巷に騒がれる、河野純喜殿:「声がデカすぎて審判からイエローカード出された」。奈良で育った河野純喜殿の実家の話。サッカーの試合で叱られた父の応援、親に言わずに応募したオーディション、恋しいお母さんのコロッケ、法隆寺の近くのグラウンドまで、家族と故郷の素顔について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年1月20日、奈良県のお生まれ
- 小学1年でサッカーを始める
- 中学から大学まで、奈良の法隆寺FCに所属する
- 高校3年で理系から文系へ転じ、大学受験に臨む
- 2019年5月31日、楽天の内定を得たまま、親に言わずに『PRODUCE 101 JAPAN』へ応募する
- 2019年、同番組の投票でJO1のメンバーに選ばれる
- 2020年3月、JO1としてデビューする
- 2022年6月、『人志松本の酒のツマミになる話』で父のイエローカードの話を明かす
- 2026年、地元・奈良国立博物館の特別展「南都仏画」で音声ガイドナビゲーターを務める
【河野純喜の実家-声が大きすぎる奈良の父】
河野純喜殿の実家は、奈良県にある。JO1の公式の名簿にも、出身は奈良県と載っておる。では、どんな家で育ったのか。本人が番組や誌面で語ってきた家族の顔は、まず声の大きな父、そしてコロッケの母でござる。
父の話が飛び出したのは、2022年6月10日放送の『人志松本の酒のツマミになる話』でのこと。「親がテレビ出演するのはOKですか?」という話題になり、本人はこう答えた。「(両親とも)無しですね。特に父がめちゃくちゃ声がデカいんですよ」
その訳が、なんとも可笑しい。「小学生の頃からサッカーやってた。父が試合を観に来て応援してくれてたんですけど、声がデカすぎて審判からイエローカード出されたんです」
――選手ではなく、客席の父にイエローカード。
驚く共演者たちに、本人は続けた。「『これ以上、ちょっと静かにしてもらっていいですか?』って父親にイエローカードが出て…。テレビ出てイエローカードもらったらちょっとキツいな」。父との共演を断る理由は、声の大きさであったわけじゃ。
サッカーは、本人にとって幼き日の真ん中にあった。「プロサッカー選手になりたいな、と思っていました。」と振り返り、ブラジル代表のロナウジーニョ選手に憧れておったという。中学から大学までは地元の法隆寺FCに入っておった。「中学時代から大学時代まで、サッカーの法隆寺FCに所属し、法隆寺の近くのグラウンドで練習していました。」
楽しいことばかりではない。中学では「中学のときはすごく厳しいサッカーチームに入っていたのですが、チームが強くて僕は試合に出られなくて。」。それでも最後までやり切り、今では「その苦い思い出も今思い返すとすごく“美しいな”と思います。」と語る。
お主、息子の試合で審判に止められるほど叫ぶ父。その熱が、試合に出られぬ日にも折れずに蹴り続けた息子の土台にあったのかもしれぬな。
【河野純喜の実家-親に言わずに応募した日】
母の話は、食べ物から見えてくる。雑誌『ViVi』で「手料理なら?」と問われ、本人の答えはコロッケ。「お母さんのコロッケ、めっちゃ恋しいですね。」。東京で走り回る身になっても、思い出す味は奈良の台所にあるのじゃ。
そしてもう一つ、家族の話で外せぬのが、オーディションに応募した日のこと。本人は大学4年の頃、ふつうに就職活動をしておった。「普通の大学生で、就職活動が6月1日から始まるんですけど、前日5月31日がオーディションの締め切り日だった」
しかも、すでに大手企業の内定を得ておった。2024年の番組では、こう明かしておる。「(楽天の)内定いただきながらもオーディション応募してて、それは親には言わずにやってて、本当に101人に残っちゃってオーディションで韓国に1か月行くよみたいな」
――親に黙って応募し、101人に残ってから打ち明けた。
親の心中を察する声が上がると、本人は神妙な顔つきで当時を振り返った。「でも就活してても身に入らなかったというか、『自分がやりたい事って何やろ?』みたいな。」。小さい頃から受けては落ちたオーディションを思い、「本当に最後の最後のチャンスで」と挑んだのでござる。
歌が好きなのは、幼き頃から変わらぬ。「歌うことはずっと好きで、道端でずーっと歌っているような子供でした」。2026年のABEMAの番組『CELEB SECRET』では、高校時代から歌手を志しながら親に言えず葛藤しておった過去を明かしたと伝えられておる。
高校では理系のクラスから文系へ移っておる。「やりたいことと得意なこと、どちらを選ぶかすごく悩みました。」。得意な道とやりたい道の間で迷う癖は、歌の夢を胸にしまったまま就職活動を進めた大学の頃にも、そのまま続いておったのであろう。
内定は辞退した。「オーディションに落ちたとしても、今まで逃げてきた夢に納得するまで向き合いたいと思って、内定を辞退しました」。親に言えなかった夢を、最後は自分の足で親の前に差し出したのじゃ。
【未来予想図-故郷の奈良を応援する側へ回る御方】
奈良は、本人にとって遊び場でもあった。「学生の頃は奈良の大仏(盧舎那仏)を友達と一緒に見たり、鹿と遊んだりしていたので、かなり思い入れがあります。毎年、春日大社にも初詣に行っていました。」。地元の信貴山についても「地元の信貴山は楽しいです。」と挙げておる。
故郷の自慢を問われた答えがまた面白い。「良い意味で何もないところが僕は好きです。」。歴史も、ラーメンの旨い店もたくさんあるのに、それを上回るほど自然が豊かで、最後は「なにもなし」と言いたくなる。そこが素敵だというのじゃ。
さて、ここまでを一度まとめておこうぞ。
――河野純喜殿の実家は奈良県。父は声が大きすぎて審判にイエローカードを出された応援団長。
母の味はコロッケ。オーディションは親に言わずに応募し、101人に残ってから打ち明けた。
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、これから故郷の奈良を応援する側へ回っていく御方だとみる。
根拠は、2026年に奈良国立博物館の特別展で音声ガイドナビゲーターを任された折の言葉にござる。「いつか故郷・奈良県を応援できるようなことをしたいとずっと考えていました。」。客席から叫んでくれた父のように、今度は自分が故郷に声を送る番だと考えておるのであろう。
ゆえに吾輩はこうみる。
これからも河野殿は、JO1の歌い手として東京や海の向こうで声を張りながら、折にふれて奈良の仕事を引き受けてゆくであろう。そしていつか、父の大声に負けぬ声援を、故郷の側から浴びる日が来るに違いない。
父の大声を背に、親に言えなかった夢を掴んだ奈良の御方
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は奈良!?父の応援にイエローカードについてのまとめ】
今回は河野純喜殿について調査してみた!
一つ。実家は奈良県。
二つ。父は応援の声が大きすぎて審判からイエローカードを出された。
三つ。母の手料理で恋しいのはコロッケ。
四つ。オーディションは楽天の内定を得たまま、親に言わずに応募した。
五つ。中学から大学まで法隆寺FCでサッカーに打ち込んだ。
吾輩は河野純喜殿に対して、父の大声を背に、親に言えなかった夢を掴んだ奈良の御方、と思ったんだがお主は河野純喜殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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