【石橋凌】ARBのボーカルから俳優へ!!二つの道を歩む

怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、石橋凌殿:ARBのボーカルから俳優へ!!二つの道を歩むについて、

悪列非道!邪鬼滅殺!今宵成敗いたす!

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Doramon

♪♪♪プロフィール♪♪♪
英語力ぎりぎりレベルでJICA海外協力隊員へ行く
帰国後英語力があればもっと良い活動ができたと思い、本格的英語学習を30歳過ぎてから始める
ニュージーランドに語学留学をするなど英語力を高める活動の後、英国大学院を修了する
英語の楽しさを伝える活動をしている

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【石橋凌殿:略歴】

  • 1956年7月20日:福岡県久留米市にて生誕。本名は石橋秀樹。
  • 1978年10月:バンド「ARB」のボーカルとして、シングル「野良犬」でデビュー。
  • ARBの名は「Alexander Ragtime Band」の頭文字から取られたものという。
  • 1979年6月21日:1作目のアルバム『A.R.B.』を発表。
  • 1986年:映画『ア・ホーマンス』(松田優作監督)にて俳優デビュー。キネマ旬報・新人男優賞を受賞。
  • 1990年:ARBが一度目の活動を終える。同年、ヨコハマ映画祭・主演男優賞を受賞。
  • 1995年:アメリカ映画『クロッシング・ガード』に出演。アメリカ映画俳優組合(SAG)の会員となる。
  • 1996年:映画『キッズ・リターン』(北野武監督)に出演。
  • 1998年:ARBが活動を再開する。
  • 1999年:映画『オーディション』(三池崇史監督)に出演。海外でも高く評された一作。
  • その後『呪怨』『マスカレード』シリーズなど、幅広い作に名を連ねる。
  • 2002年:シングル「カクテル・トゥナイト」にてソロデビュー。報知映画賞・助演男優賞を受賞。
  • 2003年:高崎映画祭・最優秀助演男優賞を受賞。
  • 2006年3月:ARBからの脱退を表明。
  • 2011年:アルバム『表現者』を発表。俳優として名を成してなお、歌を手放さなかった。
  • 2015年:アルバム『Neo Retro Music』を発表。
  • 2017年:アルバム『May Burn!』を発表。「石橋凌 with JAZZY SOUL」としてのライブ活動を始める。
  • 2026年9月21日:ビルボードライブ大阪にて公演を予定。
  • 2026年9月23日:ビルボードライブ東京にて公演を予定。梅津和時、林正樹、バカボン鈴木、江藤良人と共演。
  • 妻は俳優の原田美枝子。長女は歌い手の優河、次女は俳優の石橋静河。
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【石橋凌殿:ARBの声として立った日々】

吾輩が語るは、石橋凌の音の道についてでござる。お主らも興味深く聞くがよい。

今でこそ渋みのある俳優として知られるこの御仁。だが始まりは芝居ではござらぬ。バンドの声でござった。

1956年7月20日、福岡県は久留米市にて生誕。本名は石橋秀樹という。

そして1978年10月、バンド「ARB」のボーカルとしてシングル「野良犬」でデビュー。二十二の齢のことでござった。

面白いのは、この御仁が後から加わった声であること。ARBは1977年に田中一郎殿らによって結成されており、そこへ審査を経て選ばれたのが石橋凌殿でござった。

甲斐よしひろ殿の勧めなどもあって、この場にたどり着いたと伝えられておる。つまり人の縁が、この御仁を音の道へ導いたわけよ。

バンドの名「ARB」は、「Alexander Ragtime Band」の頭文字から取られたもの。当初はその名をそのまま名乗っておったが、三枚目のアルバムの頃から「ARB」を正式な名としたという。

