巷に騒がれる、勝地涼殿:自衛隊に体験入隊!?新人俳優賞を掴んだ役について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1986年8月20日:東京都にて生誕。
- 2000年:ドラマ『千晶、もう一度笑って』デビュー。
- 同年:ドラマ『永遠の仔』渡部篤郎演じる長瀬笙一郎(モウル)の少年期を演じる。
- 2005年:映画『亡国のイージス』第29回日本アカデミー賞新人賞受賞。
- 2013年:『あまちゃん』第128回にて『前髪クネ男』TOSHIYA役出演。
- 2014年:「涼 the graduater」名義で歌手デビュー。
- 2015年:「勝 勝次郎」名義でCDデビュー。
- 2016年:ドラマ『”くたばれ”坊っちゃん』主演。
- 2022年:ドラマ『生ドラ!東京は24時』主演。
【スカウトされた日】

勝地涼殿は昭和61年8月20日の生まれ、東京都の出にござる。
まず、はっきり断っておかねばならぬ。巷にはご家族の会社の資産の額だの、お店の名と最寄りの駅だのまで書いた読み物が出回っておる。
これは書いてはならぬ類のものじゃ。額を言い立てるのも、店が特定できる書き方をするのも、この書記では断じてやらぬ。
書けるのは、ご本人の歩みだけよ。そしてこの御仁の場合、その入り口が少し変わっておるのでござる。
小学6年の折、事務所の審査を受けておられる。KinKi Kidsの大ファンで、ある作品を観たことが芸能の道を志す切っ掛けであったという。
だが、この道が開けたのは別の縁からであった。母上が営んでおられた生花の店でドラマの撮影があり、それを見学しておられたところ、居合わせた関係者にスカウトされたのである。
撮影を見に行っただけで、その場でスカウトされる。こういう偶然が人生を動かすことも、世にはあるのじゃな。
そして平成12年、ドラマ『千晶、もう一度笑って』で世に出られた。十四の歳である。
同じ年のドラマ『永遠の仔』では、渡部篤郎殿が演じる人物の少年期を熱演された。早い時期から、重い役どころを任されておったわけじゃ。
学び舎は堀越高等学校。仕事と学業を並べて歩まれた十代であった。
【体を張った役作り】

十四で世に出た後も、学業は堀越高等学校で続けておられる。仕事と学校を並べる十代であった。
『永遠の仔』での少年期の役は、重い過去を背負う人物であった。十四の子が演じるには、あまりに難しい役どころじゃ。
この御仁を語る上で外せぬのが、平成17年の映画『亡国のイージス』じゃ。
この作品で第29回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞された。十九の歳のことである。
だが、注目すべきは賞そのものより、そこに至るまでの役作りの方でござる。
演じられたのは、物語の鍵を握る青年。その役を作るために、この御仁は何をされたか。
まず自衛隊へ体験入隊された。軍人を演じるために、実際に隊に入って生活されたのである。
さらに真冬の海に入るという過酷な撮影にも挑まれた。冬の海である。数分と持たぬ冷たさじゃ。
十代の若者が、ここまでやる。しかも当時は、まだ賞とは無縁の役者であった。
こういう積み方をした者にこそ、賞は回ってくるものよ。体を張って作った役は、画面に出るのである。
平成25年の『あまちゃん』では、たった一回の出演にもかかわらず強烈な印象を残された。「前髪クネ男」という役どころである。
一回きりの出演で世に名を残す。これは主演を務めるのとはまた違う難しさじゃ。
面白いのは、この御仁が音楽にも手を出しておられること。平成26年3月26日、宮藤官九郎殿の企画で歌手としても世に出られた。翌年には別の名義でもCDを出しておられる。
【未来予想図-独立への道】

平成12年に世に出てから、この御仁は途切れることなく作品に出続けておられる。二十六年である。これだけで大変なことじゃ。
子役から始まって、大人の役者になれる者は多くない。その壁を越えられたのは、体を張る役作りを厭わなんだからであろう。
この御仁の歩みを見ておると、役のために体を張ることを厭わぬという一点が貫かれておることが分かる。
自衛隊への体験入隊も、真冬の海も、誰かに命じられてやったことではあるまい。その役に本気で向き合った結果じゃ。
役作りのために体験入隊までするというのは、台本を読み込むだけでは足りぬと考えたからであろう。その場に身を置かねば分からぬものがある、と。
真冬の海に入るというのも同じことじゃ。寒さに震える芝居ではなく、本当に震える体で演じる。画面に映るものが、まるで違ってくる。
こういう役者は、監督や作り手から重宝される。「あいつなら本気でやってくれる」と思われるからである。
一回きりの出演で強烈な印象を残せるのも、同じ理由であろう。出番の長さではなく、そこに注ぐ熱の量が違うのじゃ。
堀越高等学校を卒業しておられるのも、この世界では一つの筋道じゃ。芸能の活動と学業を並べるための学び舎である。
十代のうちに賞を取り、二十代、三十代と作品を重ね、そして四十を前に独立を決められた。節目ごとに、次の場所を選んでこられたわけじゃ。
私生活については、公にされておることだけ記しておく。平成30年7月30日に結婚され、令和3年4月23日にご自身の場で離婚を公表しておられる。
お子については、両親が揃っておったほうが良いことでは一緒にいることもあるという。それより先のことは、公にされたものが何も無いのでござる。
声の仕事もされており、演じる場は幅広い。顔を出す仕事と、声だけの仕事。どちらもこなせる役者は重宝されるものよ。
交友の広さでも知られておられる。加藤シゲアキ殿、鈴木亮平殿とは親友であるという。共に長く第一線におる方々じゃ。
親友として名の挙がる方々も、いずれも長く第一線に立ち続けておられる。同じ姿勢の者は、自然と集まるものよ。
そして令和8年5月31日、長く籍を置いた事務所を退所することを発表された。同年6月から年内は業務提携という形で活動されるという。
そして令和9年より、正式に独立される予定である。四十の歳での身の振り直しじゃ。
宮藤官九郎殿との縁も長い。歌手として世に出たのも、その方の企画からであった。面白がってくれる作り手がおるというのは、役者にとって幸せなことじゃ。
『あまちゃん』での一回きりの出演も、その縁の延長にある。短い出番で強い印象を残せるのは、作り手がこの御仁の持ち味を分かっておるからであろう。
十四で世に出て、二十六年。体を張り続けてきた者が、次は自分の看板で立つ。
四十を前にして独立を選ぶというのは、自分の腕に自信があるということじゃ。二十六年の積み重ねが、その支えになっておる。
ご家族の資産の話など、この歩みの前では何の意味も持たぬ。書くべきは、真冬の海に入った十代の方である。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【自衛隊に体験入隊!?新人俳優賞を掴んだ役についてのまとめ】
今回は勝地涼殿について調査してみた!
吾輩は勝地涼殿に対して、体を張った役作りで賞を掴んだ侍、と思ったんだがお主は勝地涼殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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