【高橋大輔】大学院は中退!?中2で仙台へ通った日々

高橋大輔 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、高橋大輔殿:岡山から仙台へ。学びと氷を並べて歩まれた話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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  • 1986年3月16日、岡山県倉敷市のお生まれ
  • 9歳の折、近所の氷の場で滑り始められた
  • 1999年、中学2年より仙台の氷の場へ通われる
  • 2001年、全国中学校大会にて二度続けての優勝
  • 2001年、全日本ジュニア選手権を制されておる
  • 2002年、世界ジュニア選手権にて日本男子初の優勝
  • 2004年、関西大学へ進まれた
  • 2008年4月、同じ大学の大学院へ進まれる
  • 2010年、バンクーバーの五輪にて銅の栄誉を得られる
  • 2015年、修士の論を出さぬまま大学院を離れられた
  • 2018年、母校のクラブに籍を置いて競技へ戻られる
  • 2023年、競技から退き、作る側へ回られた
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高橋大輔は中2から仙台の氷の場へ通って指導を受けた

吾輩が今宵語るは、高橋大輔殿の学びの日々でござる。

――まず、中学の頃の話から参ろう

この御方の中学は、倉敷市立連島中学校でござる。

――だが、通うておったのは学び舎だけではござらぬ

きっかけは、才ある新人を見つける合宿でござった。

――そこで、素質を見出されたのじゃ

そして1999年、中学2年の折でござる。

――仙台の氷の場へ、通われるようになった

岡山から、仙台でござるよ。

――中学2年でござるぞ

地図を思い浮かべてみられよ。

――本州の西の端に近い町から、東北の仙台でござる

新幹線を乗り継いでも、半日仕事でござろう。

――それを、稽古のために通われたのじゃ

そこには、二人の指導者がおられてな。

――長久保裕殿と、佐野稔殿でござる

そのお二人の指導を受けるために、通われたのでござる。

――十三の子が、でござるよ

そして、そこで大きな縁も結ばれる。

――佐野殿が仙台を離れられることになってな

演目を作る役を頼まれた御方と、仙台で初めて対面された。

――長光歌子殿でござる

この御方とは、後に長い付き合いとなられる。

――縁というのは、こうして始まるものでござるな

そして同じ1999年、初めての国際の大会に出られた。

――そこで、いきなり優勝されておる

通い始めた年に、でござるよ。

――通うた甲斐が、すぐに出たのでござる

2001年には、全国の中学の大会で二度続けての優勝。

――同じ年、全日本のジュニアも制されておる

そして2002年、十六の折でござる。

――世界のジュニアの大会で、優勝を果たされた

日の本の男子としては、初めてのことでござった。

――中2から通い続けた三年の、答えでござるな

仙台へ通うという話を、もう少し噛みしめておこう。

――これは、一人でできることではござらぬ

十三の子が、独りで東北まで通えるはずもない。

――家の者が、支えておられたということでござる

銭も、時も、かかる話でござるからな。

――しかも、それが何年も続いたのでござる

学び舎にも、通わねばならぬ。

――そのうえで、遠くの氷の場へ出向くのでござる

今の世でも、これは大変なことでござろう。

――二十五年以上前のことでござるからな

それでも、通われた。

――そして三年後、世界のジュニアの頂に立たれたのじゃ

旧い読み物の書きぶりについても、申しておこう。

――題に「困難と闘ってきた」とだけ書かれておった

だが、何がどう困難であったのかは書かれておらぬ。

――大きな言葉だけが、置かれておったのでござる

ゆえに、この稿では中身の方を並べた。

――仙台へ通うたこと、大学で折れたこと

そして、大学院を修めきれなんだことでござる。

――こちらの方が、余程伝わろう

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高橋大輔は関西大学を出てその大学院へ進んだ

さて、ここからが大学の話でござる。

――この御方が進まれたのは、関西大学でござる

しかも、学部の中身まで公にされておってな。

――文学部の、体を動かすことを学ぶ専修でござる

つまり、自分のやっておることを学問として学ばれたのじゃ。

――これは、なかなか良い選び方でござろう

ところが、この大学に入られた年が難儀でござった。

――2004年から2005年にかけての季でござる

住む場も、暮らしも、すべてが変わる。

――そのうえ、周りからの重い期待もござった

さらに、季の初めに右の足首を痛められてな。

――神経が炎を起こしておったのじゃ

そして、気持ちが折れてしまわれた。

――滑るのをやめたい、とまで思われたそうな

後に世界の頂に立たれる御方が、でござるよ。

――十八の齢のことでござった

ところが、ここからの立ち直り方がまた面白い。

――全日本選手権で、六位に沈まれたのじゃ

普通なら、ますます沈むところでござろう。

――だが、この御方は逆でござった

沈んだことで、気持ちが吹っ切れたそうな。

――そして年が明けると、大会で優勝を果たされる

さらに四大陸選手権では、三位に入られた。

――落ちるところまで落ちて、跳ね返られたのでござる

そして2008年4月、さらに学びを続けられる。

――同じ大学の大学院へ進まれたのじゃ

文学研究科の、体の文化を学ぶ課程でござる。

