巷に騒がれる、花村想太殿:パン屋という夢と、8歳から18歳を過ごされた伊丹のことについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1990年8月15日、兵庫県のお生まれ
- 8歳から18歳までを伊丹市で過ごされた
- 小学生から中学3年まで、歌い手になりたいと口に出せずにおられた
- 中学の頃、恩師に背中を押されて音楽の道を決められる
- 高校受験をせず、音楽の世界へ入られた
- 2011年、Da-iCEが結成される
- 2020年、舞台『RENT』にてマーク・コーエン役を務められる
- 2021年、「CITRUS」にて日本レコード大賞を受けられる
- 2022年3月5日、伊丹大使に就任される
- 2023年12月公開の映画にて、初の日本語吹替を務められる
- 2026年8月、ソロの名義にて日本武道館に立たれた
【実家とパン屋-口にしておられたのは2番目の夢だった】
この御方について調べに来られた御仁の多くが、パン屋という言葉を携えておられる。
――まずは、そこから参ろう。
パン屋の話は、確かにござる。だが、その形が世の思うておるものとは少し違う。
2024年3月、映画の吹替を務められた折の話でござる。
この御方は、幼き日に描いておられた夢についてこう明かされた。
「小学生~中学3年生までは歌手になりたいと口に出して言えなかった」
――お主、いま何と申された。
言えなかったのでござる。
小学生から中学三年まで、ずっとでござるぞ。
そして、続く言葉がこれじゃ。
「パン屋になるという2番目の夢を口にしていたけれど、もっと歌のことについて勉強したいと思って、高校受験をせずに音楽の世界に入った」
――2番目の夢。
つまりパン屋とは、この御方が本当の夢の代わりに口にしておられた夢なのでござる。
お主、ここは唸るところでござるぞ。
考えてもみられよ。
「将来の夢は」と問われる場は、幼き者にとって幾らでもござる。
――そのたびに、この御方はパン屋と答えておられた。
本当は歌い手になりたい。だが、言えぬ。
――ゆえに、当たり障りのない夢を用意しておられたのじゃ。
しかも、それを何年も続けられた。
そして、ここが痛快なところでござる。
その御方が最後に選ばれた道は、高校受験をせぬことであった。
――お主、これはどうじゃ。
口では一度も歌手と言わなんだ者が、進路の場で歌を選ばれた。
言葉では逃げ続け、行いで一気に決めたのでござる。
――しかも、後の道を残さぬ形で。
高校へ行かぬというのは、十五の齢では相当の覚悟でござろう。
その頃のことを、この御方は後にこう語っておられる。
「音楽の道を目指すと決めたときに、先生が話を聞いてくれて背中を押してくれた」
――背中を押してくれた。
何年も言えなんだ言葉を、ようやく誰かに言うた。
そして、その相手が受け止めてくれた。
――お主、この一度が無ければ、いまの声は世に出ておらなんだやも知れぬぞ。
【8歳から18歳までを伊丹で過ごされた】
さて、その学び舎があった場所の話をいたそう。
この御方は兵庫県のお生まれで、8歳から18歳までを伊丹市で過ごされた。
――幼き日の十年を、そこで過ごされたのでござる。
2022年3月5日、この御方は伊丹市の「伊丹大使」に就かれた。
前の年に日本レコード大賞を受けられた直後のことじゃ。
その折の言葉が、これでござる。
「伊丹は学びの多いまちで、音楽を目指す原点にもなった。いつか名所で歌とダンスを披露して配信したい」
――音楽を目指す原点。
お主、先の話と繋がってきたのう。
歌手になりたいと言えなんだ十年は、この町で過ごされた十年でもある。
そして思い出深い場所として挙げられたのが、また良いのじゃ。
――市の昆虫館。
――市立のこども文化科学館。
お主、気づかれたか。
音楽の場ではござらぬ。虫と、科学でござる。
――子が飽きるまで居られる場所ばかりじゃ。
華やかな思い出を挙げてもよいところを、この御方は子の頃に通うた地味な場所を挙げられた。
そして、恩師の話も同じ場でされておる。
北中学校の折、音楽の道を決めた時に話を聞いてくれた先生のことでござる。
