Warning: Undefined property: stdClass::$access_token in /home/xs495582/doramonxx.com/public_html/wp-content/plugins/yyi-rinker/yyi_rinker_main.php on line 2322
巷に騒がれる、久保田利伸殿:大学の卒業論文がアフリカの音楽であった話と、球児であった少年の頃について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1962年7月24日、静岡県の蒲原のお生まれ
- 幼き頃は、プロ野球の選手を志しておられた
- 少年の頃の渾名は「猿」であったという
- 中学の野球部では、後のプロ選手・広瀬哲朗殿の二年後輩
- 静岡県立静岡商業高等学校を出ておられる
- 高校まで球児であったが、レギュラーには成れなんだ
- 中学から高校の頃、スティーヴィー・ワンダーを毎日聴かれた
- 1981年、駒澤大学経済学部に進み上京される
- 大学では軽音楽部でバンドを組み、歌の賞を受けられた
- ゼミはアフリカ研究会、卒業論文は「アフリカの音楽」
- 1985年に卒業し、曲を作る側として歩み始められる
- 1986年6月21日、「失意のダウンタウン」で世に出られた
【プロ野球選手を志した、球児の日々】

まずは、球児の日々から参ろう。
――この御仁、幼き頃はプロ野球の選手を志しておられたのでござる。
少年の頃の渾名は「猿」であったという。
――さぞ、すばしこい子であられたのでござろう。
中学の野球部には、凄い先輩がおられた。
――後に日本ハムで活躍される、広瀬哲朗殿でござる。
二年先輩の背中を、追いかけておられたのでござる。
――後年、その広瀬殿と宣伝の映しで共演を果たされるのが粋でござる。
高校でも、白球を追い続けられた。
――だが、レギュラーには成れなんだのでござる。
そして、プロ野球選手の夢を諦められた。
――この挫折が、この御仁の人生を大きく曲げたのでござる。
だが、その手にはもう一つのものが残っておった。
――中学から高校にかけて毎日聴いた、スティーヴィー・ワンダーでござる。
音楽の原点は、この日々だと自ら語っておられる。
――球を諦めた少年の傍らに、歌が居てくれたのでござる。
姉上二人の影響で、沢田研二殿もよく聴いておられたという。
――洋の音も和の音も、両方が体に入っておったのでござる。
挫折の隣には、次の道が転がっておるものでござる。
――お主も、諦めた夢の隣を見てみるがよい。
ここで、レギュラーに成れなんだという挫折の意味を考えてみたい。
――努力しても報われぬことがあると、少年は球場で学んだのでござる。
だが同じ頃、毎日の耳にはスティーヴィー・ワンダーが流れておった。
――報われなかった情熱の注ぎ先が、すぐ隣に育っておったのでござる。
後年、この球児の日々は歌になっておる。
――「虹のグランドスラム」という曲に、その経験が活かされておるのでござる。
諦めた夢すら、歌の種にしてしまわれた。
――人生に無駄なし、を地で行く御仁でござる。
そして広瀬先輩とは、後に宣伝の映しで共演が叶うた。
――球場で追うた背中と、別の舞台で並ばれたのでござる。
ちなみに、球と歌の共通点を一つ。
――どちらも、日々の素振りが全ての世界でござる。
球児の朝練で鍛えた「続ける力」は、歌の道でそのまま生きた。
――毎日聴き、毎日歌う――それを何十年も続けられたのでござる。
レギュラーには成れずとも、練習の型は身についておった。
――挫折しても、鍛えた型だけは残るのでござる。
そしてもう一つ、この御仁の姿勢で見事な所がある。
――挫折の話を、隠さず語っておられることでござる。
レギュラーに成れなんだ過去を、笑って口にされる。
――成功者の失敗談ほど、人を励ますものはないのでござる。
しかも、それを歌にまでしてしまわれた。
――傷は、隠すより歌にする方が癒えるのでござろう。
【商業高校で簿記、大学の卒論はアフリカの音楽】

