巷に騒がれる、鶴房汐恩殿:学歴と学生時代、そして十七で学び舎を出た決断について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 2000年12月11日、滋賀県にてお生まれになる
- 育ちは兵庫県神戸市。学び舎の日々もこの地で過ごされた
- 2017年、男子高校生の顔立ちを競う催しの関西の候補者に選ばれる
- 2018年3月、高校を中退して韓国の事務所へ移られる
- 2019年12月11日、審査の催しにて五位となり組の一員に選ばれる
【滋賀に生まれ、神戸で育った少年】

鶴房汐恩殿は2000年12月11日、滋賀県のお生まれでござる。そして育ちは兵庫県神戸市であられた。
つまり生まれた土地と育った土地が違うわけじゃな。――幼いうちに移り住む経験をした者は、新しい場に馴染む力が育つと言われておる。後に海を渡ることになるこの御仁には、この経験が効いておるのかもしれぬ。
神戸という土地についても、少し触れておこう。港のある町でな。古くから海の向こうの人や物が行き交ってきた場所じゃ。――外の世界が身近にある土地で育たれたわけじゃな。
さて、学び舎の日々のことじゃが、この御仁はご自身の幼き頃について、多くを語っておられぬ。
巷には「小中学生の頃は内気であった」などという話も流れておるが、吾輩が辿ってみたところ、確かな出所は見つからなんだ。――ゆえに、ここでは断定せぬ。
だが、確かに記録に残っておる話がひとつある。それが2017年のことじゃ。
この年、鶴房汐恩殿は男子高校生の顔立ちを競う催しの、関西の候補者に選ばれておられる。――つまり高校生の時分から、既に人目を引く御仁であられたということじゃ。
この手の催しというのは、応募の数が相当なものでな。その中から地方ごとの候補に選ばれるというだけで、なかなかの狭き門である。
そしてこの出来事が、後の歩みにつながっていったのではないかと吾輩は見ておる。――己の見た目や佇まいが人の目に留まる。その経験があれば、「この道で生きていけるかもしれぬ」と考えても不思議はなかろう。
特技として挙げておられるものにも、学び舎の頃の姿がにじんでおる。踊り、歌、そして泳ぎと腕相撲じゃ。
――泳ぎと腕相撲でござるぞ。これは、体を動かすことが好きな少年でなければ出てこぬ組み合わせよ。学び舎の日々を、机の前だけで過ごした御仁ではあるまい。
神戸という土地について、もう少し語らせてくれ。港町というのは、昔から人の出入りが多い場所じゃ。そして人の出入りが多い土地には、外へ出ていくことを厭わぬ気風が育つと言われておる。
――この御仁が十七で海を渡られたのも、案外この土地の空気と無縁ではないのかもしれぬ。もっともこれは、吾輩の勝手な見立てにすぎぬがな。
そして2017年の催しについても、もう少し触れておこう。男子高校生の顔立ちを競う催しというのは、日ノ本じゅうから応募が集まるものでな。
そこから地方ごとの候補に絞られ、さらに全国の頂を決める形になっておる。――関西の候補に選ばれたということは、既に相当な数の中から選ばれたということじゃ。
この経験が、この御仁に何をもたらしたか。――吾輩が思うに、己の可能性に気づかせたのではないか。
人に見られ、選ばれるという経験は、それまで考えもしなかった道を急に現実味のあるものに変えてしまう。――そしてその翌年、この御仁は大きな決断をされるのじゃ。
【十七で学び舎を出るという決断】

さて、ここからがこの御仁の学び舎の話の核心じゃ。
2018年3月のことでござる。高校生であったこの御仁が、大阪で遊んでおられたところを声を掛けられたのじゃ。
しかも、その誘い方が大胆であった。――デビューを約束したうえでの誘いであったという。
お主、これを聞いてどう思う。十七の少年に「必ず世に出す」と言うのじゃぞ。……心が動かぬはずがなかろう。
そしてこの御仁は、決断された。――高校を中退されたのじゃ。
十七の齢でござる。学び舎を捨てるという判断でござる。
ここで少し、この決断の重さを考えてみようではないか。
高校を中退するということは、同じ年頃の者が当たり前に持っておるものを、自ら手放すということじゃ。――卒業の証も、共に過ごす仲間も、そして「困ったら戻れる場所」も。
しかもこの御仁が向かった先は、日ノ本ですらなかった。韓国でござる。言葉も違えば、習わしも違う土地じゃ。
そこで事務所に所属し、稽古の日々が始まる。あちらでは、事務所に入った者を「練習生」と呼ぶ。そしてその日々が恐ろしく厳しいことは、よく知られておる。
朝から晩まで踊りと歌の稽古。そのうえ定期に品定めがあり、腕が上がらねば切られてしまう。――何年も稽古を積みながら、世に出られぬまま去る者が数多おると聞く。
その中を、この御仁は十か月耐えられた。そして最終の候補にまで残られたのじゃ。
――だが、デビューには至らなんだ。
2019年3月、韓国での日々が終わる。十八の齢でござった。学び舎も無く、デビューも無い。手元に残ったのは、稽古で得たものだけであった。
……お主、これは残酷でござるぞ。学び舎を辞め、海を渡り、十か月耐えて、そして最後の一歩で届かなんだのじゃ。
ここで、高校を中退するということについてもう少し丁寧に考えてみようではないか。
学び舎を辞めるという判断は、十七の少年が一人でできるものではない。周りの者と話し合い、反対もされ、それでも押し通したはずじゃ。――そこには、相当な覚悟があったであろう。
そして向かった先が、言葉の通じぬ土地でござる。稽古の指示すら、まずは言葉から分からねばならぬ。――踊りを覚える前に、言葉を覚えねばならぬのじゃ。
そのうえ、練習生というのは先の見えぬ立場でな。いつ世に出られるのか、そもそも出られるのかすら分からぬまま日々が過ぎていく。
――この「終わりが見えぬ」というのが、何より心を削るのでござる。試験であれば日取りが決まっておる。だが練習生の日々には、それが無い。
その中を十か月耐え、最終の候補にまで残られた。――腕前は、確かに認められておったのじゃ。
だが、この世界では腕だけでは決まらぬことがある。組の形、売り方、時期。そういうものが噛み合わねば、扉は開かぬのでござる。
そして2019年3月、韓国での日々が終わる。――十八の齢で、学び舎も無く、世に出る道も無い。その心中を思うと、吾輩は言葉が出ぬわ。
【未来予想図-学び舎の外で得たもの】