――大賞を受けた直後に、まず思い出されたのがそれじゃ。
お主、この御方の目は、どこを見ておられると思う。
――上ではのうて、来た道の方を見ておられる。
ちなみにこの御方の音の幅は、四オクターブに及ぶという。
組が世に出たのは2011年のことでござる。
――言えなんだ夢を胸にしまうたまま、十年を歌に費やされた。
そして2021年、その年の最も大きな賞を手にされたのじゃ。
【未来予想図-言えなんだ夢を、いま名の下でやっておられる】
ここまでを、一度まとめておこう。
――花村想太殿がパン屋を口にしておられたのは事実である。
だがそれは、歌手になりたいと言えぬ代わりに用意された、2番目の夢であった。
8歳から18歳を伊丹で過ごし、中学の恩師に背中を押されて音楽の道を決め、高校受験をせずに世へ出られた。
さて、その先の話でござる。
2023年に公開された映画で、この御方は初めて吹替を務められた。
菓子の工場を夢見る若者の役でござる。
その若者について、この御方はこう語っておられる。
「ウォンカがチョコのことばかり勉強して文字もわからないぐらいにチョコレートにのめりこんでいたところが、ちょっと自分と重ねちゃうな」
――重ねちゃうな、でござる。
そして、こうも言うておられる。
「大きい夢を追いかけるっていうのは良いことだなというか、大事なことなんだな」
お主、面白い巡り合わせでござるな。
パン屋と言い続けた少年が、菓子作りの夢を追う者の声を当てることになったのじゃ。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、言葉より先に手が動く型とみる。
考えてもみられよ。
歌手になりたいとは、何年も言えなんだ。
――だが、高校受験をせぬという行いで決めておられる。
吹替についても同じでござる。
「うまくやりたい」と言う代わりに、この御方はこう考えておられた。
「カレーにはちみつぐらいの隠し味を入れられるかどうかというところが重要だなと思っていた」
――量まで決めておられるのじゃ。
意気込みではのうて、匙加減の話でござる。
そして2026年、この御方はご自身の名を冠した名義で日本武道館に立たれた。
――お主、ここでもう一度、あの言葉を思い出してみられよ。
小学生から中学三年まで、歌手になりたいと口に出せなんだ御方でござる。
その御方が、己の名を看板にして武道館に立たれた。
――言えなんだ夢を、いまは名前ごと掲げておられるのじゃ。
この先もこの御方は、言うより先に形にしていかれるとみる。
――二番目の夢は、もう要らぬのでござろう。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家はパン屋!?歌手と言えず口にした夢についてのまとめ】
今回は花村想太殿について調査してみた!
「実家がパン屋」という話が広まっておるが、本人が語っておられるのはパン屋は「2番目の夢」であったということでござる。
「小学生~中学3年生までは歌手になりたいと口に出して言えなかった」——その代わりに口にしておられたのが、パン屋であった。
そして「もっと歌のことについて勉強したいと思って、高校受験をせずに音楽の世界に入った」と語っておられる。
8歳から18歳までを兵庫県伊丹市で過ごされ、2022年には伊丹大使に就任。「伊丹は学びの多いまちで、音楽を目指す原点にもなった」と語られた。
中学の恩師については「音楽の道を目指すと決めたときに、先生が話を聞いてくれて背中を押してくれた」と振り返っておられる。
吾輩は花村想太殿に対して、言葉より先に、行いで決めてこられた御方、と思ったんだがお主は花村想太殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(Da-iCE花村想太「中3まで歌手になりたいと言い出せなかった」
神戸新聞NEXT(レコ大受賞「Da-iCE」の花村さん、伊丹大使就任
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