――五輪を目指しながら、大学院でござるよ

ただし、この学びには続きがござってな。

――2015年、修士の論を出さぬまま離れられた

つまり、修めきることはできなんだのでござる。

――だが、それは当たり前でござろう

その間に五輪へ二度出て、世界の頂にも立たれておる。

――両方を完璧にというのは、望みすぎでござるよ

大学での学びについても、もう少し申しておこう。

――選ばれた専修が、実に良いのでござる

体を動かすことそのものを、学問として学ぶ場でござる。

――つまり、自分のやっておることを言葉にする学びでござるな

滑るだけの者は、滑ることを説明できぬ。

――だが、学んだ者はそれができるのでござる

後にこの御方は、報せの番組で語り手を務められる。

――そして、若い者に教える側にも回られた

その下地が、この学びにあるのでござろう。

――学びは、無駄にならぬのでござるよ

大学院を修めきれなんだことも、隠されておらぬ。

――修士の論を出さぬまま離れた、と記されておる

そこを伏せぬのが、また良いのでござる。

――できなんだことも、記録の一部でござるからな

折れた季の話を、もう少し噛みしめておこう。

――十八の齢で、やめたいとまで思われたのじゃ

その頃、この御方は既に日の本の期待を背負うておられた。

――世界のジュニアを制した二年後でござるからな

周りは、次の五輪を語っておったであろう。

――その重さが、十八の肩に乗るのでござる

そのうえ、住む場も変わり、足も痛めておられた。

――折れぬ方が、おかしいのでござるよ

ここを隠さず語っておられるのが、また良い。

――強い者ほど、弱かった日を語らぬものでござるからな

そして、その季の全日本で六位に沈まれた。

――そこで、かえって吹っ切れられたのじゃ

落ちるところまで落ちねば、見えぬものがある。

――この御方の歩みが、そう教えてくれておる

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高橋大輔の未来予想図-母校の名を背負って戻られた

さて、高橋大輔殿の学び舎との縁でござる。

――実は、この縁は切れておらぬのじゃ

2018年7月1日、この御方は競技へ戻ってこられた。

――四年ぶりの復帰でござった

その折、どこに籍を置かれたか。

――母校である関西大学のクラブでござる

大学を出て、大学院を離れて、それでも母校でござる。

――三十を過ぎての復帰を、母校が迎えたのでござる

これは、良い話でござろう。

――学びは修めきれずとも、縁は残っておったのじゃ

復帰の年の働きも、なかなかのものでござった。

――最後の組に入ることを目標に掲げられてな

近畿の大会で三位、西日本の大会で優勝。

――そして全日本選手権では、二位に入られた

目標であった最後の組にも、しかと入られた。

――四年休んで、これでござるよ

しかも、この後の身の処し方が良いのでござる。

――世界選手権の代表に、と打診されたそうな

だが、それを辞退された。

――若い者が経験する必要の方が大きい、と申されてな

自分の欲より、次の世代でござる。

――これは、なかなか言えることではござらぬ

郷里からの称えも、いくつも受けておられる。

――2006年には、倉敷市から栄誉の賞を

2010年には、岡山県からも倉敷市からも栄誉の賞を受けられた。

――町ぐるみで支えた子が、町の誇りとなられたのでござる

中2で仙台へ通い、大学で折れ、大学院は修めきれなんだ。

――それでも、母校の名を背負って戻ってこられた

きれいな一本道ではござらぬ。

――だからこそ、面白いのでござるよ

受けてこられた称えも、並べておこう。

――2001年、まだ十代の頃でござる

その年、新人としての賞を受けておられる。

――十五の齢でござった

2003年、2005年、2007年には国からの表彰も受けられた。

――国際の大会で優れた働きをした者への表彰でござる

三度も、でござるよ。

――2007年には、特別な功労の賞も受けておられる

そして2010年、五輪の銅を取られた年でござる。

――岡山県からも、倉敷市からも栄誉の賞を受けられた

郷里が、揃って称えたのでござるな。

――2014年にも、郷里から三つの賞を受けておられる

書物も、早くから出しておられてな。

――2008年には、他の二人の御方と共に一冊を出された

見せ方を語る書物でござった。

――二十二の齢で、共著でござるよ

最後に、種目を替えられた話も添えておこう。

――2019年9月のことでござる

その年の暮れの全日本を最後に、一人で滑る種目を終える。

――そして、二人で滑る種目へ移ると公にされた

翌2020年1月からは、拠点をアメリカへ移されておる。

――三十三の齢で、住む国まで変えられたのじゃ

学び直しでござる。

――しかも、一から、でござるよ

中2で仙台へ通い、大学で折れ、大学院は修めきれなんだ。

――そして三十三で、また一から習いに行かれた

この御方にとって、学びとは終わらぬものなのでござろう。

――学び舎を出ることと、学びを終えることは別でござるな

この先どのような場でお主らを驚かせるか。

――吾輩も、楽しみにしておるぞ

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今回は高橋大輔殿について調査してみた!

吾輩は高橋大輔殿に対して、学びの場と共に歩み、母校の名で戻ってこられた勇者と思ったんだがお主は高橋大輔殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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