【しずちゃん】30万を半年で貯め!?6部門で特待生

しずちゃんの 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、しずちゃん殿:劇団に入る銭を自ら貯められた話と、絵の腕で認められた話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【しずちゃん:略歴】

  • 1979年2月4日のお生まれ。大阪府茨木市で育たれる
  • 中学では陸上部、高校では女子のサッカー部に籍を置かれた
  • 幼き頃より数々の選考に応じるも、書類にて落とされ続けられる
  • 短期の大学を出た後、劇団ひまわりの研究生となられる
  • 1999年、同級の者と二人組を組まれる
  • 2003年、いまの相方と二人組を結成される
  • 2006年、映画『フラガール』にて女優として世に出られる
  • 2007年、日本アカデミー賞にて新人俳優賞を受けられる
  • 同年、拳の競技を始められる
  • 2009年、拳の競技の免許を取得される
  • 2012年、全日本の大会にて優勝し、世界の大会の代表となられる
  • 2020年より、拳の競技の団体にて強化と普及の委員を務められる
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【しずちゃん:落ち続けた娘であった】

巷でしずちゃん殿と申せば、二人組の片割れとして知られる御仁じゃ。

だがお主、この御仁がこの道に入るまでに何度断られてきたか存じておるか。

1979年2月4日のお生まれ。大阪府茨木市で育たれた御仁でござる。

――ちなみに生まれた折の目方は五千グラムであったとか。

中学では陸上部、高校では女子のサッカー部に籍を置かれた。

――体を使うことは、幼き頃から得意であられたのじゃ。

とりわけ砲丸投げでは、いまなお相当な腕をお持ちだという。

そして幼き頃から、この御仁は芸の道に強く憧れておられた。

美少女コンテストにも、

歌い踊るグループの選考にも、

――数々の選考に応じられた。

だが、その全てが同じ結果に終わる。

――書類の審査で、落とされ続けたのじゃ。

お主、想像してみよ。

出しても、出しても、顔を見てもらう前に落とされる。

――これほど堪えることがあろうか。

そのまま道は開けぬまま、この御仁は短期の大学へ進まれた。

在学中には、行く末への不安からくすぶっておった時期もあるという。

――そうでござろうな。

この御仁の体の話も、少し添えておこうかのう。

そしてこの体を、この御仁は活かしてこられた。

陸上部で砲丸を投げ、

サッカー部で走り、

――足も速く、粘りもあるという。

後に拳の競技で世界の大会まで行かれたのも、

この体があればこそでござろう。

だが幼き頃のこの御仁は、

歌い踊る娘御に憧れておられた。

――そして落とされ続けたのじゃ。

自分の持っておるものと、自分の憧れておるものが違う。

――これほど苦しいことがあろうか。

【しずちゃん:三十万を半年で貯められた】

だがある日、この御仁の目に一つの告知が留まった。

――劇団ひまわりの研究生を募る告知でござる。

ここからが、吾輩の最も語りたい話じゃ。

この劇団に入るには、三十万の銭が要った。

――学生の身には、大金でござる。

普通ならば、ここで諦めるであろう。

あるいは、親に頼むところでござろう。

だがこの御仁は、そのどちらもされなかった。

――自分で稼いで、貯められたのじゃ。

しかもその貯め方が、また凄まじい。

働き口を幾つも掛け持ちされた。

そして食う物の銭まで切り詰められたという。

――食費を削るのじゃぞ。

そうして、半年でござる。

――半年で三十万を貯め切られた。

お主、これができるか。

吾輩、この話を知ったとき唸ったわ。

書類で落とされ続け、

行く末に不安を抱えながら、

それでも道が見えた瞬間に、食う物を削ってまで銭を作られた。

――本気とは、こういうことでござる。

そして劇団の研究生となられた。

1999年には中学の同級であった者と二人組を組まれ、

――ちなみにこのコンビ名「西中サーキット」は、西中学校陸上部の稽古の呼び名から取られたという。

この二人組は2002年のABCお笑い新人グランプリにて審査員特別賞も得ておられる。

だが2002年、相方が道を退かれて解散。

その後に組まれたコンビも長くは続かなんだ。

そして2003年6月、いまの相方から誘われ、――現在の二人組を結成されたのじゃ。

三十万を半年で貯めるという話を、もう少し噛みしめてみようではないか。

半年は、およそ百八十日じゃ。

三十万を百八十で割れば、――一日およそ千六百でござる。

毎日、それだけを積み上げねばならぬ。

しかも学生の身でござるぞ。

学び舎にも通わねばならぬ。

その合間に働き口を掛け持ちし、

そのうえで食う物まで切り詰められた。

――並の覚悟ではござらぬ。

吾輩が思うに、この半年こそがこの御仁の芯を作ったのではあるまいか。

書類で落とされ続けた日々は、自分ではどうにもならぬものであった。