ARBというのは、日本のロックの歴史を語る上で外せぬ一座。言葉に力のある歌で知られ、その声を担ったのがこの石橋凌殿でござる。

この一座、道のりは平坦ではござらぬ。デビューから一年足らずで、純粋にロックをやりたい側と事務所側の溝が広がり、独立を選んでおる。

独立した折には奏者が足りず、シングル「魂こがして」では田中一郎殿がギターとベースを兼ねて録ったとも伝えられておる。手弁当で作っておったということでござるな。

活動は1978年から1990年まで。その後、1998年に再び集まり、2006年3月に脱退を表明するまで続いた。二十年以上にわたり、一つのバンドの声であり続けたわけよ。

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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【石橋凌殿:歌う者が、演じる者になる】

吾輩が語るは、石橋凌が芝居の道へ入った経緯についてでござる。

バンドの活動が盛んな最中の1986年。この御仁は映画『ア・ホーマンス』にて俳優としてデビューしておる。三十の齢のことよ。

そしてこの初めての一作で、キネマ旬報の新人男優賞を受けておるのでござる。初めて演じた作で賞を得るというのは、そう起こることではござらぬ。

歌う者と演じる者は、似ておるようで違う。歌は自らの言葉として声を出すが、芝居は他人になりきる仕事でござる。

だが共通するものもある。人前で己をさらけ出す度胸よ。何千の客の前で歌ってきた者にとって、撮影の場の緊張など、さほどのものではなかったのかもしれぬ。

以後この御仁は、歌と芝居の二つの道を並べて歩むこととなる。1990年にはヨコハマ映画祭の主演男優賞も受けておる。

どちらかを捨てるのではなく、両方を抱えた。これがこの御仁の生き方でござる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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【石橋凌殿:未来予想図-歌い続ける俳優】

吾輩が語るは、石橋凌の未来と芸能活動についてでござる。

俳優として名を成したあとも、この御仁は歌を手放さなんだ。

2002年にはシングル「カクテル・トゥナイト」にてソロデビュー。その後も2011年に『表現者』、2015年に『Neo Retro Music』、2017年に『May Burn!』とアルバムを重ねておる。

六十を過ぎてからの新しい挑戦でござる。慣れた場所に留まらぬ性分が、ここにも出ておるのう。

そして2017年からは「石橋凌 with JAZZY SOUL」としてジャズの奏者たちと組んだライブ活動を続けておる。

ロックのバンドから始まった者が、七十を前にしてジャズの場に立つ。音の形を変えながら、歌い続けておるわけでござる。

2026年9月には、ビルボードライブの大阪と東京での公演も予定されておると伝えられておる。梅津和時殿、林正樹殿、バカボン鈴木殿、江藤良人殿といった腕利きの奏者たちと共に立つという。

二十二でバンドの声となり、三十で俳優となり、七十で舞台に立ち続ける。四十年以上、人前に立つことをやめておらぬ。

以上が、石橋凌の音の道について吾輩が得た情報でござる。これからの活躍にも期待しておる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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【石橋凌殿:ARBのボーカルから俳優へ!!二つの道を歩むについてのまとめ】

今回は石橋凌殿について調査してみた!

1978年、バンド「ARB」のボーカルとしてデビュー。二十二の齢でござった。

1986年には映画『ア・ホーマンス』で俳優デビューし、初めての一作でキネマ旬報・新人男優賞を受けておる。

以後、歌と芝居の二つの道を並べて歩んできた御仁でござる。どちらかを捨てるのではなく、両方を抱えた。

2026年9月にはビルボードライブでの公演も予定されておるという。七十路にして、なお歌い続けておるのでござる。

ARBは1977年に結成された一座で、この御仁は審査を経て加わった声。後から入った者が、一座の顔になったわけでござる。

デビューから一年足らずで事務所と別れ、手弁当で音を作った時期もあった。その苦労が、後の芝居にも効いておるのやもしれぬ。

吾輩は石橋凌殿に対して、歌と芝居、二つの道を四十年以上並べて歩んできた御仁、と思ったんだがお主は石橋凌殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ心がザワつくような邪鬼共が溢れている。

引き続きこの書記にて悪事を暴き!世直しをしていく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて

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