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巷に騒がれる、JUJU殿:大学へ進む代わりに海を渡られた話と、歌ひと筋の来し方について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1976年2月14日のお生まれ、広島県庄原市のご出身
- 叔父は演歌、叔母はジャズ、母上はディスコと、音楽だらけの家で育つ
- 4歳の折、細川たかし殿の『北酒場』で初めて人前で歌われた
- これをきっかけに、歌い手を志される
- 12歳の折、ジャズを歌う者になると志を立てられた
- 高校の頃には、DJなどの音楽活動を始められる
- 18歳の折、大学へ進む代わりに渡米を望み、叶えてもらわれた
- 学び舎の名は公にされておらず、吾輩には辿れなんだ
- ニューヨークの路上の歌が噂を呼び、数多の誘いが届く
- 2004年、「光の中へ」で世に出られた
- 2006年、背水の陣の「奇跡を望むなら…」が大きく当たる
- 2020年、紅白歌合戦に初めて出場された
【始まりは4歳、『北酒場』でござった】

まずは、この御仁の育った家の話から参ろう。
――実に、音楽だらけの家であったのでござる。
叔父上は演歌を、叔母上はジャズやシャンソンを。
――その下の叔母上はイタリアの音楽を、母上はディスコを、でござる。
皆がそれぞれ、好きな音を勝手に聴いておる家でござった。
――この環境が、後のJUJU殿に大きな影響を与えたという。
ジャンルの垣根など、初めから無かったのでござる。
――後の幅広い歌は、この家で育まれたのでござろう。
そして4歳の折、伝説の初舞台が来る。
――初めて人前で歌ったのは、細川たかし殿の『北酒場』でござった。
4歳の娘が、酒場の歌を朗々と、でござる。
――そしてこれをきっかけに、歌い手を志されたのでござる。
12歳では、ジャズを歌う者になると志を立てられた。
――小学六年の娘が、ジャズシンガーと言い切ったのでござる。
同じ頃、世は空前のイタロ・ハウスの流行りでござった。
――クラブの音楽にも、深くのめり込まれたという。
高校の頃には、自らDJなどの活動を始められた。
――聴く側から、鳴らす側へ回られたのでござる。
なお、学び舎の名は公にされておらぬ。
――ご本人が明かしておられぬものを、詮索するのは野暮でござる。
この家の面白さは、誰も音楽を「教えて」おらぬことでござる。
――皆がそれぞれ、己の好きな音を勝手に流しておっただけなのでござる。
演歌もジャズもシャンソンもディスコも、同じ屋根の下で鳴っておった。
――子にとっては、それが「音楽とは自由なもの」という何よりの教えでござった。
習わせるより、楽しむ背中を見せる。
――これが、子を音楽好きにする一番の道なのやもしれぬ。
4歳の『北酒場』も、誰かに仕込まれたものではあるまい。
――家に流れる音を、勝手に覚えて歌うたのでござろう。
好きは、教えられるものではなく、うつるものでござる。
――お主の楽しむ姿も、きっと誰かにうつっておるぞ。
ちなみに、12歳の頃の流行りの話も添えておこう。
――ちょうど世は、イタロ・ハウスという踊りの音楽の全盛でござった。
ジャズを志しながら、クラブの音にも夢中になられた。
――この二本立てが、後の幅広い歌の芽であったのでござる。
好きなものを一つに絞る必要など、ないのでござる。
――全部の好きが、いつか一つに繋がるのでござるから。
そして幼き日の話には、続きの景色がある。
――2008年10月10日、ニューヨークで凱旋の宴を開かれたのでござる。
修行の街での、堂々の里帰り公演でござった。
――4歳の『北酒場』は、ここまで届いたのでござる。
子供の遊び歌と笑うことなかれ。
――始まりは、いつも小さな一曲なのでござる。
【大学へ進む代わりに、ニューヨークへ】

