巷に騒がれる、小林虎之介殿:生まれ育った土地と、進む道を変えた父君の誘い。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年2月12日、岡山県のお生まれ
- 小学1年から高校3年まで、12年にわたり野球を続けられる
- 小学6年から中学2年までは両の打席に立ち、高校からは右に定められた
- 高校からは硬式に移り、捕手を務められた
- 岡山の大学へ進まれる。就職の支度が始まる頃、行きたい企業が無く迷われた
- 大学生の折、父君に映画『ボヘミアン・ラプソディ』へ誘われる
- その半年後、俳優の養成所を見つけ、大学を辞めて上京された
- 2023年、日曜劇場『下剋上球児』にて日沖壮磨を演じられる
- 2024年、『PICU 小児集中治療室 スペシャル 2024』に出られる
- 2026年、連続テレビ小説『風、薫る』にて竹内虎太郎を演じられる
【小林虎之介の実家は岡山でござる】
「小林虎之介殿の実家はどこか」――先に答えを出しておこう。
岡山県でござる。
1998年2月12日のお生まれじゃ。
――大学まで岡山におられた、生粋の岡山の御方でござる。
家の財がどうこう、という話はどこにも出てこぬ。
本人も事務所も述べておられぬゆえ、辿れぬものを書くわけには参らぬ。
その代わり、家のことで辿れたものが二つある。
しかもその二つが、この御方の道を丸ごと決めておるのじゃ。
一つ目は、野球でござる。
2023年11月12日に出た取材で、こう語っておられる。
「小学校1年生から高校3年生まで12年間やっていました」
――12年でござる。子の頃のほとんど全部じゃな。
中学までは軟式で外野と内野、高校からは硬式に移られた。
そして捕手を選ばれた訳が、また正直でな。
硬式には痛い印象があったゆえ、防具の付いておる役どころを選ばれたという。
――笑うところではござるが、賢い選び方じゃ。
さて、その12年がのちに効いてくる。
『下剋上球児』の選考は、実技があった。
この御方はこう述べておられる。
「野球をやっていなかったらオーディションで役を掴めていなかった可能性が高かったと思うので、親に野球をやらせてもらえて本当に良かったと感謝しています」
お主、ここでござる。
「親に野球をやらせてもらえて」――でござる。
やっていた、ではない。やらせてもらえたと言うておられる。
12年でござるぞ。道具も要る、送り迎えも要る、飯も要る。
――その全部を、家が担うておったということじゃ。
そしてこの御方は、それを当たり前と思うておられぬ。
お主、12年というのは並の長さではござらぬぞ。
――途中でやめる子のほうが、よほど多い。
続いたということは、家のほうも続けさせたということでござる。
そして続けた12年が、後に役を掴む実技になった。
【父君の「一緒に行かん?」が道を変えた】
さて、二つ目でござる。こちらが本題じゃ。
この御方が役者を志したのは、大学生の折であった。
しかも、志したというより巻き込まれたに近い。
2024年4月12日に出た取材で、こう語っておられる。
「きっかけは大学生のときです。就職活動が始まる頃に、みんながインターンに行き始めて。でも僕は行きたい企業がなくて嫌だなと思っていたんです」
――行きたい先が無い。よくある話でござる。
そこへ、父君が声をかけられた。
「そんなとき、お父さんから映画『ボヘミアン・ラプソディ』に誘われて。お父さんがクイーンが好きで『一緒に行かん?』って」
お主、ここを読み飛ばしてはならぬ。
父君は、息子の進路をどうこうしようとして誘うたのではござらぬ。
――ただ、己が好きなものを一緒に観たかっただけじゃ。
そして息子のほうも、殊勝な気持ちではなかった。
「そのとき僕はお芝居に興味があったわけではなかったんですけど、『一緒に行って喜ぶんだったらついていったるか、暇だし』と思って行った」
――「暇だし」でござる。
この正直さが、なんとも良い。
ところが、である。
「その映画がすごく面白かったんです。そこで『この業界、面白そうだな』と思って、半年後には俳優の養成所を見つけて、岡山の大学を辞めて東京に行きました」
半年でござる。そして大学を辞めておられる。
――付き合いで行った映画一本が、家を出る決断まで運んだのじゃ。
吾輩は、ここで唸った。
考えてもみられよ。
親が「役者になれ」と勧めたのなら、話は分かりやすい。
だがこの父君は、何も勧めておられぬ。
――ただ、隣に座らせただけでござる。
そして本人も、この転がり方に驚いておられる。
「むしろ成人式のときにも予想だにしていなかったですね、26歳で俳優をしているなんて。自分が1番びっくりしています」
ちなみに、上京してからは甘い顔をされておらぬ。
『下剋上球児』の折には、新井順子殿から「ここで調子に乗るなよ、全部私の耳に入ってくるからな」と釘を刺され、
鈴木亮平殿からも「調子に乗ったらすぐ落ちるからな」「そんなに甘くねえぞ」と言われたという。
【未来予想図-親に握らせてもらった鍵】
問いに、答えをまとめておこう。
――小林虎之介殿の実家は岡山県で、大学まで岡山におられた。
家の財の話は公にされておらぬ。
だが小学1年から高校3年まで12年の野球を続けさせてもらい、
大学生の折には父君に映画へ誘われて、そこから道が変わった。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この家がしたのは「決めること」ではのうて「鍵を握らせること」であったとみる。
12年の野球も、映画の一誘いも、進む先を指してはおらぬ。
――どちらも、扉の前まで連れて行っただけでござる。
開けたのは本人じゃ。半年で大学を辞めておられる。
だが、扉の前に立たせてもらわねば、開けようもない。
そしてこの御方は、そこを取り違えておられぬ。
「やらせてもらえて感謝している」と、はっきり言葉にしておられる。
――親の手柄を、己の手柄にしておらぬのじゃ。
こういう御方は、周りの手も見える。
監督の言葉も、先輩の小言も、ちゃんと受け取っておられよう。
「調子に乗るな」と二人から言われて、それを取材で自ら明かす。
――隠さぬところに、育ちが出ておるとみた。
岡山から出てきて、朝の連続の物語にまで辿り着かれた。
これから先も、この御方は誰かの一誘いを大事にされるのではなかろうか。
道を決めてやる親より、扉の前に座らせる親のほうが、子は遠くへ行く
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は岡山!?父の一誘いで大学を辞めたについてのまとめ】
今回は小林虎之介殿について調査してみた!
一つ。小林虎之介殿の実家は岡山県で、1998年2月12日のお生まれでござる。
二つ。「小学校1年生から高校3年生まで12年間」野球を続けておられた。
三つ。「親に野球をやらせてもらえて本当に良かったと感謝しています」と語っておられる。
四つ。大学生の折、父君から「一緒に行かん?」と映画『ボヘミアン・ラプソディ』に誘われた。
五つ。その半年後、岡山の大学を辞めて上京され、役者の道に入られた。
吾輩は小林虎之介殿に対して、親に扉の前まで連れて行かれた御方、と思ったんだがお主は小林虎之介殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
WEBザテレビジョン(小林虎之介スペシャルロングインタビュー
モデルプレス(「下剋上球児」壮磨役・小林虎之介、“野球経験12年”の実力者
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