巷に騒がれる、黒木華殿:帰る場所があるという安心感と述べておられる。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1990年3月14日、大阪府高槻市のお生まれ
- 幼き頃より、親に連れられ映画や芝居を観て育たれる
- 演劇部で知られる高校に進まれる
- 2010年9月、NODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』に立って世に出られる
- 20歳の折、大阪から東京へ出られる
- 2014年1月24日、映画『小さいおうち』の取材に答えられる
- 2014年、『小さいおうち』にて第64回ベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受けられる
- 2018年7月20日、映画『未来のミライ』の初日舞台あいさつにて家族について語られる
- 2026年7月、初の著書『はるの献立日記』を出される
【黒木華の実家は、大阪府高槻市にある】
黒木華殿の実家は、大阪府高槻市にござる。
1990年3月14日のお生まれで、家にはご両親と弟御がおられた。
その家の食卓を、2026年7月に出された初の著書『はるの献立日記』にこう書いておられる。
「私と弟、よく食べる子どもが2人いて、しかもお酒を飲む家だったので、本当に次から次へと料理が出てきます。メインのおかずも肉だけ、魚だけ、ではなくて肉も魚も両方出てくることが普通でした」
――肉か魚か、ではない。両方でござる。
そして、この家がなかなか面白い。
ご両親が揃って、大の映画好きなのじゃ。
「(両親ともに)映画がすごい好きで、おうちでよく見ていたんです。子供のころは、ジャッキー・チェンさんの映画がすごい好きで家族で見ていました」
2020年10月に載った、映画『浅田家!』の取材での言葉でござる。
観るだけでは終わらぬ。2014年1月24日に載った映画『小さいおうち』の取材では、こう語っておられる。
「小さい頃から、弟と一緒に両親に連れられて地元のお芝居とか参加したりしていて、その頃からお芝居は好きでした」
――子を芝居の場へ連れて行く親でござる。
そして高校を選ぶ折の話が、こう続く。
「やりたいことをやればいいという親で、近くの高校の演劇部が有名だったので、そこにいくことにしました」
――「やりたいことをやればいい」。
この一言でござる。
お主、考えてもみられよ。
高校を選ぶ折に、演劇部の名で選ぶ子がおる。
そしてそれを、止めぬ親がおる。
――止める親のほうが、世には多かろう。
芝居で食える者が、どれほどおるか。
親であれば、まずそこを案ずる。
だがこの家で出たのは、別の言葉でござった。
高校の頃は幼稚園の先生を志しておられ、芝居を仕事にと思い定めたのは後のこと。その道について、ご両親はこう言われたという。
「自分の人生だし、女の子なんだから結婚すればいいことなんだし」
そう言うてもろうたことが「すごく大きくて、だからこそ今こうしていられるんだと思います」と、振り返っておられる。
――行き詰まっても道はある、ゆえに好きにせよ。そういう送り出し方でござる。
ご両親は娘の出た作を全部観てくれている、とも語っておられる。
「私がそういうことをあまり伝えないので、自分で調べて見つけて『言わないんだもん』ってよく言われます(笑)」
――そこが、この家の色でござろう。
そして同じ取材で、こうも述べておられる。
「両親が喜んでくれるのが何よりもうれしいです。両親のこと好きですし、自分の好きなことをさせてくれて本当に感謝しています」
――「両親のこと好きですし」。
二十三の娘が、取材で臆せずこう言われる。
ここに、この家の在り方が出ておる。
巷では実家について様々に語られておるが、
――吾輩が辿れたのは、金子の話ではござらぬ。
好きなことをさせてもろうた、という話でござる。
【土日は母の「ティータイムよ!」】
黒木華殿が実家を語る折、まず出てくるのは母上の台所でござる。
「私の中での母の記憶は、いつもキッチンに立って、ずっと料理を作っている姿です」
先の著書の一節じゃ。学校の無い土日には、こんな習いがあったという。
「母が『ティータイムよ!』といって、紅茶やコーヒーを淹れてくれました。母が作ってくれたケーキやプリンをほおばりながら、家族で色々な話をすることが何よりの休日の楽しみでした」
――ケーキもプリンも、母上の手作りでござる。
夕餉の支度に、家族みなが加わる日もあった。2026年7月31日に載った取材でこう語っておられる。
「餃子は家族みんなで母の作った餡を包んで食べるのが恒例行事。飲みながらおしゃべりしながら作る時間は、家族との楽しいコミュニケーションの場になっていました」
12歳の折には、「特技をお母さんに披露して見返したい」と『探偵!ナイトスクープ』に出られた話もある。併せて読まれよ。
共に食卓を囲んだ弟御のことは、2021年10月に載った取材で語っておられる。
「小さい頃はそれほど仲良しではなかったですが、大人になってお互い腹を割って色々な話が出来るようになり、今はとても心強い味方だと思っています」
「うちは弟の方がしっかりしているので」とも添えておられた。
【帰ると、好きなものを作って待っておられる】
さて、その子は20歳で家を出られる。
大阪から東京へでござる。
2010年9月、舞台『表に出ろいっ!』に立って世に出られた。
そして八年が経った2018年7月20日。
映画『未来のミライ』の初日の舞台あいさつにて、家族について問われた。
その答えが、実に良い。
「『今日は何が食べたい?』『今日は華の好きなもの作って待っているね』といった会話があると、普段は信頼して放っておいてくれるけど、帰る場所があるという安心感を与えてくれる、そんな親の強さに『ありがとう』って思います」
――お読みになったか。
帰る前に、そう言うてくださるのじゃ。