さて、学び舎の話に参ろう。
――進まれたのは、静岡県立静岡商業高等学校でござる。
商いの学び舎ゆえ、在学中に簿記の資格も取られた。
――歌の王が、帳簿をつけられるのでござる。
そして1981年、駒澤大学経済学部に進み上京された。
――ここで、人生が大きく回り始めるのでござる。
軽音楽部のロック研究会に入り、仲間とバンドを組まれた。
――「HOTTENTOTS」という名のバンドでござる。
1982年、ヤマハの大きなコンテストに出られた。
――そして、ベスト・ボーカリスト賞を受けられたのでござる。
学生の身で、既に歌で選ばれておった。
――当時はアフロの髪に口ひげという、いでたちであったそうな。
そして、この稿の題の話でござる。
――大学のゼミは、アフリカ研究会に入っておられたのでござる。
好きな音楽のルーツが、アフリカにあったからでござる。
――卒業論文の題も「アフリカの音楽」でござった。
経済学部で、アフリカの音楽を論じる。
――学びを、己の好きに引き寄せられたのでござる。
ご本人曰く、アフリカ三昧で楽しかったという。
――好きを学びに変えた者は、強いのでござる。
そして1985年、きちんと卒業された。
――球児は、学びも歌も修めた若者になっておったのでござる。
この学びの道筋で、吾輩が唸るのは「実学と好き」の両立でござる。
――商業高校では簿記を取り、足元の実学を固められた。
そして大学では、好きを学問にまで高められたのでござる。
――経済学部に居ながら、アフリカ研究会で音楽のルーツを掘られた。
簿記と、アフリカの音楽。
――一見ちぐはぐなこの二つが、後の音楽人生を両輪で支えるのでござる。
音楽で身を立てるには、作る才と、暮らしを回す堅実さの両方が要る。
――四十年近く第一線に居られる秘密は、この両輪でござろう。
学生バンドでの受賞も、遊びの延長ではなかった。
――その演奏はレコードに収められ、世に出ておるのでござる。
ちなみに、大学卒業後の始まり方も玄人好みでござる。
――いきなり表に立たず、まず曲を作る側から入られたのでござる。
田原俊彦殿の歌などを手掛け、裏方として腕を証明された。
――実力を溜めてから世に出る――商業高校仕込みの堅実さでござろう。
そして満を持しての「失意のダウンタウン」でござった。
――準備の長い者ほど、出た後が強いのでござる。
さらに、大学の部室の話も微笑ましい。
――軽音楽部のロック研究会で、生涯の道が開けたのでござる。
部室で出会うた仲間と組んだバンドが、賞まで取った。
――サークル選び一つが、人生を変えることもあるのでござる。
お主も、入る部屋は良く選ぶのでござるよ。
――そこに居る人が、お主の未来を作るのでござるから。
そして忘れてならぬのは、この学びの道の「普通さ」でござる。
――県立の商業高校から、ごく真っ当に大学へ進まれた道でござる。
特別な英才の道など、どこにも無い。
――あるのは、好きを手放さなんだ月日だけでござる。
特別な道より、続いた好きが人を作る。
――お主の好きも、続ければ道になるのでござるよ。
【未来予想図-母校の祭りに、突然現れた】

さて、卒業後の歩みが見事でござる。
――卒業と同時に、曲を作る側として本格的に歩み始められた。
田原俊彦殿、中山美穂殿、小泉今日子殿、鈴木雅之殿。
――名だたる歌い手に、次々と曲を届けられたのでござる。
そして1986年6月21日、自らも世に出られた。
――「失意のダウンタウン」でござる。
R&Bという黒人音楽を、日本の音楽の景色に根付かせた。
――その先駆けとして、名を刻まれたのでござる。
1990年には、紅白にも初出場された。
――1995年には「Toshi Kubota」として全米でも歌を出されたのでござる。
そして1996年、あの歌が生まれる。
――「LA・LA・LA LOVE SONG」でござる。
実はあの「LA・LA・LA」には、故郷の音が隠れておるという。
――出身地の言葉の語尾「〜ら」から取られたという話があるのでござる。
世界へ出ても、故郷を忘れぬ御仁でござった。
――そして2017年9月29日、それを形で示されたのでござる。
母校の静岡商業の、開校120周年の学園祭。
――その校内の発表に、突然現れて祝われたのでござる。
レギュラーに成れなんだ球児が、母校一番の誇りとなって帰ってきた。
――これほど痛快な恩返しがあろうか。
お主、挫折した場所にこそ、いつか胸を張って帰るのでござるよ。
――この御仁が、その手本でござる。
締めに、もう一つだけ故郷の話を。
――あの「LA・LA・LA」に故郷の言葉が隠れておるという話は、実に良い。
世界で歌う身になっても、口をついて出るのは静岡の音でござった。
――人は、育った土地の音から離れられぬものなのでござろう。
ニューヨークに拠点を移し、全米デビューも果たされた御仁が。
――母校の学園祭に、ふらりと現れて歌われるのでござる。
大きくなるほど、帰る場所を大事にされる。
――この足腰の低さこそ、長く愛される秘訣でござろう。
蛇足ながら、海の向こうでの歩みも記しておこう。
――1993年の暮れ、拠点をニューヨークに移されたのでござる。
そして1995年、「Toshi Kubota」の名で全米に歌を出された。
――アフリカの音楽を論じた学生が、本場の土俵に立ったのでござる。
卒論の題は、伊達ではなかった。
――学びと夢が一本に繋がった、見事な人生でござる。
締めの前に、もう一つだけ。
――この御仁は1991年、ナイジェリアの催しにも出ておられる。
卒論で書いたアフリカの地で、実際に歌われたのでござる。
――原曲に加え、己の「MAMA UDONGO」も披露されたそうな。
紙の上の学びを、大地の上で果たされた。
――学びの終着点とは、こういう景色を言うのでござろう。
【卒論はアフリカの音楽!?学歴と野球少年の頃についてのまとめ】
今回は久保田利伸殿について調査してみた!
吾輩は久保田利伸殿に対して、球を諦め、歌で世界へ出られた御仁と思ったんだがお主は久保田利伸殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
関連記事


