【M!LK・吉田仁人】女子のみの稽古に飛び込む!?四歳からの踊り

怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、吉田仁人殿:女子のみの稽古に飛び込む!?四歳からの踊り について、

悪列非道!邪鬼滅殺!今宵成敗いたす!

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  • 1999年12月15日:鹿児島県霧島市にて生誕
  • 4歳:踊りを習い始める。ジャズダンスをはじめ幅広い型を学ぶ
  • 小学4年:女子のみであったジャズダンスの組への参加を願い出て、特例で認められる
  • 鹿児島県内の踊りの催しにて総合優勝。地元の宣伝にも踊り手として出演
  • 2011年(小学6年):EBiDANの審査に合格し、スターダストプロモーションへ入所
  • 2014年11月24日:番組内の審査を経てM!LKの結成メンバーとなる。後に組の長を務める
  • 2015年3月25日:M!LKとして『コーヒーが飲めません』でCDデビュー
  • 2021年11月24日:M!LKとして『Ribbon』でメジャーデビュー
  • 2023年4月:文化放送『レコメン!』木曜の顔を務める
  • 2025年8月4日:初の一人でのEP『さえない暮らし』を配信
  • 2026年6月8日:初のCD作品となる二枚目のEP『東京』を発売
  • 2026年7月17日:鹿児島県「薩摩大使」および霧島市「おじゃんせ霧島大使」に就任
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吾輩が語るは、吉田仁人殿の踊りについてでござる。お主らも興味深く聞くがよい。

吉田仁人殿は1999年12月15日の生まれ、鹿児島県霧島市の出にござる。

五人組M!LKの長を務めておられる御仁じゃ。

さて、この御仁が踊りを始めたのは——

四歳でござる。

四歳でござるぞ。まだ言葉もあやしい頃じゃ。

そして、ただ習っておっただけではござらぬ。

ジャズダンスをはじめ、幅広い型を学んでこられたという。

踊りにも数多くの型がござる。

しなやかに見せるもの、力強く見せるもの、物語を語るもの。

その一つを極めるだけでも大事でござるのに、

この御仁は幼き頃から手を広げておられた。

その成果は、早くから形になっておる。

鹿児島県内の踊りの催しにて総合優勝を果たされたのじゃ。

県の中で一番、でござる。

さらに、地元の宣伝にも踊り手として出演しておられる。

役者としてでも、歌い手としてでもない。踊り手として、である。

つまり子どもの時分から、この御仁の踊りは人様に見せて銭の取れる域にあったということでござろう。

さて、踊りというものについて少し語らせてくれ。

四歳の子どもに、音に合わせて体を動かすことはできる。

だが、それは踊りとは申さぬ。

決められた形を、決められた拍で、毎回同じように出せて初めて踊りでござる。

そこへ行き着くには、途方もない繰り返しが要る。

同じ動きを、何百回、何千回と繰り返すのじゃ。

面白くもなんともない。ひたすら退屈でござる。

その退屈を、四歳から積んでこられた。

そして、ここが肝要なのじゃが——

この御仁は一つの型に留まらなんだ

ジャズダンスを軸としながら、幅広い型を学んでこられた。

型が違えば、体の使い方も、拍の取り方もまるで違う。

一つを深く掘る者は多いが、

幅を広げる者は、その分だけ苦労も増える。

だが、その苦労が後に効いてくるのでござる。

組の踊りというのは、曲ごとに趣が変わるものでござるからな。

明るい曲、切ない曲、荒々しい曲。

そのすべてに体を合わせられる者は、そう多くはない。

ちなみに、この御仁が所属する組では担当の色が決められておる。

吉田仁人殿の色は「きらめきイエロー」でござる。

黄という色は、舞台の上でよく目立つ。

四歳から踊ってきた御仁に、よく似合う色でござるな。

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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さて、ここからが吾輩の最も気に入っておる話でござる。

