歌うお姉さんであったという。人前で何かを見せる仕事に、早くから憧れておられたわけじゃ。
中学の頃には、当時人気の歌う組の追加の審査にも応募しておられる。だが書類の審査で落選。そこで終わらなんだからこそ、いまがあるのでござろう。
【父上は画面を見て初めて知った】

大学は早稲田大学も受けられたが、不合格。これをご本人が隠さず公にしておられるのが良いのう。
2004年に文教大学情報学部広報学科へ進み、大学2年の折にワタナベコメディスクールへ入られた。
この頃は組を作って舞台に立っておられたが、2006年のM-1グランプリでは一回戦で敗退。本人曰く、あまりに滑って焦り、苦し紛れの落ちで終わったのだそうな。
大学では映像の研究室に所属し、番組作りの実習に取り組んでおられた。目指しておられたのは演出家。芸能の道へ進んでおらねば、番組の助手をしておったであろうとも語っておられる。
実際に学生の頃、その助手の仕事を経験しておられる。そこで、当時の人気の歌い手のための企画で食べ物を探しに行かされるなどの雑用をこなし、画面に立つ側と自分との隔たりを思い知られたという。その悔しさが、かえって芸能への思いを強めたのだそうな。
そして2007年、『世界の果てまでイッテQ!』の審査に合格。珍獣ハンターとして世界を回る日々が始まる。
さて、ここからがこの記事の一番の見どころでござる。
イモトアヤコ殿は、芸人になったことをご家族に言うておられなんだ。
では父上はどうやって知られたか。
画面の中で、娘がコモドドラゴンに追いかけられておるのを見てでござる。
巨大な竜のような生き物に追われる娘が、いきなり茶の間に映る。何の心構えも無しにこれを見せられた父上の驚きたるや、想像を絶するのう。
当然ながら心配され、「鳥取に帰って来い」と叱られたという。芸人になることには元々反対しておられたのじゃ。
だが後になって、ご両親はこの生業を受け入れられた。そしていまでは娘の載った雑誌の切り抜きを集めておられるそうな。良い話でござろう。
名を片仮名にしたのは、分かりやすさのためだと語っておられる。難しい字を並べるより、覚えてもらう方を選ばれたということじゃ。
話す言葉にも故郷が出ておる。番組では鳥取の言葉で喋られることがあるという。遠い国の果てまで行っても、口から出るのは生まれた土地の言葉でござる。
【未来予想図-山にも登る珍獣ハンター】

さて、イモトアヤコ殿の現在(いま)である。
この御仁のやってきたことを数で並べると、もはや芸人の枠を超えておる。
2009年8月、『24時間テレビ』の走り手に選ばれ、126.585キロを完走された。
そして2013年10月2日には、番組の企画により世界で8番目に高い山、マナスルの登頂に成功しておられる。
百二十六キロを走り、八千メートル級の山に登る。小学校でバレーボール部の主将をしておった娘が、ここまで来られたのじゃ。
芝居の場にも立っておられる。2010年には俳優として作に出られ、2016年の『家売るオンナ』では看板である太い眉を封じて新人の営業として演じられた。
商売道具を自ら外して役に臨む。腹の据わり方が知れよう。
私事の一面も愛らしい。歯並びを気にしておられて、三十九万円かけて歯を整えられたという。
また、胸の下着についても面白い話がある。三十になって初めてきちんとした店を訪ね、それまで思うておった寸法とは違うと店の者に指摘されたそうな。何事も、思い込みは当てにならぬということでござるな。
東日本大震災の起きて間もない頃には、月に一度の休みの日に自ら車を出して被災した地へ手伝いに行っておられたという。後輩の語ったところによる。人柄が出ておる話でござろう。
三つの部で主将を務め、県の大会で六位に入り、百二十六キロを走り、八千メートルの山に登った。この先どこまで行かれるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
家族の話も一つ。父上は公務に就いておられ、母上は保育の仕事をしておられる。二人姉妹の姉であられる。
帰省する折には、妹御が地元のパン屋で「割れパン」を買うて待っていてくださるそうな。世界を駆け回る御仁が、実家で待っておるのは割れたパン。良い話でござろう。
後輩との縁も深い。事務所の後輩とは公私ともに親しく、声も顔の造りも似ておると言われるほど。その後輩が結婚された折には、婚姻の届けの証人を務めておられる。
『イッテQ!』で共に出ておられる手越祐也殿とも仲が良いという。泉ピン子殿は一押しの芸人としてこの御仁の名を挙げ、萩本欽一殿も番組で気に入っておることを公言しておられる。
先達から可愛がられる者は、たいてい礼を欠かさぬ者でござる。月に一度の休みに被災した地へ通うておられたという話とも、よう繋がるのう。
十七の頃に学校祭で物真似をして笑いを取った娘が、いまや世界の果てを駆け、山に登り、芝居まで務めておられる。笑われることを恐れなんだ者だけが行ける場所でござろう。
身の丈は158センチ。決して大柄ではない。その体で百二十六キロを走り、八千メートルの山に登られたのでござる。
航空会社の上級の会員でもあられたという。世界を回る仕事ゆえ、飛ぶ距離も並ではなかったということじゃ。
【父上は画面で知った!?三つの部で主将についてのまとめ】
今回はイモトアヤコ殿について調査してみた!
吾輩はイモトアヤコ殿に対して、行く先々で主将を務め、山にまで登ってしまった世界旅人、と思ったんだがお主はイモトアヤコ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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