巷に騒がれる、花村想太殿:伊丹で育たれた家の暮らし向きと、父上が手放されたバイクの顛末について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1990年8月15日、兵庫県のお生まれ
- 8歳から18歳までを兵庫県伊丹市で過ごされる
- 2005年、中学3年の修学旅行で歌い、高校進学をやめると決められる
- 2007年、オーディション「a-motion」で審査員特別賞。会場には姉上も同行
- 2008年、同じ「a-motion」でグランプリ。歌ったのは母上がカラオケで歌っていた「ラヴ・イズ・オーヴァー」
- 18歳でエイベックスに入られる
- 2011年、Da-iCE結成。直前は音楽を諦めて実家に帰ろうとしておられた
- 2021年、作詞した「CITRUS」で第63回日本レコード大賞
- 2022年3月5日、伊丹市の「伊丹大使」に就任
- 2023年7月18日、妹御とのダンス動画をTikTokで公開
- 2026年2月6日、SOTA HANAMURA名義でソロを本格始動
- 2026年3月12日、J-WAVEにて父上がバイクを売って家賃に充てていた話を明かされる
- 2026年8月17日、SOTA HANAMURAとして日本武道館で単独公演
【「そんなに裕福な家庭ではなかった」-父上はバイクを売っておられた】
この御方の実家について、先に答えを申そう。ご本人がはっきり語っておられる。
2026年3月12日、J-WAVE『Sanrio SMILEY SMILE』で鈴木愛理殿と人生のターニングポイントを語り合われた折のことでござる。
「父の趣味がバイクだったんですけど、ある日、実家に帰ったらバイクがなくて。」
訳を尋ねると、返ってきたのは「故障した」という答え。――だが、本当の訳は別にあった。
「僕が当時、仕事が全然なくて仕送りをしてもらわないと生活ができなくて、そんなに裕福な家庭ではなかったので、父がバイクを売って僕の家賃とかに充てていたっていうのを姉から聞きました。」
父上は売ったことを言わず、「故障した」で済ませておられた。真相を伝えたのは姉上じゃ。
そのバイクの重みは、2025年3月18日のGQ JAPANで語られた言葉で分かる。
「父が昔からバイクに乗っていて、子どものころ、バイクで小学校に迎えに来てくれたりしたんです。」
その頃の父上の愛車はヤマハの「ドラッグスター」。この御方もデビューからしばらくして「少し余裕がでてきた頃に普通二輪免許を取り、ドラッグスター400を買ったんです。」と。迎えに来てくれた一台と同じ名を、己でも選ばれたのでござる。
そのバイクを、父上は息子の家賃のために手放された。この御方は、そこで「いつかハーレーを買ってあげられるくらい大きくなろう」と決められた。
「3年くらい前にやっとバイクも買ってあげられるようになって、自分のなかの夢がひとつかないました。」
ゆえに答えはこうじゃ。実家は、本人の言葉で「そんなに裕福な家庭ではなかった」家。そのかわり、息子の夢に身銭を切る父上がおられた家でござる。
苦しさは下積みの頃の話にも出てくる。2026年2月25日の催しでは、Da-iCE結成の直前をこう振り返られた(MANTANWEB)。
「親のすねをかじりながら生活している自分がつらくて、ちょうど音楽諦めて実家に帰ろうとしていたところでした」
そこへDa-iCEの話が来て、「この最後のチャンスにかけてみるかと思ってスタートしました。」という。
2026年10月17日深夜のABCテレビ『音バナ♪ついつい』では、インディーズの頃を「明らかに貧乏」と言い、「親のすねをかじりすぎて骨見えちゃってた」と笑いに変えておられる。電気もガスも止まり、風呂は冷たい水。プリンは部屋の外の明かりを頼りに食べたそうな。
「マジで味しないんですよ。暗闇で食べると」
それでも締めくくりは「でも楽しかったですよ、今考えたら」。――すねをかじられた家も、かじった息子も、楽ではなかったのでござる。
【姉上・妹御・祖母上・母上-伊丹で育った家の顔ぶれ】
この御方は兵庫県のお生まれで、8歳から18歳までを伊丹市で過ごされた。2022年3月5日に「伊丹大使」に就かれた折には、こう述べておられる(神戸新聞NEXT)。
「伊丹は学びの多いまちで、音楽を目指す原点にもなった。いつか名所で歌とダンスを披露して配信したい」
その伊丹の家から、歌の道を支えた顔ぶれが次々に出てくる。
祖母上は、小学生のこの御方をステージに立たせた御方でござる(TOKYO FM『G-SHOCK presents THE MOMENT』、2025年2月14日放送)。