小学4年の頃のことじゃ。

吉田仁人殿が通っておられた稽古場に、ジャズダンスの組があった。

ところが、その組は——

女子のみであった。

男子は入れぬ組でござる。

普通ならば、そこで諦めよう。

決まりは決まりでござるからな。

だが、この御仁は諦めなんだ。

どうされたと思う。

発表会の振り付けを、全部覚えたのでござる。

自分の組の踊りではござらぬぞ。

入れてもらえぬ組の、それも発表会の振り付けを、端から端まで覚えたのじゃ。

そして、それを覚えた上で講師に申し出られた。

その結果——

特例として、受講を認められた

お主ら、この筋書きを見よ。

「入れてください」と頼んだのではない。

既にできることを示してから頼まれたのでござる。

小学4年でござるぞ。九つか十じゃ。

その齢で、人を動かすにはどうすればよいかを分かっておられたということになる。

後にこの御仁は、十五の頃にも似たことをされるのじゃが、それはまた別の記事で語るといたそう。

この一件を、もう少し噛み砕いてみようではないか。

決まりを変えてもらうには、二つの道がござる。

一つは、ひたすら頼み込む道。

もう一つは、決まりを変えるだけの理由をこちらで作る道じゃ。

十歳の子どもが選んだのは、後者であった。

振り付けを全部覚えて見せれば、

講師の側は「この子は本気だ」と分からざるを得ぬ。

そのうえ、既に踊れるのでござる。

組に入れても、周りの足を引っ張ることはない。

断る理由が、無くなってしまうのじゃ。

つまりこの御仁は、

相手が断れぬ形を作ってから頼まれたということでござる。

これを十歳でやる。恐ろしい子どもでござるな。

そして、この振る舞いにはもう一つ大事なことが含まれておる。

「入れてもらえぬから諦める」ではなく、

「入れてもらえぬなら、その間に覚えておこう」と考えたことじゃ。

待っておる間に手を動かす。

これができる者は、どの道でも伸びる。

ちなみに、この御仁が四歳から通っておった稽古場は鹿児島にござった。

都会のように稽古場が数多あるわけではない。

選べる組も、限られておったであろう。

その中で「入れぬ組」に目が向いたのじゃ。

手の届く範囲で満足せず、

届かぬところへ手を伸ばす

これが、この御仁の型でござる。

そして、この一件から学べることがもう一つござる。

それは、見ておる者は必ずおるということじゃ。

入れぬ組の振り付けを一人で覚えるというのは、

誰にも褒められぬ行いでござる。

その時点では、何の得にもならぬ。

だが、それを見せた瞬間に扉が開いた。

無駄に見える努めほど、

肝心なところで効いてくるものでござる。

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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さて、幼き日の稽古がいまどう活きておるか。

吉田仁人殿は、踊りの振り入れについてこう語っておられる。

最初に見せてもらう振り付けが、最も精度の高い情報である、と。

ゆえに、一度で覚えるつもりで臨むのだそうな。

これは、なかなか恐ろしい考え方でござる。

普通は「何度か見せてもらえる」と思うて臨むものじゃ。

だがこの御仁は、最初の一回に全てを賭けておられる。

四歳から積んだ稽古があるからこそ、

そこまでの構えができるのでござろうな。

尊敬しておられる音楽家として挙げておられるのは、踊りと歌を高い次元で両立させておる御仁でござる。

目指す先も、やはりそこにあるということじゃ。

そして2011年、小学6年の頃でござる。

この御仁はEBiDANの審査に合格し、事務所へ入所された。

鹿児島から、である。

そして2014年11月24日、番組内の審査を経て五人組M!LKの結成の一員となられた。

十四の齢でござる。

翌2015年3月25日にはCDデビューを果たされ、

そこから十年以上、この組の中心におられる。

四歳で踊り始めた子どもが、

いまや一万人を超える会場で踊っておられるのじゃ。

女子のみの組に飛び込んだあの日の性分は、

いまも何一つ変わっておらぬと吾輩は思うのでござる。

この御仁の「一度で覚える」という構えは、

踊りだけの話ではござらぬ。

芝居の場でも、同じことをしておられる。

台本を覚える際、自分の台詞だけでなく、相手役の台詞まで覚えるのだそうな。

なぜか。

現場での掛け合いを大切にしておられるからでござる。

相手が何を言うかを分かっておれば、

その言い方の違いに、その場で応じられる。

自分の台詞だけ覚えておっては、

順番に喋るだけの芝居になってしまうのじゃ。

踊りでも芝居でも、この御仁の考え方は同じでござる。

備えを限界まで積んで、

その上でその場の呼吸に乗る

組の名には「何色にも染まることができる」という意が込められておるという。

四歳から幅広い型を学び、

相手の台詞まで覚えてから現場に立つ御仁でござる。

この組の名は、この御仁のためにあるようなものでござるな。

そして2014年11月24日、M!LKが結成される。

この組は、番組の企画から生まれたものでござった。

元は別の組があり、それが解散した後に生まれた組じゃ。

つまり一度終わった場所から始まった組でござる。

組の名には「何色にも染まることができる」という意が込められておる。

いろいろなものに混ざりやすく、

様々な形に変わることのできる組。そういう志でござる。

そして吉田仁人殿の担当の色は「きらめきイエロー」。

黄でござるな。明るく、目を引く色じゃ。

2015年3月25日には『コーヒーが飲めません』でCDデビュー。

そこから六年余りを経た2021年11月24日に、

ようやくメジャーデビューを果たされておる。

六年でござるぞ。決して早い道のりではござらぬ。

だが、その六年で踊りも歌も磨かれたのでござろう。

2023年10月には横浜アリーナにて初の大規模公演を開き、

およそ一万二千人を集めておられる。

鹿児島の稽古場で振り付けを覚えておった子どもが、

一万二千人の前で踊っておるのじゃ。

組の名の通り、この御仁は何色にも染まってこられた。

踊り手として始まり、

歌い手となり、

詞を書く者となり、

そして舞台では真ん中にも立っておられる。

その土台にあるのが、四歳からの踊りでござる。

土台が太ければ、その上に何を積んでも崩れぬ。

幼き日の退屈な繰り返しが、

いまのすべてを支えておるのでござる。

最後に、この御仁の踊りを見る折の楽しみ方を一つ。

手の先と、足の運びを見てみるがよい。

幼き頃から型を積んだ者は、

動きの終わり際が美しいのでござる。

止まる時に、ぴたりと止まる。

その一瞬に、積んだ年月が出るものじゃ。

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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今回は吉田仁人殿について調査してみた!

四歳から踊り、県の催しで総合優勝し、

入れぬはずの組には振り付けを全部覚えてから乗り込む。

この御仁の歩みは、初めから最後まで筋が通っておる。

願うだけでは何も動かぬ。示してから願う。

お主らの日々にも、案外効く話ではござらぬかな。

お主らの中にも、幼き頃に習うておったものがあろう。

続いた者もおれば、途中でやめた者もおろう。

だが、やめたとしても無駄にはなっておらぬ。

この御仁の話を読んで、

そんなことを思うてもらえたら、吾輩は嬉しいのでござる。

吾輩は吉田仁人殿に対して、願う前にできることを示してしまう、恐ろしく段取りの良い若武者、と思ったんだがお主は吉田仁人殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ心がザワつくような邪鬼共が溢れている。

引き続きこの書記にて悪事を暴き!世直しをしていく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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