――待つしかなかったのじゃ。

だが銭を貯めることは、自分の手で何とかなる。

――初めて、自分で道を作られたのでござる。

この成功の味を知った者は、強い。

後に拳の競技で目方を落とされたときも、

同じ構えであったのではあるまいか。

――自分でできることを、やり切る。

【しずちゃん:未来予想図-拳と筆の両方で】

さて、ここからがこの御仁の凄まじいところじゃ。

2006年、この御仁は映画『フラガール』にて女優として世に出られた。

そしてその演じぶりが評され、

翌2007年、日本アカデミー賞にて新人俳優賞を受けられる。

――笑いの道の者が、映画の賞でござるぞ。

そして同じ年、この御仁は拳の競技を始められた。

初めは軽い気持ちであったという。

ところがこれが、本気になっていく。

2009年にはC級のライセンスを取得され、

2011年には五輪を目指す強化の選手にも選ばれた。

だがこの道は、平坦ではなかった。

この御仁の階級には、――国内に相手がおらなんだのじゃ。

全日本の大会に出ても、出場者が一人しかおらず、試合をせぬまま王者となったこともあるという。

――なんとも寂しい話でござろう。

そこでこの御仁は目方を落とし、階級を下げて挑まれた。

そして2012年、全日本の大会にて優勝。

――世界の大会の代表に選ばれたのじゃ。

その世界の大会では一つ勝たれたが、三回戦にて敗れ、五輪への道は閉ざされた。

だがこの御仁の働きは、女子の拳の競技を世に広めたものとして――特別に表彰されておる。

そして2015年に引退されたあとも、

2020年からはその競技の団体にて強化と普及の委員を務めておられる。

――いまも、その道に恩を返しておられるのじゃ。

そしてもう一つ、この御仁には驚くべき才がある。

――絵でござる。

『プレバト!!』の腕比べにおいて、

水彩の絵、消し具の判、和紙のちぎり絵、

バナナアート、手形足形の絵、そして一筆書きの絵。

――六つもの部門で特待の生と認められておられる。

六つでござるぞ。

そして2023年には、自らの絵の催しまで開かれた。

――もはや、笑いの道の者という括りでは収まらぬ。

書類で落とされ続けた娘御が、

食う物を削って三十万を貯め、

映画の賞を取り、

世界の大会の代表となり、

そして絵でも認められておられる。

――これほど凄まじい歩みが、他にあろうか。

最後に、この御仁の別の顔にも触れておこう。

絵の腕の話でござる。

幼き頃から漫画を好み、

住まいには好みの品が所狭しと並んでおるという。

――なかなかの入れ込みようじゃ。

そして自らも描かれる。

写実の絵も、大友克洋殿の画風の絵も。

――六つの部門で認められておられるのじゃ。

しかもその部門の幅がまた面白い。

水彩の絵に、消し具の判、

和紙のちぎり絵に、バナナアート、

手形足形の絵に、一筆書きの絵。

――どれも、まるで違う技でござる。

つまりこの御仁は、一つの技に長けておるのではなく、

――手先そのものが器用なのじゃ。

そしてもう一つ、良い話を添えておこう。

この御仁が世に出るきっかけとなった映画は、福島県いわき市を舞台としたものであった。

その縁からこの御仁は、

震災の後には、いわきの漁業を応援する場にも立たれた。

そして五輪の火を運ぶ役目も務められ、

――2021年3月25日、その町を地元の小学生らと共に走られたという。

書類で落とされ続けた娘御が、

五輪の火を持って走る。

――これほど見事な報われ方があろうか。

お主も、いま落とされ続けておるならば

この御仁の歩みを思い出されよ。

――道は、必ずどこかに開いておるのでござる。

この先この御仁がどこへ進まれるか、吾輩には分からぬ。

だが笑いの道でも、

芝居の道でも、

拳の道でも、

そして絵の道でも結果を出してこられた。

――これほど多くの引き出しを持つ者もおるまい。

そして拳の競技の団体では、いまも後進のために働いておられる。

自分が世話になった道に、恩を返す。

――良い生き方でござるな。

吾輩、この御仁を大いに買っておるぞ。

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

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【しずちゃん:三十万を半年で貯め!?六部門で特待生についてのまとめ】

今回はしずちゃんについて調査してみた!

吾輩はしずちゃんに対して、劇団に入る三十万を半年で貯め、絵でも認められた歩みと思ったんだがお主はしずちゃん殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

POPEYE Web「二十歳のとき、何をしていたか?/山崎静代」短大を出て劇団ひまわりの養成所へ、西中サーキットの結成と解散

産経新聞(2015年10月31日)【私のふるさと】「生まれ育ったのは大阪府北部の茨木市です」

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