「小学校6年生のとき、おばあちゃんがカラオケスナックみたいな所に連れて行ってくれたんです。」
ところが「1番を歌っただけで倒れました(笑)」。緊張で頭に血がのぼったのだそうな。
その後も、歌い手になりたいとは長く言えなんだ。2024年3月1日のオリコンニュースでは「小学生〜中学3年生までは歌手になりたいと口に出して言えなかった」と明かし、こう続けておられる。
「パン屋になるという2番目の夢を口にしていたけれど、もっと歌のことについて勉強したいと思って、高校受験をせずに音楽の世界に入った」
――パン屋は家の話ではのうて、本当の夢の代わりに口にしていた「2番目の夢」でござる。
中学3年の修学旅行のカラオケで歌うと、先生が「花村の歌はうまいとか下手じゃなくてもっと聴きたくなる歌だ」と言うてくれ、「それで完全に高校進学をやめて、歌手になるための本当の一歩を踏み出しました。」
姉上は、オーディションの場にも付いて来られた。2007年、初めて受けた歌のオーディション「a-motion」の審査の日を「姉貴も一緒に行っていました」と語っておられる(TOKYO FM、2025年2月21日放送)。結果発表の日も覚えておらなんだ息子に、親から「エイベックスから電話かかってきたで」と知らせが入ったという。
母上の歌もまた、背を押しておる。翌2008年のグランプリの折に歌ったのは、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」。
「オカンがよくカラオケで歌っていたんです。それを聴いて覚えた曲だったので」
――祖母上のスナックで倒れた少年が、母上のカラオケで覚えた歌で頂を取られたのでござる。
姉上の話はもう一つ。2024年2月4日、インスタグラムで愛犬との別れを伝え、「18年。長生きしてお姉ちゃん家族を守ってくれてた」と綴っておられる(スポニチアネックス)。
妹御とは、踊りで並んでおられる。2023年7月18日、TikTokで妹御とのダンス動画を公開し、「妹と踊ってみたシリーズを始めたいと思います!」と宣言された(モデルプレス)。
本人の言葉に出てくる家の顔ぶれは、父上、母上、姉上、妹御、そして祖母上。どなたも、歌の道のどこかに顔を出しておられるのじゃ。
【未来予想図-家族を「初めてのファン」と呼ぶ御方】
祖母上に連れられたスナックで歌い、母上の歌でグランプリを獲り、姉上はオーディションに付いて来て、父上はバイクを売って家賃を出した。J-WAVEでこの御方は、こう言い切っておられる。
「家族って、初めてのファンみたいなものですからね。」
そして「そのとき僕のことを信じてベットしてくれた父親とファンのみなさんが重なる部分もあって」とも。
ここからは吾輩の見立てでござる。この御方は、受けた恩を形で返す御方とみる。父上にはバイクを。育った伊丹には大使としての名を。
2026年8月17日には、SOTA HANAMURAとして初めて日本武道館に単独で立たれた。前日のNatural Lagと合わせ、2日間で計2万人を集めたという(オリコンニュース)。
ファンを父上と重ねて語る御方でござる。武道館のような大舞台へ駆けつける推し活の品を揃えるなら、推し活の買いどき帳で探してみられよ。
次に形になるのは、伊丹の名所で歌い踊る姿であろう。その時、客席のどこかに「初めてのファン」がおられるはずじゃ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は裕福でない!?父がバイクを売って充てた家賃についてのまとめ】
今回は花村想太殿について調査してみた!
実家は、本人の言葉で「そんなに裕福な家庭ではなかった」。仕事の無い頃、父上はバイクを売って家賃に充てておられた。それを教えたのは姉上。のちにこの御方は、父上へバイクを買えるまでになられた。
Da-iCE結成の直前は、親のすねをかじる己がつらく、実家に帰ろうとしておられた。
8歳から18歳までを伊丹市で過ごし、祖母上・母上・姉上・妹御それぞれが歌の道に顔を出す。「パン屋」は口にしていた「2番目の夢」でござる。
吾輩は花村想太殿に対して、家族という最初のファンに賭けてもろうた恩を、形で返し続ける御方、と思ったんだがお主は花村想太殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
ライブドアニュース/TOKYO FM+(2025年3月5日)
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