さて、ここからが面白いところじゃ。
普通ならば、ここで一度休むところでござろう。十か月を注ぎ込んで届かなんだのじゃ。心も体も、疲れ切っておったはずである。
ところがこの御仁は、半年後には次の場に立っておられた。
2019年3月に韓国での活動を終え、同じ年の9月には審査の催しに参加しておられる。――半年でござるぞ。休んでおる暇など無かったのでござろう。
そしてこの催しにおいて、この御仁には他の者に無いものがあった。――韓国での十か月じゃ。
あちらの厳しい稽古を耐え、最終の候補まで残った御仁である。腕前は、既に出来上がっておったのでござる。
そして2019年12月11日、最終の日が来る。順位が発表され、この御仁の名が呼ばれたのが――五位であった。
そしてこの日は、この御仁の十九の誕生日であられた。順位が発表された後の挨拶で、こう述べられておる。「皆さん素敵な誕生日プレゼントありがとうございます」と。
……お主ら、これは泣ける話でござるぞ。一年前は、海の向こうでデビューを逃しておった御仁じゃ。その御仁が、誕生日に選ばれるのでござる。
さて、学び舎の話に戻ろう。この御仁は高校を出ておられぬ。――では、それが不利になったであろうか。
吾輩は、そうは思わぬ。
たしかに学び舎を出ることには、意味がある。だがこの御仁は、学び舎の外で学び舎では決して学べぬものを身につけてこられた。
言葉の通じぬ土地で暮らす力。終わりの見えぬ稽古に耐える力。そして――届かなんだ後に、もう一度立ち上がる力じゃ。
――これらは、教室では教えてもらえぬ。
そしてもうひとつ。韓国で共に稽古を積んだ御仁とは、いまも連絡を取り合っておられるという。あの十か月は、縁まで残してくれたのでござる。
未来予想図を描くとするならば、この御仁はこれからも己で決めて歩いていかれるであろう。
学び舎を出ることも、海を渡ることも、帰ってきて審査を受けることも、全て己で決めてこられた御仁じゃ。――誰かに言われて動いたのではないのでござる。
十七で学び舎を出た少年が、いまや己の名で歌を世に出しておる。――その道のりを思えば、学歴という言葉の重みなど、存外に軽いものかもしれぬな。
さて、この御仁が催しで五位に選ばれた話をもう少し掘っておこう。
この催しは、百人を超える者が集まり、そこから十一人だけが選ばれるという厳しいものであった。――百人から十一人でござるぞ。
しかも課題ごとに組を作って競い、そのたびに順位が付く。見る者の投票も入るゆえ、腕だけでなく人となりまで見られる場じゃ。
その中で五位まで進まれた。――韓国で積んだものが、そのまま効いたということであろう。
つまりこういうことじゃ。高校を辞めた判断も、海を渡った十か月も、何ひとつ無駄になっておらなんだのじゃ。
――届かなんだ経験が、次の場で武器に変わる。こういうことが、世の中にはあるのでござる。
学び舎の話として、最後にひとつ申しておこう。世間では「学歴が無ければ苦労する」とよく言われる。――たしかに、そういう場面もあろう。
だがこの御仁の歩みを見ておると、大事なのは学歴そのものではなく、何かを最後までやり切った経験があるかどうかのように思えてならぬ。
この御仁は、学び舎こそ途中で出られた。だが韓国での十か月は、最後までやり切っておられる。そして帰国してからの催しも、最後まで戦い抜かれた。――やり切る力は、確かに持っておられるのじゃ。
お主のお子が、もし似たような決断をしようとしたら、どう声を掛けるであろうな。――難しい問いじゃ。だが、この御仁の歩みはひとつの答えを見せてくれておると吾輩は思うのじゃ。
【学歴と学生時代!?十七で学び舎を出た決断についてのまとめ】
今回は鶴房汐恩殿について調査してみた!
吾輩は鶴房汐恩殿に対して、十七で学び舎を出る決断をし、己の足で道を作った若武者、と思ったんだがお主は鶴房汐恩殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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