さて、18歳の決断の話でござる。
――観光で訪れたニューヨークに、心を掴まれたのでござる。
そして半年後、家族に願い出られた。
――大学に進学する代わりに、渡米したいと。
進学か、夢か。
――この御仁は、迷わず夢を取られたのでござる。
そしてご家族も、それを叶えてくださった。
――音楽だらけの家ならではの、送り出しでござろう。
ニューヨークでの日々は、甘くはなかったはずでござる。
――それでも、街の音を吸収し続けられた。
そして路上での活動が、噂となる。
――日本のほぼ全てのレコード会社から、誘いが来たのでござる。
だが、すぐには乗られなんだ。
――己の音楽性を追求するため、二年余り現地に留まられたのでござる。
大学の四年の代わりに、ニューヨークの十年。
――これが、この御仁の学歴でござる。
教室は路上、教科書は街の音、試験は毎晩の舞台。
――これほど厳しい学び舎も、そうはあるまい。
そして世に出る前には、映しの主題歌の制作にも関わられた。
――現地で出会うた作り手たちとの、共同の仕事でござった。
この「大学の代わりにニューヨーク」という選びを、もう少し考えてみたい。
――当時の日本で、これは相当に思い切った道でござった。
皆が進学する流れの中で、一人だけ別の海図を広げたのでござる。
――しかも、行き先は遊びの場ではなく世界一厳しい音楽の都でござる。
この選びが正しかったかどうかは、選んだ後の歩みが決めるものでござる。
――この御仁は、十年をかけてそれを正解にされたのでござる。
誘いをすぐ受けず、二年余り腕を磨き続けたのがその証でござろう。
――道を選ぶ勇気より、選んだ道を正解にする根気の方が尊いのでござる。
お主も、選ばなかった道を悔やむ暇があったら。
――選んだ道を耕すことでござる。
ちなみに、この時代の仲間との縁も実を結んでおる。
――現地で出会うた作家のE-3殿やDJ HIROnyc殿らと共に作品を作られた。
その作品が日本で評判となり、道が開けたのでござる。
――異国で結んだ縁が、故国での扉を開いたのでござる。
縁は、居る場所で腐らず動く者にだけ結ばれる。
――この御仁は、路上でもスタジオでも動き続けられたのでござる。
さらに、この二年余りの我慢の意味も添えておこう。
――誘いに乗って早く世に出れば、銭も名も早く手に入ったであろう。
だが、生煮えのまま出れば、早く消えるのもこの世界でござる。
――この御仁は、己の音が固まるまで動かれなんだ。
後の長い活躍は、この我慢の上に立っておるのでござる。
――急がば回れとは、まさにこのことでござる。
ちなみに、ニューヨークの暮らしは足かけ十年に及んだ。
――十代の終わりから二十代の全てを、あの街で過ごされたのでござる。
人が最も柔らかい時期を、世界一の音の坩堝で。
――これに勝る学び舎は、どこの大学にも無いのでござる。
【未来予想図-芸名は、天の声から授かった】

さて、芸名の由来の話が実に良いのでござる。
――2000年、翌日までに歌い手としての名を決めねばならぬ夜があった。
その時、ニューヨークの路上で売られておったカセットの山の中に。
――一本のテープを見つけられたのでござる。
ウェイン・ショーターの名盤『JuJu』でござった。
――将来への不安を紛らわすため、心の薬代わりに聴いていた盤でござる。
それが目の前に現れた。
――天の声だと思い、その名にあやかることにされたのでござる。
苦しい夜を支えた一本が、生涯の名になった。
――これほど物語のある芸名も、そうはあるまい。
そして世に出た後も、道は平らではなかった。
――二枚の歌が売れず、後が無いところまで追い込まれたのでござる。
背水の陣で作られた三枚目が、「奇跡を望むなら…」でござった。
――二十二週続けて有線のランキングに入り、年間の一位まで取ったのでござる。
4歳の『北酒場』から、紅白の大舞台まで。
――寄り道の多い道のりに見えて、実は一本道でござる。
全ては「歌いたい」の一心で繋がっておるのでござる。
――学歴とは、歩いた道の全てのことでござろう。
そして、世に出てからの苦難も学びの続きでござった。
――歌い方を根本から変えるという、痛みを伴う学び直しがあったのでござる。
ジャズ仕込みの癖を封じ、日本語をはっきり届ける歌い方へ。
――来し方を否定されたような心地であったと、後に語っておられる。
だがこの御仁は、聴き比べて納得し、素直に変えられたのでござる。
――十年の修行を積んだ者が、なお学び直せる――これが本物の強さでござる。
そして2011年、ブルーノート東京で念願のジャズの夜を開かれた。
――封印しておった歌い方を、最高の舞台で解き放たれたのでござる。
回り道も封印も、全てが今の歌に生きておる。
――学歴に載らぬ学びこそ、人を作るのでござるな。
蛇足ながら、10月10日の話も添えておこう。
――「JU=10」にちなみ、10月10日は「JUJUの日」と正式に認められておる。
毎年この日に、歌の宴を開くのが恒例だそうな。
――己の名を、祝いの日に変えてしまわれたのでござる。
不安を紛らわすために聴いたテープから取った名が、でござる。
――苦しい夜は、いつか祝いの日に変わるのでござるよ。
締めの前に、もう一つだけ。
――この御仁の道は、進学だけが道ではないという証でござる。
だが勘違いするでないぞ。
――楽な道を選ばれたのではない。より厳しい学び舎を選ばれたのでござる。
行き先がどこであれ、本気で学ぶ者だけが実を結ぶ。
――道の名前より、歩き方が全てなのでござる。
最後の最後に、初舞台の話へ戻ろう。
――4歳の『北酒場』を聴いた大人たちは、さぞ驚いたであろうな。
その驚きと拍手が、少女の心に火を点けたのでござる。
――子の初舞台には、精一杯の拍手を送るものでござるよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。
楽天の番付で一位を取ったものがこれでござる。まずは見てみられよ。
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【大学の代わりにNYへ!?学歴と歌ひと筋の道についてのまとめ】
今回はJUJU殿について調査してみた!
吾輩はJUJU殿に対して、4歳の一曲から、歌ひと筋に歩まれた御仁と思ったんだがお主はJUJU殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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