そしてこの御方が挙げたのは、その言葉だけではない。
ここが肝要でござる。
常に構うのではない。
普段は放っておいて、帰る折には待っておられる。
――この加減が、難しいのでござるよ。
案じるあまり口を出せば、子は帰りにくうなる。
放りっぱなしであれば、帰る場所にならぬ。
そのどちらでもない。
そしてこの御方は、それを「親の強さ」と呼んでおられる。
――優しさ、ではござらぬ。
強さ、でござる。
口を出さずに待つのは、案ずるより余程骨が折れる。
それを分かっておられるゆえの言葉でござろう。
そしてもう一つ、吾輩が気に入った所がござる。
――「華の好きなもの」でござる。
娘が何を好むかを、離れて暮らしてなお覚えておられる。
毎日会うておれば、覚えるのは易い。
だが離れて暮らす子の好みを、外さずに用意する。
――これは、日頃から思うておらねばできぬことじゃ。
その「好きなもの」の一つを、2026年8月に載った取材で明かしておられる。だしと卵だけで作る、具の無い茶碗蒸しでござる。
「蒸すと表面がぶくぶくと泡立つので、子どもの頃から『ぶくぶく』と呼んでいます。ご飯にかけてもおいしくて、実家へ帰るたびに『つくって』と母にお願いしています」
帰る場所は、電話の向こうにもあった。上京して1年が過ぎた頃、仕事にも暮らしにも慣れず「これからどうやって生きていけばいいんだろう」と悩み、母上に打ち明けられた。返ってきたのがこの言葉じゃ。
「死なないから大丈夫」「何かあったら帰ってくればいいんだから」
2020年10月の取材でも「(気持ちが)へこんだ時に一番に電話をするのは母ですし、父ですし、自分の心のよりどころだと、いつも思います」と語っておられる。
2014年には映画『小さいおうち』でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受けられた。
23歳の折でござる。
その頃も、帰れば同じ言葉が待っておったのでござろうな。
【未来予想図-背を押された者は遠くまで行ける】
吾輩は、この御方の来し方を並べてみて思うたことがある。
――止められた覚えが、無いのでござる。
芝居に連れて行かれ、演劇部の高校を選び、20歳で家を出る。
その節々で、親は「やりたいことをやればいい」と言うておられた。
――そして今も、帰れば好きなものを作って待っておられる。
ここで、桜井ユキ殿の家と並べてみようぞ。
あちらは、逆でござった。
――小学6年で親に黙って事務所の面接を受け、叱られておられる。
反対された者と、連れて行かれた者。
だが面白いことに、二人とも同じ場所に立っておられる。
――どちらの家でも、役者は育つのでござる。
ただ、道の付き方は違う。
桜井ユキ殿は二十四で世に出られ、黒木華殿は二十で舞台に立たれた。
――四年の差は、家の後押しの差でござろう。
むろん、早ければ良いという話ではござらぬ。
ここからは吾輩の見立てでござる。
黒木華殿の芝居に癖の無さがあるのは、この家ゆえとみる。
――守るものも、覆すものも、抱えておられぬのじゃ。
反対された者は、その反対を燃料にする。
だが燃料には、いつか底が来る。
背を押された者には、そもそも燃やすものが要らぬ。
――だから長く、静かに続けられる。
そしてこの御方は、これから先も役の幅を広げてゆかれよう。
帰る場所がある者は、遠くまで出て行けるゆえでござる。
遠くまで行ける者は、帰る場所を持っておる。踏み出す勇気は、退がれる安心から出るゆえ
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は高槻!?おかずは肉も魚も両方出るのが普通についてのまとめ】
今回は黒木華殿について調査してみた!
一つ。黒木華殿の実家は大阪府高槻市にあり、ご両親と弟御のおられる家に育たれた。
二つ。その食卓は「肉も魚も両方出てくることが普通でした」と著書に書いておられる。
三つ。映画好きのご両親に、弟御と共に地元の芝居へ連れられ、「やりたいことをやればいいという親」であったと語っておられる。
四つ。上京して悩んだ折、母上は電話で「死なないから大丈夫」「何かあったら帰ってくればいいんだから」と言われた。
五つ。帰る折は「今日は華の好きなもの作って待っているね」と待っておられ、それを「そんな親の強さに『ありがとう』って思います」と述べておられる。
吾輩は黒木華殿に対して、帰る場所を持っておられる御方、と思ったんだがお主は黒木華殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
エンタメOVO/TVfan(黒木華「親の強さに『ありがとう』って…」“家族愛”を感じる瞬間は実家に帰った時・2018年7月21日/映画『未来のミライ』初日舞台あいさつ)
マイナビニュース(女優・黒木華を開花させた、両親の教育法と松たか子との出会い「好きなことをさせてくれた」-映画『小さいおうち』・2014年1月24日)
FRaU/現代ビジネス(黒木華が今だから分かった、母が二度と再現できなかった「明太子パスタ」の理由・2026年7月31日/著書『はるの献立日記』の抜粋を含む)
FRaU/現代ビジネス(プライベートを多く語らない黒木華が明かした「上京当時、悩んでいた私を救った母の言葉」・2026年7月31日)
ESSEonline(俳優・黒木華さんを育てた「母の食卓」。帰省のたびにリクエストする“とっておきの卵料理”も・2026年8月24日)
テレ東プラス(黒木華、しっかり者の弟は「今はとても心強い味方」:僕の姉ちゃん・2021年10月15日)
中日スポーツ(黒木華の家族は大の映画好きで仲良し「浅田家と似ている」【『浅田家!』インタビュー⑤】・2020年10月10日)
マイナビニュース(黒木華、『探偵!ナイトスクープ』出演の過去「お母さんを見返したい」・2019年7月12日)
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