巷に騒がれる、堺雅人殿:半沢直樹は歴代1位!?微笑みの俳優が歩んだ道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1973年10月14日生誕
- 初めは通商産業省の官僚を目指していたが、役者の道に進むことを決意
- 1992年:早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団「東京オレンジ」旗揚げに参加
- 2000年:テレビドラマ『オードリー』で初のレギュラー大役
- 2004年:『新選組!』の山南敬助役で広く名前が知られるようになる
- 2008年:NHK大河ドラマ『篤姫』にて徳川家定を演じる
- 2010年7月:連続ドラマ『ジョーカー 許されざる捜査官』で連続ドラマ初主演
- 2013年7月:主演ドラマ『半沢直樹』が大ヒット
- 2020年:『半沢直樹』続編放送
- 2022年末:田辺エージェンシーを退社し独立
- 2023年:主演ドラマ『VIVANT』が大ヒット
【宮崎で育ち早稲田の劇団へ】

堺雅人殿は昭和48年10月14日、兵庫県神戸市垂水区の生まれにござる。二つの歳までは神戸で過ごされたが、その後宮崎県宮崎市へ移り、高校を出るまでの人となりが形づくられる歳月をこの地で送られた。
中学では吹奏楽部、高校では演劇部。楽の道から芝居の道へ、少しずつ寄っていかれたわけじゃ。
ところが当初の志は役者ではなかった。通商産業省の官僚を目指しておられたという。しかし数学が不得手で国立の大学はことごとく落ち、早稲田大学第一文学部へ進まれた。
中国文学専修に籍を置かれたが、三年の春に中退。その代わりに何をされたかというと、平成4年、早稲田大学演劇研究会を母体とした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。
この劇団の看板役者として立ち続けられた。今も名誉団員である。学問を捨てて芝居を取った。ここが分かれ道であった。
無名の頃から声の仕事もされておる。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の白鳥麗次役は今も知られるところで、平成13年に降板されたが、ご本人は「今でも思い入れのある役」と語っておられる。
平成12年、NHKの連続テレビ小説『オードリー』にて初のレギュラーの大役を得られた。それまではドーナツ屋をはじめ数多のアルバイトで食いつないでおられたという。
そして平成16年、大河ドラマ『新選組!』の山南敬助。これで名が世に浸透した。翌年にはテレビ情報誌の「好きな男」一位に選ばれておる。
山南が切腹する第33回「友の死」は視聴者の支持が高く、平成16年末に一話のみ異例の再放送がなされた。大河でこれは、なかなか起こらぬことじゃ。
なお私事について申せば、女優の菅野美穂殿と平成25年4月2日に婚姻届を出しておられる。映画『大奥〜永遠〜』での共演が縁であったと事務所が公にしておる。ここまでは公表されておる話じゃ。
その先、お子の進学先や育て方について世間ではあれこれ語られておるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。お子は世に出ておらぬ身。憶測を並べるは武士の道に外れると心得る。
【半沢直樹、歴代1位の視聴率】

平成20年には大河『篤姫』にて徳川家定を演じられた。映画『クライマーズ・ハイ』『アフタースクール』での演技も高く評され、助演男優賞を受けておられる。
平成22年7月期、フジテレビ『ジョーカー 許されざる捜査官』にてゴールデンタイムの連続ドラマ初主演。ここから主演を任される役者となられた。
そして平成25年7月、あの『半沢直樹』が始まる。最終回の平均視聴率は関西地区45.5%で歴代1位、関東地区42.2%で歴代4位。平成以降に放送されたテレビドラマでは歴代1位の記録である。
決め台詞の「やられたらやり返す、倍返しだ!」も世に広まり、同じ年のユーキャン新語・流行語大賞にて年間大賞を受けておられる。堺殿とTBS『半沢直樹』チームの連名での受賞であった。
令和2年には続編が放送され、当たり役として定着した。原作者の池井戸潤殿は、ドラマ化の前に堺殿の映画を観て「半沢をこの人が演じたらハマるんだろうな」と思っておられたそうな。
しかし配役に口を挟まぬ主義ゆえ、その希望は出されなんだ。後日の打ち合わせで「半沢は堺に」と言われて正直に驚き、「こんな偶然もあるんだ」と語っておられる。まことに良い話じゃ。
当たり役はもう一つある。『リーガル・ハイ』の古美門研介である。毒舌で偏屈な弁護士という役どころで、二年で続編が二本作られ、堺殿にとって初の主演作シリーズ化となった。
平成28年には大河ドラマ『真田丸』の主人公・真田信繁に抜擢されておる。『新選組!』と『真田丸』、いずれも脚本は三谷幸喜殿。長い縁である。
アメリカのCNNは「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人に堺殿を挙げておる。常に微笑んでいるような独特の面差しが、この御仁の一番の武器じゃ。
【未来予想図-独立の後に】

令和4年末、堺殿は長く籍を置いた田辺エージェンシーを退社し、独立された。現在は株式会社テントに所属しておられる。
その独立の理由について、吾輩は正直に申し上げねばならぬ。ご本人が公に語られた記録は辿れなんだ。巷にはあれこれの筋書きが流れておるが、確かな出所は見つからなんだ。
さて、この御仁の素顔を伝える話には事欠かぬ。『オードリー』に出るまでは金が無く、「野菜は摂らなくてはいけない」と道端のタンポポを食べたことがあるという。
趣味は歴史小説。地理の場面が出てくると地図を出して読み進めるという凝りようじゃ。役作りの土台も、こういうところにあるのやもしれぬ。
無類の好角家でもある。大相撲にはかなり詳しく、NHKの中継に客として招かれたこともある。お気に入りの力士は、同じ九州の出である魁皇殿とのこと。
芸人トリオ・東京03の大ファンでもあり、単独ライブは第1回を除いて全て観に行っておられる。「コント史、演劇史に残ると思う」とまで力説されたそうな。
藤子・F・不二雄殿の『ドラえもん』も大好物。「タイムふろしきがあったら、芝居で若作りや老け役をする時に便利」と述べておられる。考えることがどこまでも役者である。
中学の頃からシブサワ・コウ殿の『三國志』の愛好家で、上京の折には炊飯器とスーパーファミコンを買い、最初のソフトは『信長の野望』であったという。好きな武将は「陳宮」「袁紹」の小者の類というのが、また味わい深い。
ゴスペラーズとは早稲田の時分からの友であり、彼らの舞台に役者として出たこともある。令和6年12月には、デビュー30周年を記念した映像で運転手役として共演しておられる。
独立して三年余。舞台も映像も、まだまだこれからであろう。微笑みを湛えたあの面差しを、我々はしばらく見続けることになるはずじゃ。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【半沢直樹は歴代1位!?微笑みの俳優が歩んだ道についてのまとめ】
今回は堺雅人殿について調査してみた!
吾輩は堺雅人殿に対して、微笑ましい愛妻家でその愛情は子供にも同様に注いでいる愛の戦士、と思ったんだがお主は堺雅人殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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